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世界を見渡すとできることが、何故日本で出来ない!?

ふと、Twitterを見ていたら、駐日英国大使の着任1年記念の動画が流れていた。


英国が第二の祖国と思っているくせに、現在の大使を存じ上げなかったわけだが、どうやら初の女性駐日英国大使らしい。素晴らしく流暢に難しい日本語を喋べっておられて、感服した。

勿論、そうなると、私の場合、鬼リサーチである。ジュリア・ロングボトム。58歳。夫、成人した子供3人。子供のうち1名(東京生まれ)は女性クリケット選手。昨今同じく女性クリケット選手との婚約を発表。ジュリアはケンブリッジ大学卒業後、英国外務省入省。少数言語を一定数の職員が学ばなくてはならないことを知り、日本語を自ら語学選択。今回で3回目の日本赴任。

ほう、ほう、ほう。

↑先ずは、外交官で、それこそ色〜んな国に駐在している中で(東京のみならず、NYC、ハーグ、ブリュッセル、ワルシャワと色んなところに駐在している)、夫もいて、子供も3人産んで、キャリアアップして。

お〜、これ、正に、私がずっとやりたかった人生だよ。
どうして、これが、できるんだ!!!???

どうやら、現在の夫はケンブリッジ在学中から付き合っており、外務省入省後、日本語選択をする際に、当時はボーイフレンドであった彼にジュリアは相談したらしい。日本は当時経済大国で、東京であれば、夫の職も探しやすいだろうというのが、日本語選択を後押ししたとインタビューで語っていた。そして、どうやら今回の日本への赴任中は、夫はキャリアブレイクを取っているらしい。

お〜、お〜、お〜。

これこれこれ。このフレキシビリティだよ。私は未だかつて、所謂ハイスペ男子(←この言葉、死ぬほど嫌いだけど、説明が楽だから仕方なく使う。昔の3高のことだよね?きっと)の中で、↑のようなフレキシビリティを備えた日本人男子に出会った頃がない。敢えて、言う。「日本人男子」に出会ったことが、ない。

外国人の友達には、それこそ何人もいる。妻が理由で日本に移住し、職を得て暮らしている人を。妻が理由で、海外に移住し、職を得て暮らしている日本人男性を、今のところ事例で知っているのは、「1人」くらいか?でも、それも日本人男性ではあるが、ずっと海外育ちで日本語がむしろおぼつかないので、日本人と言っても良いのかが、わからない。

日本人の男子。しかも、日本で育った男子(しかも、ハイスペ男子)は、やっぱりどこかで、キャリア上、譲るのは自分ではなく、相手だと思っている。。。これ、認めたくないけど、ずっとヒシヒシと感じてきたこと。

「譲る」ってなんだろう?って思うのだが。別に「譲って」ないよね?その選択をすることで、もしかしたら圧倒的に選択肢が広がる可能性だって、あるのにさ。と、いつも思う。

どういうわけだか、私の出会った多くの日本人ハイスペ男子は、同じようなハイスペ女子を好まない。自分より稼ぐ女子、自分より学歴が上と思われる女子、自分より力がありそうな女子、そういう女子が好きでないらしい。

今でもあるのだとは思うが、東大のインカレテニスサークルは、都内の女子大学生と東大男の出会いの場で、東大女子は入れて貰えなかった。セレクションなるものを実施し、スペックで男子・女子も入部が認められる。つい先日まで、同じ高校に通っていた女子大学生と構内で出会う時の気まずさよ。向こうは、ハイスペ男子に囲まれて、構内をまるで我が校のように華やかに闊歩している(ように見えた)。しかも、多くの男子はそのインカレに入りたくて、そこのセレクションに残念ながら入れなかった男子たちが、他のサークルに入る。なんだよ、そのシステム!!と当時から、私は怒り心頭だった。

でも、相変わらず、可愛げのある女子が求められる。料理の出来る女子が好まれる。俺が守ってあげないといけないような女子が、どういうわけだか、日本人のハイスペ男子は求めているのだ。

最近、フィンランドのNATO加盟の道を模索というニュースが流れていて、フィンランドのマリン首相が度々映像で出てくる。

マリン首相は、36歳だ。彼女のインタビューを読んだときに、愕然とした。私は、自分が女性であることで、できなかったことはありませんし、社会全体がそうであると信じています、というようなことを言っていた。

これを言える、彼女が心底羨ましく思った。私も、心情ではそう思って生きている。自分が女性であることで、出来なかったことは、何一つない。でも、もし、自分が同じ立場で男性だったら?もっと、もっと、生きやすかったかもしれないと、思うのだ。もっと、自分の持っているものに、自信が持てたかもしれないとも思うのだ。

選択的夫婦別姓論者である私は、婚姻に際して、自分の姓を変えることに、本当に本当に抵抗があった。それでも、現行の制度の中で、受けられる権利や、仮に婚姻しなかった場合に生じる色々な不利益を天秤にかけると、法律婚を選んだ。そして、認められないだろうなとは予測したが、一応、「貴方が姓を変えるという選択肢もあるよ?」と夫に言った。それを聞いた夫の父親には「そんなことを言う人は、嫁には要らない」と言われた。そんなことを言われるのには、もう慣れっこだったけど、でも未だに覚えているくらいに、傷付いている。そして、パスポートは、特別に書類を追完して、両姓併記にしているが、その他の公的な書類には私の婚姻前の姓はない。仕事もずっと婚姻前の姓を使用しているが、弁護士としての証書には婚姻姓が記載されている。

そして、こういうことを言うと、それだから弁護士の女性は厄介だ、とか。可愛げがないと言われる。バンカーだった時代は、その年収の女性と誰が結婚するんだろうね?とか言われた。これ、自分が男だったら、言われれない、セリフだよね?

そこに、いちいち、「女性」って入る必要性、あるのかな?私は私であって、女性である部分は私の一部だ。人には色々な要素があって、性別はその一部に過ぎない。

それなのに、この社会では、「性別」というカテゴリーに根ざしたバイアスが沢山ある。そして、それを殊更に意識しない人たちにとっては、当たり前のバイアス過ぎて、意識されないアンコンシャス・バイアスとして社会に蔓延っている。

そして、その社会に生きている以上、自分がそのバイアスに無関心でいられないこと、それを意識しないで暮らせないことが、益々それに囚われているようで、なんとも悲しい。

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