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心の筋トレが必要な理由:刷り込みに負けたくない!

noteは、タグでのジャンル分けが分かりやすくていいですね。
いろいろな方の文章を読むのが楽しいです。

そんな中、改めて実感しているのが、本当に小さいころに意識に刷り込まれたものってあるよなぁ・・・ということ。

たとえばね、今でも鮮明に思い出す場面があるんです。

小学生の高学年の頃に、一生懸命新聞を読んでいたんですよ。
たぶん、ほめられたくてね。

そしたら、父が
「えらいね、新聞を読んで。
でもね、新聞に書かれていることが正しいっていうわけではないから、これは正しいのか?っていう問題意識をもって読まなきゃダメなんだよ」

って言ったんです。

私はそのときに
「新聞読むだけでも頑張ってるのに、まだ求められるのか!!!!」
と本当に苦しくなりました。
そのときの気持ちを鮮明に覚えています。

ある日の場面だけれど、これは、日々言われ続けてきたことの象徴的な場面だったのだろうと思います。

こんな風に毎日毎日体験して刷り込まれたものもあるし、たった1回の体験が強く意識に入ってしまうこともあるようです。

以前、ある思考の「ブロック外し」というのを体験したことがあるんですんですが、その思考を持つ原因を探っていったら、小さなころに一度だけ見た光景だったっていうことがあります。
探っていったら出てきたけど、記憶としてはっきり持っていたわけでもない、ふと目にしてしまった場面が影響してたみたいです。
ショッキングな大事件でもなかったんですよ。
割と身近な人の、ちょっとしたふるまいを見ただけ、そんなことでした。

何が言いたいのかというと、
私が今持っている「思考」って、自分が心からそれを信じて持っているものよりも、知らぬ間に自分の意識に入ってしまっていたことが多いのではないか、ってことです。

同じような特質を持っている人でも、親に「もっと上を目指せ」って言われて育ってきた人と、「自分は何をやりたいの?自分が欲しいものを手に入れなさい」って言われて育ってきた人とでは、やっぱり大人になって持っている思考は違うと思うんです。

だから、時々立ち止まって、自分の思考について「これは私が心から信じて持っているものなのか?それとも知らぬ間に刷り込まれたものなのか?」っていうことを見極めてみるのを、やってみたらいいんじゃないかと思うんです。

それで、もしもこれは体験や環境のせいで、私が心から信じているものではないって思うなら、「じゃ、この考え方辞めよう」って一度決めてみるといいのかもしれない。こっちじゃなくて、私はこの考え方でいくんだって。

私は、やっぱり360°周りから自分のダメ出しをするクセが染みついています。
でも、立ち止まって考えてみると、そこまでダメじゃないよねって思うし、出来ていることを見つけてニコニコ生きることを選びたいって思うんです。

だから、
ダメ出しは刷り込みのせい!
私が採用するのは「私は自分がそのときそのとき判断したことをちゃんとやってるから大丈夫。自信もってニコニコしてると周りもきっとハッピーよ」だ!
って思うようにします。
そして、そうだそうだって味わってニコニコします。
想い直し、ですね。

そうは言っても「想いグセ」は強力なので、気づいたら以前の刷り込まれた思考に戻ってるってことはよくあります。
使ってなかった筋肉がちゃんと使えるようになるには筋トレが必要で、ずっと使ってた筋肉が使いやすいのと同じです。
昔からの想いグセは繰り返し力を発揮してくれちゃうんですよね。
けど、この想い直しを全くやらなかったら、ちゃんと使えるようになりたい筋肉はいつまで経っても使えるようにならないから。

小さいころのなおこちゃんは、良い子じゃないと愛されないって思っていたんです。でも、大きくなったなおこちゃんは、その想いグセに悩みつつも、人生はもっと楽しいし、良い子じゃなくても愛されるらしいって思い始めてるんです。遅いけど。

だから、なんだかモヤモヤしたら、
自分の中に浮かんでいる思考は何?って取り出してみて、
それは刷り込まれたものなのか、自分が今後も大事にしたいものなのかって、ちゃんと見てみる。
で、これを引き続き持ち続けるのかそうじゃないのかを選んで、ちゃんと、想い直す。

これを繰り返していくことで、幸せを喜びながら生きていこうって思うんです。


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