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オペラを「聴く」ということ〜【Opera】東京交響楽団『サロメ』(演奏会形式)

 東京交響楽団が音楽監督のジョナサン・ノットとリヒャルト・シュトラウスのオペラを演奏する「コンサートオペラ」シリーズ。その第1回『サロメ』は、直前で日本人キャスト3名が体調不良のために交代するというアクシデントはあったものの、予定されていた海外キャスト4人が揃って出演する贅沢な公演となった。ミューザ川崎シンフォニーホールとサントリーホールの2回公演だったが、私はミューザ川崎で聴いた。

 全出演者の中でも白眉はタイトルロールのアスミク・グリゴリアンだったことは、おそらく当日客席にいたほとんどの人も異論はないだろう。2018年のザルツブルク音楽祭、ロメオ・カステルッチ演出のプロダクションでロールデビューし「音楽祭のハイライト」と絶賛されたグリゴリアンを聴けただけでも、この演奏会の意味はあったと思う。彼女のサロメは、ちょっと気が強いけれどはつらつとしていて可愛らしい「フツーの女の子」。ヘロデのいやらしい視線に辟易としているところは、今どきの女子高生が「あのエロ親父、超ムカツクんですけど〜!」と言っているみたい。ヨカナーンにキスをしたがるところも、「首を切ってまで」という異常性はだいぶ後退していて、それよりも「ただただ好きな人に振り向いてほしいだけ」という要素が前面に押し出されている。切り落とされたヨカナーンの首は、ぐるぐる巻きになった赤い布(しかも銀のお盆には乗っていない!)であり、サロメはその布を自らの体に巻き付けてそこにキスをすることからも、「首切り」という異常性が注意深く払拭されているのがわかる。そしてヘロディアスに対しても一貫して「ママうざい!ママは関係ない!」という態度。欲しいものを譲らないところに幼児性を感じるものの、「自立した恋する少女」としてのサロメには非常に好感が持てた。

 そもそも、「運命の女(ファム・ファタール)」というサロメに付与された従来の性質こそ、男が「まなざすもの」に他ならない。それはヘロデという男の描かれ方にはっきりと表れている。勝手に義理の娘に欲情し、なんでも与えるという無理な約束をしたのは他ならないヘロデである。男の人生を狂わす魔性の女?とんでもない!それは男が勝手に投影したイメージ、つまり男が生み出したものなのだ、ということがはっきりと描かれているのはとてもよかった。ところで演出監修にトーマス・アレンがクレジットされていたが、前述したカステルッチ演出のサロメも無垢な少女像という点で共通しており、こうしたサロメ像は現代におけひとつの定型になりつつあるのだろう。

 サロメというキャラクターについてこのように新たな発見があった点は評価するものの、演奏そのものには疑問が残った。確かにノットと東響は、しっかりとドラマを描きだす素晴らしい演奏を繰り広げたと思う。しかし、ところどころで歌が聴こえなくなるのがどうにも気になった(特に日本人歌手は完全に割を食っていた)。あれだけ大編成のオーケストラが舞台上に乗っていては、どんなに声量のある歌手とて最強音のところで声が埋もれてしまうのは当然である。これは、歌手の責任ではない。最初に井戸の中からヨカナーンの声が聴こえてくるシーンで、ヨカナーン役のトマス・トマソンがP席後ろのオルガン横に立って歌ったが、オケを超えて飛んでくるこの時の声こそ、「オペラを聴いた」という満足感を与えてくれるものだった。

 オペラとは「観る」ものである以前に「聴く」ものなのだ。視覚的要素が排された演奏会形式は、その点で非常に有効なスタイルであると同時に、ステージにオケと歌手が乗るのだから指揮者にはオケ以上に歌手に対する十分な心配りが必要になってくる。残念ながらこの日のノットは、オケを鳴らすこと以上に歌手の声に心を配った指揮ではなかったといわざるを得ない。つまりこれは「オペラ」ではなく「オーケストラの演奏会」だったということだ。それは「7つのヴェールの踊り」で歌手が全員舞台からいなくなり、オーケストラだけの演奏となったことにも表れていた。無論ここは歌わないシーンだが、「演出」のついている「演奏会形式のオペラ」であれば、通常は「その場にいる人物は舞台上に残る」という手法が取られることが多い。そうするべきだ、といっているのではない。あの圧倒的なオケの演奏を聴きながら(そう、確かにあの「7つのヴェール」は圧倒的だった)、私は「これはオーケストラを聴かせる演奏会」だと思ったということだ。

 演奏が終わるやいなや割れんばかりの拍手が沸き起こり、歌手と指揮者がステージ上に戻ってくるとスタンディングオベーションの嵐となった客席にいて、「オペラを聴く」ということの意味を大いに考えさせられた一夜だった。

2022年11月18日、ミューザ川崎シンフォニーホール。

 

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