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絶頂期にある嘉目真木子〜【Conceert】B→C嘉目真木子ソプラノリサイタル

 嘉目真木子が東京オペラシティの「B→C」シリーズに初登場。ドイツ音楽の中から「哲学者や思想家と作曲家がどのように結びついていたのか」という視点から選んだ作品を演奏した。ピアノは髙田恵子。幼少期にドイツで過ごしたことがあるという嘉目にとって、ドイツという国は「どこか懐かしく、でも自国ではない、なんとも不思議な感じを覚え」る場所だそう(プログラムより)。嘉目にそのような背景があるということは今回初めて知ったのだが、ひとつひとつの作品に対する深い理解を感じさせる演奏にそれが表れていたと思う。

 コンサートはバッハのカンタータで始まり、ベートーヴェン「希望に寄せて」op.94に続いては、ブレヒトのテクストにあの(!)アドルノが曲をつけたという小品を披露。シェーンベルクを評価していたアドルノらしく、初期のシェーンベルクが芸術キャバレーのために書いた歌曲集「ブレットゥルリーダー」を彷彿とさせるところがある。また2曲目の「既成の歌」はアイスラーのブレヒト・ソングのパロディではないかと類推されている通り、アイロニカルな表現が面白く、嘉目の新境地をのぞかせる。

 コンサートの最初の山場は、前半最後に置かれたリームの「メーリケの詩による2つの小さな歌曲」と「3つのヘルダーリンの詩」で訪れた。この日初めて譜面台を立てた嘉目の、ドイツ語の自然なディクションが耳に残る。極力ヴィブラートを排した発声で、特に高音域でのピアニッシモが美しい。ダイナミクスの幅の広くない音楽だが、その中で可能な限りの奥行きを感じさせる歌唱は、嘉目の歌曲に対する高い能力をはっきりと示したといえるだろう。

 後半はワーグナー「ヴェーゼンドンク歌曲集」でスタート。ワーグナーのオペラを得意とするソプラノによる演奏だと良くも悪くも「オペラ的」であるのが気になることがあるが、嘉目の演奏はこの作品の「歌曲」としての側面を際立たせるものだった。ピアノ伴奏であるということが功を奏した部分はあるにせよ、音楽の内へ、中心へ、核へと向かっていく力を持っており、強い内的な緊張感に支配されている。マティルデ・ヴェーゼンドンクとワーグナーの密かな関係が生み出した作品である以上、やはりこの曲はこのように演奏されるべきなのではないだろうか。と同時に、嘉目真木子が歌い演じるワーグナーのオペラも聴いてみたいと思った(”ワーグナー嫌い”としては、ワーグナーのイメージを一新してくれるのではないかと期待したり)。

 コンサートの白眉がラストに置かれたライマンの「私を破滅に導いた眼差し」だったことに異論は出まい。これは、ゲーテが『若きウェルテルの悩み』の翌年に書いた戯曲『ステラ』の第5幕のステラのモノローグに作曲したもの。愛した男フェルナンドのかつての妻と娘をそうと知らずに奉公人として迎え入れたステラが、すべてを知って驚き、怒りと悲しみの中で愛を求める内容。伝統的な有節歌曲のように1音に1音節が乗せられるのではなく、時に1音節が2音や3音に分節されているが、嘉目は明瞭な発声で言葉の意味を際立たせ、さらにそこに混乱したステラの心情を乗せてくる。また、ピアノの内部奏法による音色の変化に声の変化を対応させるのも見事だ。比較的長い曲だが、刻々と移り変わっていくステラの心の変化に対応して音楽が変化していくので、まるでシーンが移り変わっていく映像をみているかのように感じられた。非常に「劇的(ドラマティック)」であるという意味ではこのコンサートの中でもっとも「オペラ的な」作品だったのではないだろうか。

 今年3月にトッパンホールで行われたリサイタルを聴いた時、私は嘉目真木子の「成熟」を堪能したと書いたが、今回、彼女はさらに飛躍的な進化を遂げたといっても過言ではない。歌手・嘉目真木子は今「絶頂期」にある。そう断言できる。

2021年11月9日、東京オペラシティ リサイタルホール。

 

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