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アンではなくアグネスとしてー『ハムネット』書評

第二回翻訳者向け書評講座に参加しました。
です・ます調で書いてみたのは、自分の書く文章がいつも似通ってしまうのが気になっていて、ちょっと変わった感じにしてみたいなと思っていたからです。
前回の、講師の豊崎由美さんの「です・ますで書いてみるのもおもしろいですよ」という言葉がずっと頭に残っていて、それでやってみよう!ということになりました。
なので、です・ます調にした以外にも、自分では普段使わないような言葉を入れてみたり、語り掛けるようにしてみたりしました。
もっと砕けた印象にしてみたかったのですが、そこまでは力が及ばず、中途半端になってしまっていたかもしれません。
以下は、講座で豊崎さんから指摘していただいたところや、参加者の皆さんからの意見を踏まえて書き直したものです。
読んでいただけたら嬉しいです。
さあ、次回はどんなチャレンジしてみようかな。
 


 ウイリアム・シェイクスピアの妻、アン・ハサウェイは悪妻として名が通っているそうで、その根拠としてよく挙げられるのが、シェイクスピアよりも八歳年上だったこと、できちゃった結婚だったこと、ロンドンに出て劇作家となったシェイクスピアがあまり家に帰らなかったこと。本書の訳者あとがきによれば、作者であるマギー・オファーレルはアンのこのような言われ方に衝撃を受け、記録を調べ、彼女に貼られた従来のレッテルを否定して全く新たな人物像を作り出し、この小説を書き上げたのだそうです。アンではなくアグネスという名前にしたのも、アン・ハサウェイという名にこびりついた先入観を読者に捨てて欲しかったためとのこと。当時は名前の綴りが一定ではなく、アグネスという名だった可能性もあるのだそうです。おもしろいですよね。
 そうした作者の熱い思いから生まれたアグネス、実に魅力的な女性です。タカを飼いならし、暗い森を一人でうろつき、植物を集めて薬を作ったり、相手の手を摘まんで心を読み取ったりもします。そんな魔女めいたところのあるアグネスを周囲は変わり者扱いしますが、彼女の義理の弟たちにラテン語を教えていた家庭教師は一目見たとたんに魅了されてします。本書の第一章では、アグネスが恋をして身ごもり、結婚し、やがて夫をロンドンに送り出すまでのストーリーと、十一歳になった息子のハムネットがペストに罹って亡くなるまでのストーリーとが交互に語られていきます。
 第二章はハムネットの葬儀の場面から始まり、アグネスは息子を死なせてしまった自分を責めて苦しみます。でも、劇作家として成功した夫はそれほど悲しんでいる様子をみせず、葬儀の二日後にはロンドンに戻ってしまいます。その後手紙は届いても本人は偶にしか現れず、手紙も次第に短く、ぞんざいになっていきます。そんな夫に不信感を募らせていくアグネス。そしてある日、夫の書いた新作の悲劇のタイトルが死んだ息子の名前であることを知ります。(ちなみにハムレットとハムネットは同じ名前で、当時はどちらを使っても差し支えなかったそうです。)四年前に死んだ息子は「語られたり演じられたり見世物になったりするものじゃない。」アグネスはショックを受け、憤り、そして……。
 『ハムネット』の舞台は一五八〇年代、日本でいえば豊臣秀吉が活躍したあたりの時代です。ずいぶん昔の話だと思うかもしれませんが、読んでみると、さまざまな出来事がまさに今、目の前で起きていることとして感じられます。その効果を生みだしているのが、「~した」という過去形ではなく「~する」という現在形の文章が続くこと。多くの小説が過去形で書かれているのに現在形の小説なんて不自然では?と思うかもしれませんが、いったん話の流れに乗ってしまうと違和感なく、逆にテンポよく読み進めることができます。
 それから、登場人物の心の内を当人に語らせるのではなく、情景を細かく丁寧に描写していくことで読者に感じ取らせていることも、臨場感の要因のひとつだと思います。ある人物の見たもの、感じた香り、手触りなどを読んでいくことで、読者はその人物と同じ経験をし、その時の感情を自分のことのように感じることができるのです。
 さらに、人間関係が現代的に描かれていることも時代の隔たりを感じない一因かもしれません。特にアグネスの継母、義理の母と妹、娘たちといった女性がそれぞれ輝きを放ちながら自分のすべき仕事をこなし、お互いに反発や嫌悪を感じつつもいざとなれば助け合う様子はまさしくシスターフッド。現代を生きる私たちにそのまま通じるものがあると感じました。
 アグネスが果たしてどんな女性でどんな妻だったのか。そして彼女と夫はどうなっていくのか。どうか自分で読んで確かめてみてください。
(1546字)

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