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湯呑みの交替

長年使ってきた「左馬」の夫婦揃いの湯呑みを落として割ってしまいました。
代わりに、香蘭社の黄色と白の色違いのペアを2セット購入しました。

写真左手の「左馬」の湯呑み。
一見、すし屋のコップとも思える形と大きさ、頑丈さ。
これにまつわる思い出を綴って、湯呑み交替の儀式にしたいと思います。

18年くらい前のことです。
当時、夫の転勤で四国の徳島におりました。
慣れない土地での生活は、転勤の多い我が家にとってはいつものことでしたが、引っ越した当初は子供がまだ生後半年と2歳半で知り合いもなく、
夫は仕事が忙しく、孤独感いっぱいの幕開けでした。
地元の新聞に掲載された育児サークル立ち上げます!というコラムに藁をもつかむ想いで問い合わせ、貴重な仲間ができました。
地元の人もいましたが、多くは転勤できた人たち、出身はそれぞれでしたが
意気投合し、子供たちが幼稚園や保育園にあがるまでのたくさんの時間を共に過ごしました。

サークルの代表をしていた地元の私より10歳も若い明るいママは、
引っ越してきたばかりの私たちに、たくさんの徳島の魅力を一緒にまわったりもしながら教えてくれました。

この「左馬」の湯呑みがあった陶芸窯元の陶芸屋さんを紹介してくれたのも彼女でした。

鳴門の大谷焼という窯元がいくつか並んでいるストリートがあります。
四国霊場八十八か所(いわゆるお遍路さん)の一番目のお寺 霊山寺にも近いところです。

大谷焼は、お茶碗なども売ってはいますが、大きな睡蓮鉢に適した焼き物で分厚く丈夫です。華やかさとはちょっとかけ離れた感じはあります。
連れて頂いた陶芸屋さんは、大西陶器というところでした。
今は、とてもきれいな社舎になっているようですが、失礼ながら当時は
販売所は綺麗でしたが、裏の製作所や陶芸教室の小屋は、NHKの朝の連続ドラマ「おちよやん」の実家周辺の雰囲気を想像できそうな風情のあるところでした。

その数年後、二女も幼稚園に通うようになり、少し自分の時間も持てるようになったので、大西陶器さんの陶芸教室に行ってみました。

陶芸教室といっても、当時は私一人。
初代窯主の大西さん(今はHPでみると息子さん夫妻も加わっていらっしゃる模様)が土のこね方から手びねりのやり方から指導をして下さいましたが、
創作中は、小屋に私ひとり。たまに様子を見に来てくださいましたが、
好きなように時間いくらでも使っていいからと言って下さり、
完全に無になって土と向き合う貴重な時間となりました。
大きな筒状の香炉を作りました。ライトといれて灯りをともすと、開けた穴から灯りがもれます。そのライトの熱で上においたアロマオイルが少しづつ香るというもので、我ながら大満足でした。
写真がないのが残念です。。。現物も何年か使って室内でボール遊びをしていた子供のボールがあたって倒れて割れてしまい😿

それから、しばらくして夫の転勤で徳島を離れ
3年後、また2度目の徳島赴任で戻ってきました。

懐かしく大西陶器のHPをみたところ、
新しい登り窯を作った初釜の祝いに「左馬」を入れた湯呑みを限定販売すると書いてあり、ひさしぶりに大西陶器を訪問しました。

それが冒頭の写真の左側の湯呑みです。

左馬とは、初釜の時だけに入れられる馬が反対になっている文字を言います。ウマを逆さ読みしてマウ、舞うというおめでたさのシンボルだそう。

すでに自作香炉を割ってしまったため、それに代わる思い出として購入させてもらい、初代窯主に登り窯を見せて頂きました。
今から10年くらい前のことです。

10年来使ってきた左馬の湯呑み、今は一客だけとなってしまいましたが、
たっぷり入って手で持っても熱くならないので、これからも一人お茶の時は使っていこうと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


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