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【Opera】日本オペラ協会『よさこい節』

「土佐の高知のはりまや橋で、坊さん簪買うを見た」でおなじみの高知の民謡「よさこい節」。オペラ『よさこい節』は、この歌詞の元になった幕末の実話を元に高知出身の作家土佐文雄が書いた小説『よさこい情話 純信お馬』を原作にして、オペラ作曲家として名高い原嘉壽子が台本・作曲を手掛けた作品である。初演は1990年。今回は、2014年に亡くなった原嘉壽子の追悼公演として、実に25年ぶりに新演出で上演された。

舞台は安政元年の土州長岡郡五台村(高知市東部)。この年に安政の大地震があり、実はこの地震がドラマにおいて大きな要素になっている。

五台山妙高寺には住職純信と、修行僧の慶全がいる。お城での年季奉公があけて戻ってきたいかけ屋の娘お馬に慶全は恋をするが、お馬は慶全にお徳という後家の愛人がいることを知り彼を軽蔑し、逆に人格者と名高い住職の純信を慕うようになる。妙高寺の大祭の日に大地震が見舞い、共に火事を消し止める中で、純信とお馬の心は通じ合っていく。一方慶全は、お馬の気を引こうと寺の秘仏である愛染明王像を質に入れて得た金で珊瑚の簪を買うが、お馬は相手にしない。嫉妬に燃える慶全はお徳を使って、純信がお馬のために簪を買ったと言いふらす。当時、真言宗の僧侶は妻帯が許されておらず、純信とお馬の道ならぬ恋は人々に揶揄、糾弾され、ついに二人は駆け落ちをする。しかし結局捕まってしまい、3日間の面晒しの上、離れ離れに追放されてしまう。

演出を手がけた岩田達宗は、この物語の真の主人公は「民衆」だといっている。安政の大地震という惨事を経験した人々の心に生まれたやり場のない悲しみや憎しみが、純信とお馬の恋愛を必要以上に糾弾し、悲劇へと向かわせたのではないか、というのが彼の見立てだ。なるほど、村人たちが歌う合唱の部分の音楽には、民謡の「よさこい節」のメロディの断片が動機として織り込まれ、実に多彩な発展をしている。そうした音楽に呼応して、「名もない人々」の姿が丁寧に、繊細に描き出される。その姿は、近年になって大きな震災を体験した私たちにとって、残酷だが生々しい現実かもしれない。

舞台となったのは五台山竹林寺。古来、竹は墓の上に植えられたということから、岩田は竹林を「名もなき人々の墓標」ととらえた。第1幕で寺の境内に立てられていた卒塔婆が、大地震を経た第2幕では明らかに数を増しているのに目を奪われる。下品な野次で純信とお馬の恋を囃し立てる人々の立つ地面の下には、膨大な数の死者がいるのだ。竹という「名もなき人々の墓標」に囲まれた舞台では、どんなに華やかな場面にも暗い「死」の影がつきまとっている。

一方、物語自体に含まれている女性観、のようなものには、反発を覚えてしまった。お馬は16歳だが、奉公先の殿様に手をつけられて家に帰されてきた。第1幕、彼女が周囲を全て拒絶するような固い雰囲気で登場するのは、そうした事情による。そんなお馬の美貌を村の人々は「五台山小町」ともてはやす。慶全は言う、「これまでいろんな女に言い寄られてきた俺が、お馬には心を奪われてどうしたらいいかわからない」。純信は言う、「この娘は、自分で気がついていないかもしれないが、その仕草や美貌に男の心はかき乱されずにはいられない」。お馬にフラれた慶全は寺を飛び出して落ちぶれ、お馬と愛し合った純信は罪人として追われた。お馬は「男の人生を狂わせるファム・ファタール」だというのか。

お馬は、純信に心中を持ちかけられ、「私たちは何も悪いことをしていないのだから、結婚が許されるようになるまで待とう」と説得するほどの賢さを持ち合わせている。捕まって晒し者にされた時も、「私たちは何一つ悪いことはしていない。悪いのは罰するお上の方だ」と高らかに言う強さもある。それは、いわゆる「悪女」的な強さとはまったく異なるものだ。言ってみればそれは、愛に純粋であるがゆえの強さだ。ちなみにこのシーンでのお馬のアリアについて、お馬を演じた佐藤美枝子は「ベルカント唱法が思い切り活かされた曲でイタリア・オペラのヒロインに重なる部分がある」と語っていたが、まさにお馬の強さがまっすぐに届くアリアだった。

音楽的にはお馬は決してファム・ファタールのようには描かれていないが、先に述べたように男たちは彼女をそのように扱う(テクストになっている)。お馬のピュアな愛に応えるならば、男たちはお馬を自分のものにしようと奔走するのではなく、彼女が彼女らしく生きるために支えてやるべきではないのか。純信にしても、本当に「仏様のような」「大人の男」なら、(すでに傷物になってしまったという過去を背負っている)彼女には決して手を出さず、深い愛で見守るべきではなかったのか。このオペラが「古くさい価値観」を背負っていると観客に思わせてしまうのは、とても惜しいだけに、例えば演出面でそこにフォーカスした描き方はないのかと考えさせられた。

歌手陣では、やはりお馬の佐藤美枝子が秀逸。完璧にコントロールされた声で繊細な表現をつくりあげていく。最初は暗く固いお馬が、愛に目覚め強く成長していくさまを見事に演じていた。泉良平の純信はどっしりとした存在感があったが、やや声が伸びないところがあったのが残念。慶全の所谷直生は美声を活かし表現力豊かな歌唱。他には、よさこい節を歌い上げる村人のひとり弥七の市川和彦が印象に残った。

写真:伊藤竜太

2017年3月4日、新国立劇場中劇場

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