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サクラのこと〜3. 「白次郎の受難」

 サクラの風邪は大事には至らず、ふさがっていた目もすぐに開いてまた元のキレイな白猫に戻ったが、医者から言われた「ホームレス猫」という言葉は、私の中でずっとくすぶり続けていた。猫というものは基本的に自由気ままに外を歩き回りご飯や寝るときだけ家に戻ってくる、というのは古い常識だということを知った私は、それからネットで「猫を飼う」ということについて調べてみた。「現在は完全室内飼いが基本」という医者の言葉通り、そこには、猫を外出自由にしておくことの危険性が書かれていた。何より恐ろしいのは、他の猫とのケンカによって致死率の高い病気に感染する危険性、さらに交通事故に遭う確率の高さによって、外にいる猫は完全室内飼いの猫に比べて平均寿命がとても低いというデータだった。その時私の脳裏に浮かんだのは、車を運転しているときにしばしば遭遇してしまう猫の死体だ。遠くからはボロ布か何かが放置されたままになっているように見えるそれは、近づくにつれて動物の形をとり始める。車のスピードのために一瞬しか視界に入らないが、「猫だ」とわかった瞬間、心臓が凍りつきそうになる。そんな思いを何度もしてきた。東京は車社会で、時代から取り残されたようなこの下町の入り組んだ道路にだって車は常に行き交っている。外を自由に歩き回る猫たちが、そうした車によって命を奪われる可能性はとても高いということだ。

 そして私はすぐに、外猫が命の危険と隣り合わせだという事実を身をもって知ることになる。冬の寒さもようやく緩んできたある日の朝、いつものようにご飯を食べてから庭でゴロンゴロンと寝転がってくつろぐ猫たちを見ていた私の目の端に、何か見慣れないものが映った、ような気がした。

 「白…待って、お腹、もう一度見せて!」

 兄猫白次郎のお腹に、赤い筋のようなものが見えたのである。白次郎はサクラよりも抱っこを嫌がる猫だが、そんなことは言っていられない。なんとかもう一度お腹を上にさせると、果たしてそれは1本の赤い傷あと。いや、そうじゃない。お腹の真ん中に刃物か何かで一直線に切ったような傷があり、ご丁寧にそれが糸で縫われているのだ。瞬間、私の心臓がドクンと脈打つ。一体誰がこんなことを、そして何のために。世の中には猫を虐待して楽しむような輩がいると聞いたことがあったが……頭からサーっと血がひく感覚がある。心臓の脈動がさらに速くなったようだ。当の白次郎は何事もなかったかのように飄々としているが、「糸で縫った傷」のヴィジュアルのインパクトは大きい。とにかくぼーっとしている場合じゃない。私は、サクラを連れて行った動物病院に今度は白次郎を連れて駆け込んだ。

 事情がまったくわからないので確かなことは言えないが、と前置きした先生は、傷はもうふさがっていること、この切開と縫合は素人の手によるものではないと思えること、もしかするとホームレス猫の去勢避妊手術を推進するボランティアのような人物が動物病院に連れて行ったのかもしれない、と話してくれた。

 「でもね…」

 先生の顔が曇る。オスの去勢手術であればこんな風にお腹を切ることはない。メスと間違えるというのは可能性としてはゼロではないが、まともな獣医師ならばまずありえないのだそうだ。とすると、この切開と縫合を行ったのは、技術や知識がありかつ普通の獣医師ではない人物…それって一体どんなヤツなんだ?!獣医学生が練習気分でやった?看護師の資格を持った人が面白半分に?どの想像も恐ろしく、あってはならないことばかりだ。唯一の救いは、命に別条はないだろうという先生の見立てだった。

 それにしても私はなぜ、今日まで白次郎の受難に気がつかなかったのだろう。白次郎は家に餌をもらいに来ない日もあったし、来たとしても1日中一緒にいるわけではなかったが、とはいえ実際に切られてからはだいぶ日が経っている。私は自分の迂闊さを悔やむとともに、この先2匹は外猫のままでいいのか、という疑問がムクムクと沸き起こってきたのである。

 白次郎は抜糸をして抗生剤をもらって帰って来た。そんな白次郎を今までのように外に放置しておくことはどうしてもできず、その晩はサクラと2人、家の中で寝かせた。翌朝、朝ごはんのあとでしきりに外に出たがるので、仕方なく裏庭に通じるドアを開けてやると、またいつものように生え放題に生えた草の上に寝転がったり、かくれんぼをしたりして遊び始める。大事に至らなくて本当に良かった、と安堵していると、通りから私の名前を呼ぶ女性の声が聞こえてきた。

 その人は、以前裏庭で餌をやっていた時に声をかけてきた人で、やはり猫が大好きなのだが今は家の事情で飼うことができず、外で見かける猫を撫でたりして我慢していると話してくれた。真っ白で美しい2匹の猫を近所で見かけて、いつも気になっていたのだそうだ。かつて猫を飼っていたという彼女は飼育についての知識も豊富で、例えば、近年都会で増えてきている「地域猫」について教えてくれたのも彼女だ。「地域猫」とは、外で暮らす猫たちにボランティアで去勢避妊手術を行い、1代限りその地域で暮らすことを住民たちで認めるという運動である。餌やりやトイレの問題もあるが、そうしたことを地域全体で考えて取り組んでいる町もあるらしい。その話を聞いた時には、白次郎とサクラも「地域猫」として暮らせないか、と考えたのだが、その思いも今回の事件で私の中から消え去ろうとしていた。

 白次郎の傷のことを話し始めると彼女は「そういえば」と驚くべきことを教えてくれた。それは、白次郎にとてもよく似た猫を、ここから1キロ以上離れた場所で見かけたというのである。

 「違う子かもしれないけれど、でも、こんなに真っ白で綺麗な猫をあの辺りで見たことはないし、本当によく似ていたの。だから、白ちゃんはもしかすると、昼間、とても遠くまで行っているのかもしれない。その途中で、変な人に遭ってしまった、とは考えられないかしら。」

 その猫が本当に白次郎だったのかどうかはともかく、「外猫」とはそういうことなのだ、と思った。どこで何をしているのかわからない。どこで誰に何をされているのかもわからない。ケガや病気やその他の様々な命を失う危機から守ってやることもできない。それは「猫を飼っている」とはいえないんじゃないのか。もし本当に猫のことを愛しているなら家族として一生面倒をみるべきだし、そのためにはやはり「完全室内飼い」しかないんじゃないか。家の事情はもちろんあるが、私が行動に移さない限り、事態は何も動きはしないのだ。

 

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