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【Opera】東京文化会館オペラBOX『アマールと夜の訪問者』

 2009年から始まった東京文化会館オペラBOXシリーズ(2006年〜8年は「秋のクラシックコンサート」として開催)。今年は新型コロナウイルス感染症が猛威を振るう中での開催となった。演目はメノッティ作曲『アマールと夜の訪問者』。全1幕の作品のため、第1部がトークとミニコンサート、第2部がオペラの上演という2部構成をとった。

 第1部では、朝岡聡のナビゲートのもと、指揮の園田竜一郎と演出の岩田達宗によって、作曲家ジャン=カルロ・メノッティとはどんな人物で、どのような音楽を描く人なのかが紹介された。途中でバリトンの寺田功治、メゾ・ソプラノの富岡明子がメノッティとバーバー(メノッティのパートナーだった)の作品を演奏。コンパクトな中でメノッティの人物像や音楽性がわかり、第2部のオペラへのイメージも膨らむ良いコーナーだったと思う。特に、最後に歌われたバーバーの「聖母の子守唄」が、「自分は貧乏で子どもに何もあげられない」という歌詞によってアマールの母の境遇と重なる、という繋がり方はよかった。

 オペラ『アマールと夜の訪問者』は、1951年のクリスマス・イブにニューヨークのNBCテレビで放送された「テレビ・オペラ」である。イエス・キリストが生まれた時に夜空に輝いた星を目指して、東方の三博士が旅をしてやってきたという聖書の物語を下敷きにしたストーリーで、その後も1967年までクリスマスの恒例番組として放送され、現在でもアメリカではクリスマスの定番オペラとして知られている。主人公のアマールは足の不自由な少年で、母親とふたりで小さな小屋で暮らしている。母子は大変に貧しく、もはやふたりで物乞いをするしかないという境遇。そこに、イエスに捧げ物をするために旅をしている3人の王がやってくる。王たちが休んでいる間に、母親は黄金を盗もうとして従者に見つかってしまうが、アマールが「お母さんを殴らないで!」とかばうので、王たちは母親を許して黄金を与えようと言う。捧げるものすらない貧乏を母親が嘆くのを聞いたアマールが、自分の松葉杖をあげればいいと言うと、奇跡が起こって歩けるようになり、松葉杖を捧げるために王たちと一緒に家を出て行く。

 岩田達宗は、この作品で描かれている「貧困や格差、コミュニケーションの断裂、障害者の苦しみ、社会科が阻害される女性たち、家庭の崩壊、それが引き起こす犯罪」を現代社会と同じだと述べているが、その見立てはまったく正しい。冒頭、空にひときわ明るい尾をひく星が現れたと言うアマールに「嘘ばかりついて!」と怒る母親。貧しさに追い詰められて愛する子どもを理解することができず、共同体の中でも孤立し(村人たちが王に踊りや食べ物を捧げている間、母親は舞台の隅の方でひとりぽつねんと立ちすくんでいる)、ついには犯罪に手を出してしまう彼女のすがたは、依然として性別格差がなくならず貧困や性暴力に晒されている現代女性のあり方と重なってみえる。だとするならば、救い主イエスが誕生した時代のこのオペラの中で、アマールに奇跡が起こることをどう解釈すればいいのだろうか。

 歩けるようになったアマールはそれまで使っていた松葉杖を背負うが、彼が後ろを向くとその松葉杖はちょうど十字架の形になっている。これが、イエスが十字架を背負ってゴルゴタの丘への道を歩いたという聖書の記述を思い起こさせるのはいうまでもない。つまり、アマールはイエスなのだ。3人の王がやってきた時、「こんな子どものことを知らないか」と問うと母親が「それは私の息子です」と答える、という場面があるが、捧げ物を受ける特別な子どもがアマールであればいいのに、という母親の絶望的な思いが伝わってくる切ないシーンで、その思いがラストで叶えられたともみることができるのだ。アマールに起きた奇跡は神の恩寵だが、同時にそれは、アマール自身が人として他者を救う存在になったということも示している。

 ところで3人の王たちは、持ってきたイエスへの捧げ物を母親の元にすべて置いていってしまう。聖書的にいえばこれはありえないのだが、注目すべきは母親の盗みを許す時にメルヒオール王がいう「聖なる子どもは神の国を作るのに黄金は必要ない」という言葉だ。来るべき「神の国」が黄金などの「物質」ではなくただ「愛」によって成り立つということを信じるならば、捧げ物はかえって厄介なものになりかねない。彼らがこれを置いていくという演出は、とてもすんなりと意味が通る。だから母親は、残された捧げ物を見てもそれほど喜ばなかったのだ。アマール=「最愛の存在」がいなくなって初めて、ただ「愛」だけが人を救うという真実に気づいた母親。だが、彼女は手遅れではない。なぜならアマールは必ず帰ってくるはずだから。ラストで彼女がみせた表情には、そんな後悔、切なさ、希望が込められているようだった。このラストシーンからは、貧困や格差に覆われた現代社会の困難も「愛」によって救われるのだという岩田達宗の信念のようなものが伝わってきた。

 アマールの盛田麻央、母親の山下牧子ともに役の性格をしっかりと理解した説得力ある演唱。英語歌唱は日本人にとっては特に難しいと言われているが、ディクションもよくできていた。特に山下牧子は、母親の情愛や貧しさゆえの苛立ち、孤独などがリアルに伝わってきて、思わず涙しそうになる場面も。小堀勇介・高橋洋介・久保田真澄の3人の王、龍進一郎の従者も安定した歌唱で、またコミカルな演技もうまく客席を湧かせた。メノッティの音楽はとても親しみやすく、人間や社会の問題を扱っていても決して闇落ちしない点で「majorなブリテン」という印象。指揮の園田隆一郎のベルカントな音作りの功績は大きいだろう。楽器はピアノ(高橋裕子)、チェロ(水野優也)、クラリネット(須東裕基)の3人だったが、物足りなさを一切感じさせない充実した演奏だった。合唱はアンサンブルが整っており、東京文化会館小ホールの音響の良さも手伝って実に美しい響きを披露した。コロナ禍の中、ホールをはじめスタッフも多くの苦労があったと想像するが、こうしたコンパクトなスタイルのオペラ上演がもう少し増えると、オペラ界全体にまた違った展開もあるのではないかと期待を持った。

2020年8月30日、東京文化会館小ホール。

 

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