コンビニ廻るよ、どこまでも〜夜〜

昼勤務の女の子、なんだか嬉しそうだったな。
時々ニヤニヤして、ちょっと怪しかったけど…
時刻は21時頃。帰宅ラッシュも落ち着いてきた。
畑中真守は発注する商品の確認をするため、店内を見回る。一息つける時間帯になると、つい色んな事を思い出してしまうのだ。
今日は煙草が品切れにならなかったな、店長は今日も出勤してるけどいつ寝てるんだろ…
浮かんでは消えていくが、最後に考える事はいつも同じ。

「俺…この先どうしたら良いんだろ…」

愚痴めいた言葉は、胸元の名札に落ちていく。
はたなか、と書かれた横には、ガチガチに緊張した顔の写真。
大学を卒業後、就職した会社は超絶ブラックで、仕事が終わらずに会社で寝る事もざらだった。
そんな生活に体が悲鳴をあげるようになり、最後の気力を振り絞って退職。その頃には疲れきっており、転職の準備も再就職の当てもなく、小学生から貯めていた貯金を崩す事と、幸い実家なのでなんとか生活していた。
このままではだめだと、一年後に就職活動を始めるも、働くことが怖くなっていた。
上司からのめちゃくちゃなノルマ、取引先からの理不尽なクレームを日常的に受けていたのがトラウマになって、面接まで進めない。
そんな時、職安からの帰り道で見かけたこのコンビニの求人ポスターをみて、何故か勢いのまま面接を申し込んでしまった。
接客業なんてやった経験は一切なく、ましてコンビニなんて…と絶望しきっていたのに、結果は合格。
「経験が無いのでしたら最初はアルバイトからですが、一通り覚えたら社員になって頂きますね」
穏やかな声を上の空で聞きながら、まずは写真を撮ってきて欲しいと言われ、証明写真機に入った瞬間、緊張。どうしても笑顔になれず、社員に昇進した後も、結局同じものを使っている。
だが、せっかく受かったこの仕事も、自分に向いているのか分からなくなっていた。
店長の日比谷は優秀で在庫や金銭管理は機械のように正確だし、分からない事は何度でも教えてくれる。陰口を言われているのを見た事がない。
休みもしっかり取らせてくれる。
だが、ふと不安になるのだ。
自分は必要とされているのだろうか。
畑中は、このコンビニの中で、自分が働いている意味や実感を感じる事が出来なかった。
今の生活に不満はないはずなのに、イマイチやる気に繋がらない気がするのだ。
不規則な就業時間や未だに慣れない発注作業のせいかとも思ったが、そういう訳でもない。
そんな自分に益々嫌気が差してくる。

「畑中さーん、お疲れ様でーす」

「あ、お、お疲れ様!」

21時に上がるバイトの子が挨拶を投げてくる。
店長も食事休憩から戻ってくるはずだし、そろそろ夜勤の準備をしなくては。

ぴんぽーん。

「こんばんは」
「あ、こんばんは。いつもありがとうございます」
入ってきたのは、一目でサラリーマンと分かる年配の男性である。
会計の時に「今日は寒いね」、「これは新商品ですか?」と気さくに話しかけてくる、気の良い常連さんだ。
慌てて発注を終わりにしようとした畑中に、男性は気にしないで良いよと、にこにこしながら棚の間へ消えていった。
自分がブラック会社にいた頃は、あんなゆったりしてコンビニに来ること無かったなあ。
いつもくたくたに疲れ果て、エナジードリンクを買う位しか出来なかった当時。絶対に戻りたくないはずなのに、仕事をしている、という気持ちはあの時の方があった。
自分のような人間は、擦りきれる程働かないといけないのではないか。
もっともっと、頑張らなければ…

「すいません。コロッケと焼鳥をください」

いつの間にか、男性がレジに立っている。
「も、申し訳ございません!ただいまお持ちします!」
固くなっていた体を無理矢理動かして、ガラスケースの前まで走る。
「ゆっくりで構わないですよ。
どうせ帰るだけだから」
「あ、はい!」
コロッケと焼鳥を袋に入れている間に、男性はビールとサワーの缶をレジに置いた。
いつもと違うな、という畑中の表情に気づいたのか、男性が恥ずかしそうに微笑んだ。
「今日は、妻の誕生日なんだ。
ささやかだけど、これでお祝いしようかと思ってね」

「それは素敵ですね。おめでとうございます」

「ありがとう。あ、ちょっと待っててくれるかな」

「はい、かしこまりました」
会計を終えると、踵を返して歩いていく。
コロッケと焼鳥冷めないかな、と考えていると、ことり。
「コレもお願いします」
男性が置いたのは、いつも買っていく缶コーヒーだった。
「150円だよね。
それでこのコーヒー、貴方にあげます」
「えっ?」
代金を置くと同時に言われた言葉がうまく理解できず、大きな声が出てしまう。
「さっき、妻の誕生日をお祝いしてくれたお礼。
それと、こんな時間まで頑張って働いてくれる人に感謝の気持ちも込めて」
「あっ…いや、そんな、悪いですよ!
俺、じゃなくて、私も仕事ですし」
全力で首をふる畑中に、男性はすっと真面目な顔つきになった。
「それともうひとつ。
僕が来た時の貴方、とっても辛そうな顔をしてたから」
「えっ?」
「老婆心という奴かな、若者のそんな顔を見ると、ついお節介をしてしまうようになってねえ」
僕も年をとったもんだ。男性はいつもの穏やかな笑顔に戻る。
「も、申し訳ありません!お客様にお気を使わせてしまって」
慌てて頭を下げる。
情けない顔を見られて恥ずかしいやら、気を使わせてしまって申し訳ないやら、色んな感情がぐるぐるしてしまう。
どうしたら良いだろうか。無かった事には出来ないまでも、男性に気にしないでもらう方法を見つけなければ。
頭では考えるけれど、言葉は出てこない。
あーやっぱり俺は仕事も出来ない、駄目な人間なんだなあ…

「僕も仕事に悩んでたんだよ。若いとき」

はっと顔を上げると、男性の目は遠くを見つめていた。

「上から渡された物を、また下へ渡すような仕事ばかり。
自分は何故ここに居るのか、ここに居て良い理由が分からなかったんだ。今だから分かる事だけどね」

ここに居て良い理由。

その言葉に、何故か心臓の鼓動が早くなった。

「とにかく動き回った。どんな仕事も頼まれれば断らなかった。
けれど結局、歯車のひとつに過ぎない。他へ回す作業が増えただけだ。
そんな想いを抱えたままではいつかミスをおかす。
僕はミスをしてしまった。どうにか同僚達が助けてくれたんだが、ひどく落ち込んでしまってね。上司から少し休めと言われたのも相まって、無力感からか、仕事に対する恐怖が生まれてしまった。
ただ回していたと思ったのはとんでもない思い上がりだ。
上司からも部下からも助けられていたのを勘違いして、自分は出来ると思い込んでいた。それが酷く情けなかったよ」
「そんな…」
事はない、とは言えなかった。その時の彼の気持ちを考えると。
「でもね」
男性がこちらを視る。その目は、今の畑中を見つめていた。
「その時、言われたんだ。『貴方は、誰かの居場所を作る仕事をしているのよ』ってね」

「居場所を、作る…」

「それまでの僕は、自分の存在を主張して、誰かにすがっていたんだ。あなたはここに居て良いんですよと無条件に言ってほしくて。
居場所を新しく作るなんて考えたこともなかった。まして、じぶんのために作るというのもね」
ふう、と男性はひと息いれた。その動きには今までとは違う感情が含まれているように、畑中には思えた。
「貴方が仕事を渡すときは、必ず相手の目をみて真摯に話していた。『貴方が必要なんです』という想いを添えて。だからこそ、同僚の方々は助けてくれたんですよ」
「…上司がそう言ってくれたんですか?」
いや、と彼は少し言いよどんだ。
「同僚の女性にね。ただの仕事仲間としか思ってなかった相手に言われて、びっくりしたもんだよ。
けど、目が冷めた想いだった。

『誰かの為』に居場所をつくる。

僕がそんな仕事をできるなら、これまでやってきた全てが無駄じゃなかった。そんなふうに感じたんだよ。
…まあ、その同僚が、恥ずかしながら今の妻なんだけれどね」
「…いえ、とっても素敵なお話です」
照れくさそうに頬をかく男性になんと言って良いか分からず、思ったままの感想になってしまう。
感じたことの無い心の動きに自分でも戸惑っていた。
「すいません、せっかくお話してくださったのに、平凡な返事しか出来なくて」
「つい僕の昔話をきかせてしまったね。
でも、これは君の話でもあると思ったんですよ」
「…へっ?」
「君は今の仕事に、自分の人生はこれで良いのかと悩んでるように見えたから」
「あっ…」
まさか見透かされていたとは。
「誰かの居場所をつくる仕事。
お店にくるお客さんに対して、貴方は一生懸命仕事をしている。
お客さんに対しての気遣いや、バイトの子にもさり気ない優しさを、一人ひとりにかけているよね。
それにこのお店は、お客さんの役に立ちたいという気持ちで作られていると思う。誰かが必要としている品物を届けたい、みんなの為に使いやすく工夫しようって。
そしてそれは、まぎれもなく貴方の仕事の結果だ。
もちろん他の店員さんの努力もあるだろうけど、その中の一部として、貴方は立派に仕事をしている。
だから、貴方は、けっして間違いなんかじゃないんだよ」
穏やかな男性の声は、確かな熱を帯びていた。それは決して慰めではなく、本当に思っているという事のあらわれ。
ふと、畑中は自分の視界がぼんやりしている事に気が付いた。
「ああ、無理やり年寄りの昔話を聞かせてしまって申し訳ない。
…でも、これは本当に僕が感じている事なんだ。勝手な感想だけど」
「いえ!」
腕で乱暴に涙を拭う。行儀が悪いと思いながらも、溢れてくる涙は止まらなかった。
「ありがとうございます。お…私も、自分がこの場所で必要とされてないんじゃないかって、勝手に落ち込んでました。
でも、このコンビニの一部だって、私の仕事を評価して頂けて、感動してしまって。
…きっと誰かに、言葉にして伝えてほしかったんです」
「そうですか」
ほっとした表情を浮かべながら、男性はレジ袋を持ち上げた。
「他の誰かも、きっと貴方に感謝してますよ。僕の若気の至りも役に立ったなら、こんな嬉しい事はないです」
「ありがとうございます。
でも、その言葉をお客様から言ってもらえたのが、本当に嬉しかったんです。
もっともっと、ここを良い場所に致しますので、今後もよろしくお願いします」
「こちらこそ。妻に良いお土産話が出来たよ」
「はい。…あと、コーヒーもありがとうございます!」
軽い足取りで帰っていく男性へ、深くお辞儀をする。
ふと見ると、結構な時間が過ぎていた。そろそろ発注も終わらせなければならない。涙でぐしゃぐしゃの顔も整えなければ。
気合を入れるため、発注用のタブレットを立ち上げる。
いつもは憂鬱が入り交じるその作業が、今日は誇らしくて仕方なかった。

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