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【Opera】新国立劇場『アルマゲドンの夢』(新制作 創作委嘱作品・世界初演)

 11/15に初日の幕が上がってから、賞賛の声しか聞こえてこず、同じ新作初演でも去年とはずいぶん違うなあと思いながら21日に鑑賞。確かに、音楽的にもドラマ的にも非常によくできた「オペラ」で、よく現代作品を観た時に頭に思い浮かぶいくつもの「?」がほとんどなかったし、見ごたえも十分だった。これはおそらく新国立劇場の重要なレパートリーになるだろうし、今後国外でも上演の機会があるのではないかと思う。

 しかし、気になったところはある。当初、原作では名前の与えられていない女性に「ベラ」という名前がつけられて、主人公クーパーを鼓舞する「政治的な人間」として描かれる、という筋立てを聞き、「女性」というのが焦点の一つになるのかと想像していた(演出家が女性である、ということからその点を期待する声もあった)。しかし実際には、ベラは初めは「愛と官能」の対象として登場し、政治的に目覚めた後も主体的に行動するというよりあくまでもクーパーの中に本来あるべき政治的な部分を代替しているようにみえた。いわば、「ヴェーヌス」と「エリーザベト」をひとりで体現している女性。つまりベラは、まったく従来の女性ジェンダーの役割から踏み出しているようにはみえない。

 誰の目から見ても権力の腐敗が明らかで、政治が音を立てて戦前と同じ道を転げ落ちていくような現代日本において、確かにここで描かれている全体主義の悪夢は決して妄想ではない。その意味で非常にアクチュアルなテーマを扱っているのだから、ジェンダー構造を解体するような示唆があってもよかったはずだ。なぜなら、男女平等ランキングで世界121位(G7最下位)という日本において、ジェンダー差別の解消は最重要課題のひとつであり、さらにいえばこの国で今起こっている様々な問題(弱者への不寛容、右傾化、経済格差、自殺の増加、教育の偏り、など)と完全に同根であると思うからだ。「2020年」の「日本」で「新国立劇場」がオペラの「新作」をつくるのならば、ジェンダーの問題は不可避であるはずなのだ。本作のために集まった作曲家、台本作家、演出家、指揮者たちは、オペラが「博物館の陳列物を眺める」ようなものではなく、現実に今、ここで生きている私たちの問題を鋭く抉り出すようなものでありたいと考えているのだと信じたいが、だとすればやはりこの点だけは指摘しておきたい。

 演出面では、シンプルなセットながらチープ感はまったくなく、衣裳も考え抜かれたもので満足度は高かったが、映像がやや過剰なのが気になった。これはヨーロッパの演出家のプロダクションに時々感じることなのだが、「オペラ」である以上音楽と言葉が十分に語っているのだから、あんなに懇切丁寧な映像による説明は必要ないと思う。歌唱面では、複雑なスコアを見事に歌いこなした新国立劇場合唱団のクオリティの高さが特に印象に残った。初日はかなり空席が目立っていたと聞いたが、21日は8割程度の入りだっただろうか。好評を聞いて急遽券売が伸びたのだとしたら良い傾向だ。千秋楽は23日。

2020年11月21日、新国立劇場。

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