眠れぬ夜は、難しい



眠れない。
その時、芙美の頭にあるのはそれだけだった。
時刻は深夜。何時になったかは恐くて見ていない。
普通なら、明日の仕事がいやだから、初デートだから、という理由が思い浮かぶだろうが、違う。
久しぶりの連休、残念ながらというべきか、特に予定は詰まっていない。しかも今日は連休二日目、何を心配する事もない、はずだ。
金曜日に送ったデータに不備があって気になるという事も無いし、後輩の関根さんにイラっとする一言を言われた事でもない。というか関根さん、その発言を聞いていたイケメンの先輩にたしなめられて、ショックを受けていた。是非来週から心を入れ換えて欲しい。
そもそも、メンタルが強いと友達から言われている通り、明日が不安で眠れないという経験が無いと言っても良い。
それ故に、眠れない夜は初めてで、どうすれば良いのか分からない。
何度目かの寝返りを打った時、陶器のリスの存在を思い出した。
メンタルが強いと評した友達から誕生日プレゼントとしてもらった物で、中にアロマオイルを入れる事が出来る。
つまりアロマポッドなのだが、今まで使う機会が訪れず、部屋のインテリアとして飾るだけだった。
今こそ使うべきだと判断した芙美は、明かりをつけて、棚の上に置いていたリスをそっと手に取る。
オイルも一緒にプレゼントされていたので、すぐ使える。
可愛らしいリスは、頭の上にお皿を抱えていた。そこにオイルを垂らすらしい。
電気の熱で温めるタイプなので、スイッチを入れればおしまいである。
とりあえず、これで試してみよう。
そう思い、もう一度、布団に潜り込む。
世の人達は、眠るのに苦労しているんだな。
生まれて初めて睡眠への難しさを感じながら、祈るように目を閉じた。



ラベンダーは、初めての仕事にも全く緊張しなかった。
この部屋に来たのもそれなりに長かったし、自分のやるべき事は理解していたからである。
プレゼントとしてこの部屋の主に渡された時は、すぐにでも仕事にとりかかるつもりだったが、まさかこんなに待たされるとは思っていなかった。
この部屋の主は、ようやく自分の必要性に気づいたらしい。
自分とは、言うまでもなく、アロマポッドのリスの事である。
名前はラベンダー。
付属のアロマオイルと同じ名前で、お皿にもちゃんと刻印してあるのだが、この人間は気づいているのだろうか。
ともあれ、自分が仕事を始めれば、人間はあっという間に眠りにつく。
それがラベンダーの自負であり、存在意義である。
いや、だったと言うべきだろう。
何故ならこの人間は、ラベンダーの体が温まり、部屋をラベンダーの香りが覆っても、未だ眠りにつく様子がない。
由々しき事態である。まさしく、足元の棚が崩壊しそうと言っても良い。
こんなはずでは無かった。心地よい香りに包まれれば、人間はリラックスし、いつの間にか次の朝を迎えるものである。
なおも体を温めながら、ラベンダーは決意を固める。
この部屋の主を、何としてでも眠らせる。その為に自分は生まれてきたのだ。失敗は許されない。
ラベンダーは仕事の難しさにおののきながら、ゆっくりとオイルを蒸発させていった。 


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