後の、のち

「あぁぁあああああ!くっそおおおおおぉぉぉ!!」
「なにがお前は強いから大丈夫だーーー!」
「くそ上司いいぃぃぃ!しねええぇぇぇぇ!!」
ばらばらばらばら、ばらばらばらばら。
本日の雨予報は30%。なのに午後の天気は大雨。
使い物にならなくなったビニール傘が景気良く雨に打たれている。
「あ~、やっぱさいこー!ストレスは外に出すに限るわ~」
「ニコさん、見た目より大分口悪いんですね…」
「一郎さんはオリジナリティがないけど、シンプルでいいわね!」
「はあ…」
「ほんっとにもームカつく!まだまだ!」
「美紀さんは、パワーあるなあ…」
「何回か見た事あるけど、彼氏イケメンだったわねー」
「別のフロアだけならまだしも、同じ部署でも浮気ってあり得なくない?!ニコさんのトコでも噂になってたでしょ?!」
「うまい事やってる男がいるとは噂になってたわね」
「…別でも同じ部署でも駄目だと思いますが」
「全方位から刺されろーーー!!」
同じ会社で顔見知りとはいえ、噂や事情を微塵も知らなかった自分を情けなく思う一郎は、ネクタイを結び直す。
ニコと呼ばれたスーツの女性は、眼鏡を拭きながら鼻唄をうたいはじめた。
「あーーー!今日はこれくらいで勘弁してやる!」
可愛らしい服に似合わず叫びまくっていた美紀も、伸びをしている。彼女の部署は制服があるので、唯一の私服なのである。
突然の大雨で傘が壊れた一郎はたまたま橋の下に避難してきたのだが、まさかそこに同僚がいるとは思わなかった。
美紀の方は、一郎と同じく雨宿りだそうだが、やってきた二人を見て、ニコはニヤリと笑った。
「ふたりとも、最近嫌なこと溜まってない?」
聞けば、ニコは時折ここにきてストレス発散しているという。
それも、雨の日限定で。
そのストレス発散法というのが、誰もいない橋の下で大声を出すというものだった。
「誰にも聞かれたくないけど、やっぱり溜めっぱなしは良くないじゃない。
私、言霊ってあると思うの。それは自分に対しても同じで、本来、他人に言いたかった言葉を我慢しちゃうと、自分を責めはじめるのね。
嫌だーとかやっぱり駄目だーとか、そういう言葉を心にかけつづけると、どんどん駄目になっちゃう。
で、雨の日に、こんな橋の下なんて誰にも聞かれないから、気がねなく発散してるのよ」
ニコが楽しそうに説明しているのを聞きながら、一郎は自分の今までを振り返った。
地味で存在感が無いと言われ続けた自分だが、どうやら自分自身の気持ちの存在さえ、雑に扱っていた気がする。そんなはずは無いのに。
川に向かって大声を出した後、不思議と気が軽くなった気がした。
「でもニコさん、何で私たちの顔を見てストレスたまってるって分かったんですか?」
すっきりしたのか、美紀が質問する。それは会社で聞いた事のある、可愛らしい声だった。
「んー?聞きたい?」
「聞きたいですっ。新しい男をゲットするためにも、ストレスが顔に出ないように気を付けないと!」
「元気でいいわねえ」
「僕も、聞きたいです。…ご迷惑で無ければですが」
「あー、別に変な意味は無いんだけど…」
きこえたの。
と彼女は言った。
さっきまでの、気持ち良い程あけすけな彼女らしくない、静かな声で。
「聞こえた…?」
「あ、もしかして、会社で彼氏、その他の彼女と修羅場ってたの聞かれてたんですか?」
「それは、恐ろしいですね…」
「違う違う。
私、ストレスは溜め込まないように、自分の心に正直に生きようって思ってるの。
そうやって他の人をみたら、なんとなーくだけど、この人ストレス抱えてるなーとか、言いたいことあるんだろうなーって分かるのよ。
で、二人とも。
ここに来た時に分かっちゃった。
二人の、誰かに分かってもらいたい、でも自分がしっかりしなきゃーって思ってる、心の声がきこえたの。
一生懸命、どうにかしようってもがいてる声が、私にははっきりきこえた」
静かなニコの【こえ】は、雨にかきけされる事なく、一郎の耳に届けられた。
もしかしたら、雨は止んだのだろうか。
「なーんてね!別に霊感とかじゃないけど。
出来る女として有名なニコさんは、それ位分かっちゃうのよ」
おどけて見せるニコだったが、その視線は一郎と美紀の後ろに向かう。
つられて見ると、雨はすっかりあがり、虹が見えていた。
「わあ!虹!
えーとえーと、次は浮気しないイケメンと付き合えますように!」
「そういうモンじゃないと思うけど、逞しいのは美徳よ!美紀ちゃん!」
「はい!ありがとうございます!」
盛り上がっている二人を見ながら、一郎はネクタイに手をかける。
「こえ…か」
願わくば、自分もそんな声が聞こえるような人間になりたい。
そして、自分達の声を聞いて受け止めたニコにも良い明日が来るようにと、一郎も虹を見上げた。

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