見出し画像

【Concert】東京フィルハーモニー交響楽団第134回東京オペラシティ定期シリーズ

 新型コロナウイルスのために、日本中でコンサートやライブや舞台が消え去ってからおよそ3ヶ月。音楽のない3ヶ月。「新しい日常」?冗談じゃない。音楽に携わる人にとってそれは紛れもなく「非日常」だ。私は一刻も早く「日常」を取り戻したい。劇場やコンサートホールに通い、その熱を言葉に紡ぐ日々を取り戻したい。だから今日書くのは「コンサートのレビュー」ではなく、これから取り戻す「全き日常」への記念すべき第一歩の記録である。

 東京において「自粛」から最初に踏み出すことになったのは、東京フィルハーモニー交響楽団だった。プログラムの表紙には「Welcome back to the Tokyo Philharmonic」の文字が踊る。もともと予定されていたプログラムも指揮者も変更しての開催。そのほかにも、東フィルはコロナウイルス感染拡大防止のために様々な手段を講じた。コンサートは1時間で休憩なし。チケットではなくあらかじめ送られたハガキを見せて入場。ハガキには住所・氏名・電話番号を記入し、万が一感染者が出た場合に連絡が取れるように退場時に回収。ハガキに記入された入場時間による時差入場。客席は1席おき、かつ列ごとに互い違いになるように着席。レセプショニストほかホール関係者はマスクとフェイスシールド着用。プログラムはホール内に複数設けられた台の上から自由に取る方式。ホール内には各所にアルコール・スプレーを設置。舞台上のオーケストラは前後に間隔をとり、管楽器は椅子の背に透明のシールドをつけて背後からの飛沫を防御。終演後はフロアごとに時差退場。ここまでして開いた定期演奏会。それでも、関係者の一人は「このような形でコンサートをやるべきだったのか…」と語ってくれた。

画像2

画像3

 ここまでして開いていただいて、本当にありがとうございます。私にはそう言うことしかできない。だって、音楽のない「非日常」はもう懲りごりだったから…。いや、本当のことを言おう。実はこの自粛期間の特に前半、私はクラシック音楽を聴いたりオペラを観たりすることからかなり遠ざかっていた(仕事は別にして)。あまりにも変わり果ててしまった日々に、心の中の何かを「感じる」部分が完全に動きを止めてしまったようだった。もう音楽と積極的に関わらない人生になるのかな、とさえ思ったこともあった。それなのに、東フィルが公開の演奏会開催に踏み切るという知らせを受けた時、なぜか「これは行かなければならない」と強く思ったのだ。音楽業界にいるものとしての義務感?チラとでもそんな自負がよぎったのかどうか…。とにかく私は東京オペラシティ・コンサートホールに行った。私の入場時間は18時。10分ほど前に到着すると、マスクをつけた人たちがちらほら…。関係者が注意事項を話し、そしてホールのドアが開く。

画像1

 それは静かな、静かな入場だった。いつものように開場前の興奮やそれゆえのおしゃべりは皆無で、ドアの前に人が列をなすこともなく、なんとなく生まれた流れに沿って、一人ずつ、ゆっくりとホールの中へ入っていく。私は今まで、これほど静かなタケミツメモリアルのロビーを見たことがない。けれどもその静けさは、決して「寂しさ」ではなかった。何かを期待する気持ちと、何が起きるのかという緊張感。そんなものがロビーを覆っていた。

 時差入場で早くホールに入らなければならなかった人たちのために行われた木管五重奏によるプレコンサートが終わると、あたたかい拍手が起こる。オーケストラのメンバーが舞台上に現れるとその拍手の温度が少しだけ上がる。コンサートマスター、そして指揮者が登場し、全員が揃ってお辞儀をした時、演奏家と客席の視線は確かに繋がった気がした。「聴きに来てくれてありがとう」「聴く場を作ってくれてありがとう」、そんな視線の会話。

 演奏会はロッシーニの歌劇『セビリアの理髪師』序曲でスタート。おそらく何百回も演奏してきた曲だろうに、この丁寧さはなんだろう。一音一音、一和音一和音、拍から拍へと確かめていくように音を紡ぎ出す。もしかするとオーケストラも緊張していたのだろうか(まさか)。東フィルの弦は美しい、ということを再確認する私の耳。メインはドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。これもオケにとっては定番中の定番だが、ありえないほどの「精魂」が込められた演奏に驚く。指揮の渡邊一正はたっぷりと間合いをとって、その「精魂」を音楽にしてホールいっぱいに響かせようとしている。これは何だろう…これは…これが音楽というものか…。

 演奏が終わって客席から贈られた拍手はより一層温度を増していたが、それは「熱狂」という類のものではなく、むしろ久しぶりに再会した家族や故郷の街に感じる「懐かしさ」のような色合いを帯びていた。渡邊一正が各パートを順番に立たせていく。その親密さに満ちた拍手は、オーケストラの最後の一人が舞台上から消えるまで続いたのだった。

 音楽は時に誰かの人生を変えることがあるし、また誰かの命を救うことさえある。そうした音楽のもつ圧倒的な「力」を、私は尊敬し、愛してきた。それこそが私を音楽に繋ぎ止めている理由だと思ってきた。しかし今夜、この長い「非日常」というトンネルの先に音楽が開けた穴から溢れてきた光は、私が思っていたよりもずっと柔らかく、ずっとあたたかで、ずっと優しいものだったのだ。もしかすると私は今まで、音楽に対してやや肩肘を張りすぎていたのかもしれない。これから自分と音楽との関係がもっとよいものになるのだとしたら、この「非日常」をやり過ごしてきたこともあながち無意味ではなかったのだろう。音楽のある日常。かっこ付きではない日常を、私たちは取り戻さなければならない。

2020年6月23日、東京オペラシティ コンサートホール タケミツメモリアル。

※全文無料公開ですが、記事を気に入っていただけたらサポートいただけると嬉しいです。

皆様から頂戴したサポートは執筆のための取材費や資料費等にあてさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします!