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【Opera】藤原歌劇団『フィガロの結婚』

 今年のオペラ初めとなった藤原歌劇団『フィガロの結婚』は、2012年初演のマルコ・ガンディーニ演出のプロダクション。トランクやベッドボード、机に椅子など最小限の道具立てで、部屋の見取り図が描かれた壁が動くことで場面転換を行う。シンプルながらセンスはよく、また照明なども使い、その場面場面での登場人物の関係性や心理を見せる手法はわかりやすい。大学の授業でも『フィガロの結婚』を扱っているのだけれど、このオペラ、超有名なわりには実は「初心者向け」ではないと常々思っている。人間関係が複雑に入り組んでいる上に物語上の仕掛けや事件が多く、そして何より「長い」。いわゆるオペラの「リテラシー」のない人が見ると混乱する上に退屈、ということになりかねない。ガンディーニ演出はその辺りを(おそらくそれほど多くはない予算の中で)うまく作っていると思う。

 さて、1都3県に緊急事態宣言が出された翌日という、音楽業界的には最悪のタイミングで行われた本公演だが、1席空けの客席やホール内の感染症対策は細やかに神経を配っていた一方で、舞台上の歌手全員(と指揮者)がフェイスシールドを着用していたのには疑問符がつく。すでにフェイスシールドには飛沫防止効果がほとんどないことがわかっているのだから、声の響きを阻害するだけの代物をわざわざつける意味がわからない。もちろん、マスクをつけて歌うわけにはいかないのだろうが、それならば舞台上のディスタンスを広く取るなどの工夫で対応するべきだったのではないか。

 このような悪条件の中で、歌手陣はよく奮闘していたと思う。谷友博のフィガロは面白おかしく企みを実行する切れ者、というよりは、ただ一筋にスザンナを愛して真面目に生きていこうとする「庶民の代表」というキャラクター作りに好感が持てた。スザンナの中井奈穂は、出だしやや音程に不安なところがあったものの上り調子に声が安定してきて、達者な演技も相まって「スーブレット」の特徴をうまく出すことに成功していた。いうまでもなく『フィガロの結婚』という作品は「貴族(持てる者)と庶民(持たざる者)の対比」が大きな柱だが、フィガロとアルマヴィーヴァ伯爵、スザンナと伯爵夫人はそれぞれ同じ声種が歌える役柄。それだけに声の表現の対比がひとつのポイントとなる。その点、須藤慎吾の伯爵、西本真子の伯爵夫人の表現は見事に「貴族的」だった。特に須藤は、伯爵の心のアップダウンを声の強弱、柔らかさと強さで歌いわけていて、その表現力は全体の中でも群を抜いていた。

 指揮は若手で最近オペラの舞台で頭角を現してきている鈴木恵里奈。テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラからモーツァルトらしい溌剌とした響きを引き出すことには成功していたが、重唱の場面でしばしば歌手とオケがズレてしまいヒヤヒヤした。やはりモーツァルトのアンサンブルは難しいのだろうが、今後の一層の研鑽が望まれる。

2021年1月8日、テアトロ・ジーリオ・ショウワ。

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