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【Concert】森谷真理リサイタル

 4月に開催される予定だったソプラノの森谷真理の王子ホールでのリサイタルが、半年間延期されて開催された。ピアノは当初予定されていたアントワーヌ・パロックに代わって、山田武彦が担当。

 なんといっても聴きどころは、前半に置かれたブリテンの歌曲集「イリュミナシオン」。これは、ブリテンがランボーの同名の詩集から8篇を選びファンファーレと間奏曲を付け足した10曲からなる作品。ランボーの詩集は、散文詩や自由詩のスタイルを取り、シュールレアリスム的な難解な表現が多く、他の言語に翻訳するのがとても難しいといわれている。ブリテンも、原語のフランス語にそのまま作曲している。「イリュミナシオン」はイルミネーション、つまり色とりどりのイメージが一見脈絡なく集められたような作品だが、その背景には、ランボーと10歳年上の詩人ヴェルレーヌとの恋愛がある。実際、この詩集に収められた多くの詩は、ランボーがヴェルレーヌと共にロンドンを放浪していた時期に書かれている。そして現在ではよく知られているように、ブリテンもピーター・ピアーズというパートナーをもつ同性愛者だった。つまりこの歌曲集には、ブリテン自身が考える「愛と性」が色濃く映し出されているといっていい。

 それは、全体のクライマックスに当たる第8曲「パラード」に登場する「私だけがこの野蛮なパラードの鍵を持っている」という1行が、第1曲「ファンファーレ」と第6曲「間奏曲」の中に置かれていることからも明らかだ。パラードは道化芝居、客寄せ芝居と訳されるが、ランボーの原詩では権力や伝統の批判と考えられるこのテクストを、ブリテンはわざわざ冒頭と中間の2曲の中に挿入している。「野蛮なパラード」とは、異性であれ同性であれ人を生かすものは愛への欲望でしかない、という意味ではないだろうか。だが同性愛は、ブリテンの(そしてもちろんランボーの)生きた時代にはタブー視されていたのであり、そうした社会の中で生きることの苦悩や、その苦悩を超えてなお輝く芳醇な性愛の世界が、この歌曲集では描かれている。

 とはいえブリテンの音楽は本来、声高に何かを主張するような性質ではない。それは十分に計算された和声やそこから生まれる響きの複合体の中から匂い立つように伝わってくるものだ。森谷真理はオペラティックな歌唱技術を十分に駆使しながら、しかしブリテンの音楽性を損なわないよう、ギリギリのところを攻めていたように思う。パッションとインテリジェンスの狭間に成立する表現。もちろんそれを可能にしたのは、山田武彦の類稀なピアニズムの功績も大きいだろう。

 後半はドビュッシー前期の歌曲集「抒情的散文」と、山田による即興曲「エディット・ピアフを讃えて」を挟んで、マスネ『マノン』から「私が女王のように街を歩くと」とグノー『ファウスト』から「宝石の歌」を披露。特にフランス・オペラのアリア2曲は、森谷の演劇的な才能が弾け飛ぶようで、アリア1曲なのにオペラを観ているような気持ちにさせられた。森谷真理の『マノン』の舞台をぜひ観てみたい、と思った人も多かったのではないか。アンコールの『タイス』の「美しいと言って」、サティ「ジュ・トゥ・ヴ」(山田武彦が即興的に挿入した対旋律が素敵すぎた)まで、「充実のオペラ歌手」の音楽を堪能した一夜となった。

2020年10月7日、王子ホール。

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