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「 0.2秒 」    〜Ⅰ〜


#恋愛小説部門 #創作大賞2024

あらすじ
ある日偶然手に入れた一万円札。ただの一万円札と思っていたが、主人公陽奈(ひな)と親友の亜佐美、蒼(あおい)の運命の糸を紐解く道すじとなる。一万円札が意味する秘密とは。お互いがお互いを想いやる心温まるストーリー。




ある日、
日曜日の銀行のATMにて、

一万円札に、

「結婚しよう、2016.4/24」

と書かれた福沢諭吉サマが出てきた。
10万おろしたうちの最初の1枚目だった。
驚いたのは言うまでもない。また腹がよじれるほど大笑いしたのも言うまでもない。日曜日の銀行とはいえ、都内駅前のメガバンクだ。周りの人々はものすごく変な目で私を見ていた。確かに理由を知らない方々からは、ATMでお金を引き出し、大笑いしている変な人にしか見えないだろう。でも仕方ない。こんなの絶対不意を突かれる。また想像を超えるメモなんだから。
私は、ATMに設置してある受話器で銀行にコールした。
「すみません!一万円札に文字が書いてあるお札が出てきたのですが」
「大変申し訳ございません!通常ですとATMが自動判断して、そのような紙幣ははじくようなシステムになっているのですが」
「そうなんですか、ビックリしました」
「申し訳ございませんでした。もう一度その紙幣をその紙幣が出てきたATMに入れて頂き、他のATMでもう一度お引き出しをお願い出来ませんでしょうか?そのATMは停止致しますので。ご不便をお掛けし誠に申し訳ございません」
…入れるんだ。。。
「分かりました、そのように致します」
「ありがとうございます」
私は受話器を置いた。
むむむ、こんな世にも珍しい奇妙な紙幣を手放すのか、…こういう紙幣に出会う確率ってどのくらいなんだろう。すぐにスマホでググってみた。
出てきた数字は、なんと『 0   』!!!
これは確実に良いネタになる。しかし一万円札…。今月の生活費、どうしよう。一万円は大きい出費だ。これが千円札なら悩まないのに!私は頭を抱えた。私はATMでひとりブツブツ、今月の家計シュミレーションをしてみた。
ATMの受話器のコールが鳴った。私は慌てて受話器を取った。
「お客様、申し訳ございません、紙幣はお入れ頂きましたでしょうか?」
「あ、すみません、まだです」
「お入れ頂いても宜しいでしょうか?」
「は、はい、その前にちょっと写真を撮らせ、、、やっぱ、いいです!貰います、この一万円札」
「え?」
電話越しの銀行員の方の返答を聞く前に、私は少々乱暴に受話器を置いた。
よっしゃ帰るべ!!

出会う確率「0」の一万円札紙幣と普通の九万円を胸に、足取り軽やかに家路に着いた。
1DKの奥にお気に入りのベッドが置いてある部屋で、冷蔵庫でキンキンに冷やしてあったビールをちびちび飲み、コンビニで買った枝豆をプチプチ食べながら、私は本日の福沢諭吉サマと対峙していた。どうしようかなぁ、コレ…。とりあえずSNSにアップ??初めてのバズり体験??
よっしゃ、とりあえず上げてみるか!!
私はスマホのカメラのポートレートモードで撮影し、SNS に本日日曜日の午後9時10分にアップした。
ハッシュタグは、
#プロポーズ #結婚 #お金 #レア
にした。
しかし1週間経っても大した反応はない。フォロワーさんは反応してくれたが、別にどうということはない。せっかく初めてバズり体験出来るかと思ったのに。ガチじゃないと思われたのかな?わざと書いたとか…。それともハッシュタグに付ける言葉の選び方が悪かった?
またまた次の日曜日の夜に、冷蔵庫でキンキンに冷えたビール、やっぱりコンビニで買った枝豆をおつまみに、先週の福沢諭吉サマと対峙していた。
私はあの日あの時出逢ったこの福沢諭吉サマとのご縁の衝撃を、腹がよじれるほど笑ったインパクトを、皆々様に伝えたかった。何故だろう、何故伝わらないのか…。この福沢諭吉サマは、もしかしてもしかしたら、8年前にプロポーズに使われたかもしれないんだよ!めちゃくちゃトリッキーなプロポーズだと思わない?しかもだよ!この福沢諭吉サマでプロポーズされた彼女の反応を知りたいと思わない?私は、缶ビールをグイッと飲み干して、大学からの友人の亜佐美に電話した。
「やっほ、亜佐美」
「あー、陽奈」
電話越しに流れている音楽が聞こえた。亜佐美が言った。
「日曜日のこの時間帯に掛けてくるかな、フツー」
「んー、聞いて欲しい話があってさぁ」
背もたれクッションに預けていた体がズルズルと下がり、完璧にベッドに寝転がってしまった。スマホのスピーカーをONにした。亜佐美は、
「あんたと違って私はカレシと同棲してるの。この時間帯は貴重なカレシとの時間なのわかるでしょうが」
「分かってるけどさぁ」
私はゴロンと身体の向きを変え、アルコールで頬が少し紅くなった顔に笑みを浮かべ、
「親友!1ヶ月後に控えている結婚式で友人代表のスピーチをする親友だよ!ちょっとくらい付き合ってくれたっていいじゃん、いいよねー、蒼くん!」
恐らく亜佐美もスピーカーをONにして、同じく私と亜佐美との会話を聞いている蒼くんに声を掛けた。
「おっけー」
蒼くんの爽やかな声が聞こえた。

橋本亜佐美とは大学の時代からの付き合いだ。オリエンテーションの講義の説明を受けている際中に、たまたま一人で隣に座っていた私に亜佐美が話しかけてきた。
「ねぇ、何学部の人?」
肘を付きながら隣の私を見つめる亜佐美は、瞳の大きなアーモンドアイ、透き通るようなきめ細やかな肌、形のよい鼻、花びらのような唇、肩下までの艶やかな黒髪を垂らした姿は、まさに非の打ちどころのない美しい女子大学生だった。
私は思わず、
「芸能人?」
と聞いてしまった。間髪入れず亜佐美は口を大きく開けて豪快に笑った。
「違うに決まってんじゃん!」
うるさいぞ!そこー!と、すぐさま大学講師の声が飛んできた。
私たち二人は周囲の目線が集まる中で、ヤバっという顔をして顔を見合わせ、小さく笑った。

亜佐美と歩いていると、とにかく異性から声を掛けられた。一年生のサークル勧誘では恐ろしいほど声を掛けられ、100回は連絡先を聞かれただろう。しかし亜佐美は自分についてくる男たちには一切目もくれず、艶やかな髪をなびかせ、良い香りを残しながら颯爽と男たちをかきわけて歩いて行った。私は亜佐美に尋ねた。
「亜佐美、サークル、何か希望でもあるの?」
「うん」
「なぁに?」
亜佐美は私の問いには答えず、歩き続け、ある場所の前で止まった。
「ここ」
亜佐美が指を指したのは、ワンダーフォーゲル部、と書いてあった。
華奢な亜佐美の体型からは想像がつかない、思いっきり筋力と体力が必要そうな体育会系のサークルだった。
私は驚いて尋ねた。
「高校時代に部活でやってたの?」
「いや、全く初めて」
亜佐美は貰ったパンフを読みつつ答えた。
私はしばし無言になった。

「…んで、その福沢諭吉サマがバズらないと?」
亜佐美は呆れた口調で言った。
「あんたは…」
亜佐美はため息を吐きながら
「そんなのただのイタズラに決まっているでしょ、一万円札でプロポーズなんてやったら、ただのアホよ、アホ。もし仮にね、仮に、本当だとしても、女性は確実にバカにされていると思って、その男、確実に、振るわね」
えーーそうかなぁ?私が話を長引かせようと駄々を捏ねていたら、
「そう、イタズラ。もしくは、男、振られて終わり」
はい、終わりねー、と亜佐美はプチっと電話を切った。残された私は仰向けになり、天井に向けて虚しく呟いた。
「でも運命かもしれないじゃん…」
頭の中で福沢諭吉サマが私に
「陽奈、結婚しよ」
と仰ってくれた。


5月、新緑が眩しい雲ひとつ無い青空の下で結婚式は行われた。
ガーデンウェディングの開放感と爽やかな陽気が、ゲストたちを笑顔いっぱいにさせた。ウエルカムスペースには、亜佐美こだわりのたくさんの種類のアイスティーや、亜佐美が厳選したたくさんのスイーツが並んだ。たっぷりの白いレースと山ほどの花々に彩られたガーデンアーチでの指輪交換の際には、蒼くんの愛犬アクアくんがタキシードに身を包み登場した。二人の大切な結婚指輪を運ぶリングドックとして任命されたのだ。アクアくんは、リボンと小さな花でデコレートされた可愛い籐のカゴバックを加えて、トコトコ歩いた。たくさんの「かわいー」の声や、笑い声の中、アクアくんは嬉しかったのか、いろいろな人たちに愛嬌を振り撒きながら、立派にリングドッグとしての務めを果たした。蒼くんは、飛んで喜ぶアクアくんを抱っこして、チュっとお褒めのキスをした。すぐに、「キスする相手が違うぞー」との声が飛び、笑い声に包まれた。蒼くんは亜佐美の肩を抱き寄せ、頬にキスをし、二人と一匹で決めポーズをとった。たくさんのカメラ音がした。

私は、亜佐美にスピーチを頼まれていた。
私のたったひとりの親友だからと。
ゲストの目が新郎新婦から私に移る中、私は緊張しながら話し始めた。

「ただいまご紹介に預かりました、木田陽奈と申します。阿佐美さんとは大学一年生の時からの友人です。誠に僭越ではございますが、お祝いの言葉を述べさせて頂きます。

ところで、
運命の人に出逢う確率をご存知でしょうか?
イギリスのマンチェスター大学の数学者、ピーター・バッカス氏(論文発表当時ですが)銀河系に生命体がどれくらいいるかを算出するための推定式、ドレイクの方程式と呼ばれる方程式を応用して、自身が理想の彼女と出逢う確率を計算されたそうです。バッカス氏の住むイギリスロンドンに住む人の中に、自分好みの女性が何%いるのか、その女性が未婚であり、自分に関心を持ってくれるのか、さらにロンドンで一晩の間に偶然に遭遇する確率を算出されたそうです。
その結果、はじき出されたのは、
0.00034%
という数字だったそうです。
天文学的数字ですね!

私はここで間を置いて、亜佐美と蒼くんに目を向けた。ヴェラウォンのボディラインを強調する純白の美しいマーメイドのウエディングドレスに包まれた亜佐美、FENDIの白いタキシードをビシッと着こなす蒼くん、二人が私を見つめ微笑んでいた。

亜佐美さんと蒼先輩の出逢いは、大学のサークルです。皆さまご存知かと思いますが、二人はワンダーフォーゲル部です。亜佐美さんに連れられ、真っ直ぐに向かった先のサークルがこのインカレサークルです。そこには精悍で爽やかな二つ上の先輩、柴田蒼先輩がいらっしゃいました。私は亜佐美さんにくっついて入った人間ですが、亜佐美さんにはこのサークルに入った明確な理由がありました。それはここのサークル特有のもので四年間の大学生活の中で、一度、自分の決めた海外の山に登る、というものです。亜佐美さんは入学前から登りたい山が決まっているようでした。私がその夢を知るのはもう少しあとになりますが、亜佐美さんは積極的に筋力トレーニング、体力作り、登山の経験を増やしていきました。先輩方やOBの方々からみても、目を見張る成長だったかと思います。そんな亜佐美さんを最もフォローされていらしたのが、蒼先輩です。見ての通り、お二人とも美男美女でお二人とも大学のミスター、ミスコンに輝いています。美男美女の自然な流れかな、と思う方もいらっしゃるかもしれません。でも、違います。お二人はもっと以前に出逢っていました。

私は静かに息を吸い、目を閉じて話し始めた。
亜佐美さんは養護施設の出身です。生まれてすぐに赤ちゃんポストへ預けられていたそうです。その後乳児院、養護施設で5歳まで育てられました。3歳で養護施設に移った亜佐美さんは、どの先生にも養護施設の他の子たちにも自ら近付こうとせず、距離を置いていたそうです。いつも一人で施設内のグラウンドで、小石を積み上げたり、花や小さなアリなどをずっと観察していたと阿佐美さんから伺いました。亜佐美さんは頭の良い子です。幼いながらも何か感じていたのかもしれません。亜佐美さんが5歳の時、新しく養護施設に入ってきた子がいました。蒼くんです。蒼くんはご実家のご事情から養護施設に預けられたそうです。蒼くんはとても明るい男の子でした。冗談を言ってみんなを笑わせたり、とても面倒見の良い子だったと聞きます。蒼くんはいつも一人でいる亜佐美さんが気に掛かっていました。何故なら亜佐美さんは、ほとんど口を開かず、他人とは、ほぼ頷くだけのコミュニケーションをとっていたからです。もちろん亜佐美さんの笑顔を見た人は誰もいませんでした。そのことを知ってから蒼くんは毎日、亜佐美さんにおはようと声を掛け、食事の時はみんなにからかわれながらもいつも亜佐美さんの隣に座り、一緒にごはんを食べ、亜佐美さんが一人でいる時は、そっと近づいて優しく「なにをしているの?」と声を掛けていたそうです。どんなに亜佐美さんが無反応でも、毎日見守り続けていたそうです。

ある日、亜佐美がさん初めて、蒼くんに対して口を開きました。
「…里親が決まったんだ」
亜佐美さんは
「だからもう会えないの」
蒼くんは静かに聞いていました。蒼くんは、ちょっと待ってて、と亜佐美さんを残し、何処かに走って行きました。すぐに戻ってきた蒼くんの右手には何かが握り絞められていたそうです。
「はい、これ」
蒼くんが手渡したものは、青い石でした。
「この石はラピスラズリだよ、最強の力を持つお守りの石なんだ」
「僕のためにパパがチリから持って帰ってくれたんだ、僕の一番大切な宝物、君にあげるよ」
「こんな大切なもの貰えないよ」
「いいんだ、君に持っていて欲しいんだ、僕のこと忘れないでほしい」
亜佐美さんはこくんと頷いたそうです。
「時々、この石は浄化させてね、月光浴をさせたりするんだ」

そうして亜佐美さんは里親の元で育ち、蒼くんはしばらくしてご家族の事情でまた何処かに行ってしまい、二人は離れ離れになりました。
成長した亜佐美さんは何度か養護施設に蒼くんの行き先を尋ねたそうですが、個人情報もあって知ることが出来ず、亜佐美さんが16歳の頃、その養護施設も取り壊されてしまいました。
では、どうやってまたお二人が出逢うことが出来たのでしょう?
ヒントは、亜佐美さんが一人でいた時の行動にあります。
亜佐美さんはよく小石を集めて、山の形に積み上げていました。それを見た蒼くんが言ったそうです。
「将来、行ってみたい山があるんだよね、宇宙に一番近い山で、運が良ければオーロラが見えるんだよ、世界で一番キレイな景色なんだって、パパが言ったんだ」
亜佐美さんはその言葉を覚えていました。大学に入り、一か八かで開けてみた扉の向こうにいたのが、そう、『 0,00034%   』の確率、運命の相手、柴田蒼さんでした。お二人はまさに天文学的数字である運命のひとに出逢う確率を見事に証明されたのです。
長くなってしまいました。タブーである忌み言葉も使ってしまいました。大変申し訳ございませんでした。ですが、お二人がまさに運命の相手であることの真実を皆さまにお伝え致したくお話し致しました。
亜佐美、蒼くん、結婚おめでとう!
生涯幸せでいろよー!!

たくさんの拍手が湧き、会場中を埋め尽くした。亜佐美はうっすら涙を浮かべているようにも見えた。でも笑っているのがわかった。そんな亜佐美の肩を蒼くんは笑顔で優しく抱き寄せた。
良かった、本当の話をして…。私はほっとひと息つき、席へ戻った。
新婦の蒼くん側のゲストからは、亜佐美と蒼くんが登った美しい山々の景色、二人の笑顔のショットが幾つもスクリーンに映し出された。亜佐美は、里親であるご両親に感謝の手紙を読み、蒼くんは親戚の叔父がゲストに謝辞を述べた。
ラストに二人とゲストのみんなで、色とりどりのバルーンを飛ばした。真っ青な空に向かって飛び立ってゆく色とりどりのバルーンは、それぞれの将来を描く未来の景色のようだった。

ゲストのお見送り時、二人は会場の出口に並び、亜佐美の好きな「幸せ」を意味するたんぽぽの花が描かれた手作りのクッキーが配られた。私の番が来た。
「陽奈!」
私は涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔をしていた。
「マスカラも落ちてるし、アイラインも落ちてるよ、目の周り、真っ黒」
亜佐美はふふっと笑った。
「だって、だってさぁ」
亜佐美はティッシュを差し出し、私はそれで鼻をチーンと噛んだ。
「ほら」
亜佐美はもうひとつ私の目の前に差し出した。
ブーケだった。
「え?いいの?」
「陽奈以外の誰にあげるのよ、あんたは唯一無二の私の親友でしょうが」
私は目から滝のように涙が放出され、亜佐美〜と言いながら、亜佐美に抱きついた。亜佐美は、何すんのよ、ドレスが汚れるでしょ!離れろ!と言いながらも、涙でいっぱいだった。
亜佐美は私の両肩をしっかりと掴み、涙いっぱいの瞳で、涙溢れる私の目を強く見据えた。そして、私たちは強く抱き締め合い、何分経ったか分からないくらいに、離れようとしなかった。

亜佐美がいなくなって、3ヶ月が過ぎた。そろそろ9月を迎えようとしている。
私は仕事で忙しい毎日を過ごしていた。あの日の福沢諭吉サマは、チェストの中にしまっていた。結局、いいね、もほとんど増えなかったし、亜佐美の言った通りイタズラだったのだろうなと思う。確かに一万円札でプロポーズするヤツなんかいないもんね。って、亜佐美から言わせれば、最初から気付けよ、と言われそうだな、私はデスクで一人笑いをしてしまった。
「なんか面白いことでも思い出したんですか?」
隣の席に座っている二年目の柏木くんが不思議そうな顔をして私を見ていた。
しまった、社内だった、私は、いやいや、と手を振り、気にしないでと言った。

柏木くんは、亜佐美に惚れた人間のうちの一人である。ある日会社帰りに亜佐美と約束をしていたのだが、たまたま柏木くんに出会ってしまったのだ。柏木くんが一目で恋に落ちたのがよーくわかった。その時私が思ったのが、あぁ、人間が恋に落ちる瞬間とはこういうものか、とはっきりと観察出来た。頬が高揚してピンク色に染まっていく様子や、瞳に宿るキラキラ感、声のトーンは普段の2段階くらい上がった。会社で見せる柏木くんの姿とは全く違っていた。柏木くんは一瞬か一分か、亜佐美に見惚れていたが、はっと我に返ったようで、私に目配せをした。紹介しろか、はぁ、お前後輩だろ、と心の中でため息を吐きながら、
「亜佐美。こちら、私と同じ部署で働いている柏木悠くん。」
柏木くんは、ササっと両手で名刺を差し出し、
「初めまして、柏木と申します。入社二年目です!木田先輩には大変お世話になっております」
と、若さを溢れんばかりにアピールし、笑顔で亜佐美の返答を待った。
亜佐美は、ふーん、と名刺を受け取り、
「陽奈をよろしくね」
と言い、それ以上何も言わなかった。
亜佐美の笑顔の返答を期待していた柏木くんは、動揺して私を見た。
私は柏木くんに申し訳無さそうに伝えた。
「亜佐美は、1ヶ月後に結婚するんだよね」
柏木くんの少し幼さの残る可愛いお顔はみるみるうちに萎んでゆき、恋に敗れた悲しみに溢れた顔となった。頬は痩けて目の下には黒いクマが出来、声のトーンは5段階くらい低くなった。
「そうすか…」
約3分ほどの間に彼は恋の天井から地の下に落ちたこととなる。
柏木くんは放心状態になってしまったらしく、柏木くんに起きた急転直下な心と表情の変化に私たち二人も少々驚きを隠せなかった。何十秒間かわからないが、3人その場に無言で立っていた。阿佐美がついに口を開いた。いつもは塩対応の亜佐美だが、陽奈の部下だし、とでも思ったのだろう。私の肘を突き、陽奈、飲みに連れていってあげて、と小声で言った。塩対応の阿佐美にしては、本当に珍しいことだった。
リョーカイ、私は無言で亜佐美に合図を送った。

「そうですよね、あんな綺麗なひとが彼氏がいないワケないすよね」
まだ水曜日だが、居酒屋の店内は満席で、皆、楽しそうにお酒を飲んでいる。
その中で私達のテーブルだけ、失恋鬱の雰囲気を漂わせていた。
柏木くんは、肘をついて乱暴にお酒を飲んでいた。
おいおい、何杯飲むんだ、しかも絶対私の奢りだよね、心の中で涙する私を尻目に、柏木くんは、また一杯、チューハイを飲み干した。
すみませ〜ん、今度は焼酎くださーい、と店員さんに注文し、真っ赤な顔で、
「1ヶ月、…1ヶ月じゃなくて2ヶ月あったら、、、いや、今からでも頑張れば!」
私は枝豆を食べている手がすぐさま止まり、
「ちょ、ちょっとやめてよね、変なこと考えるの!もし彼女に手を出そうとしたら柏木くんブン殴るよ」
柏木くんは大きくため息を吐きながら潤んだ目で、
「わかってますよ…、なんでもっと早く紹介してくれなかったんすか」
と私に絡んできた。
「なんでって…彼氏いるし、紹介する必要性もないし…、そもそも関係ないし」
テーブルの上に新しく置かれた焼酎のグラスを片手で左右に軽く振りながら、柏木くんは言った。
「…運命の人に出会ったって、初めて感じたんすけどね…俺…」
ジャスミン茶の中に入っている氷をカラカラと音を出し、私は
「…運命の人ねぇ。。。」
と言った。
「…あのさ、運命の人に出逢う確率って知ってる?」
「知らないっす」
柏木くんは私に顔をに向けた。
私はずっと氷のカラカラ音を出しながら、
「0.00034」
「えーーーーー」
柏木くんの大声に、居酒屋にいたみんなが振り向いた。
私は周りにすみませんすみませんのお詫びのポーズをしながら、唇に人差し指を立てた。
柏木くんは目を見開いて、
「そんなに低い確率なんすか」
と声をひそめた。
私は隣のテーブルで楽しそう飲んでいる大学生らしき4人組を見ながら、
そんなに低い確率っすよ、と答えた。
「…亜佐美はさ、私の知る限り運命のひとを見つけたの。柏木くんもさ、見つかるんじゃないかな、運命のひと。ただの勘だけど」
潤んでいた柏木くんの目に少しだけだが、光が宿った気がした。

結構飲んだ割には、最終的には柏木くんはしっかりしていた。
確実に酔っ払いの状態だったのだが、迎車アプリでタクシーを呼び、私を乗せた。
私が、帰り大丈夫?、と尋ねると、大丈夫です、とはっきり答えた。
タクシーありがとう、帰り気をつけてね、と声を掛けると、
「木田先輩!」
柏木くんは真っ赤で真面目な顔をして、いきなり背すじを伸ばし、直立の姿勢をとった。
「今日は付き合って下さってありがとうございました。ご馳走にもなってしまい、申し訳ありません。すごく美味しかったです。ホントにありがとうございます!この借りはきちんとお返ししますんで!」
私は笑いながら、いいよ、とひらひら手を振った。
ダメっす、柏木くんは丁寧にお礼をし、律儀に一礼までして、私が乗ったタクシーを見送った。
結構いいヤツじゃん、私はタクシー運転手のおじさんに聞こえない程度に鼻歌を歌いながら、帰途についた。

亜佐美がきっかけで、柏木くんとは時々仕事帰りに飲みに行く仲間となった。
今まで、柏木くんはほわーんとしていて愛想はいいが、ぽわーんとして抜けたところがあるような感じの、ただのふわふわ系男子かと私は思っていた。だがしかし、実はなかなか芯の通った、自分を持っている人で、誠実で責任感のある性格だった。新しい商品の企画立案には積極的に自分のアイデアを出し、そのマーケティングデータを基にしたプレゼンもなかなかの出来だった。仕事中もちょっと観察して見てみると、さりげない気遣いで周囲をフォローし、あまりのさりげなさにフォローされた側は、お、サンキュ、や、ありがと!と柏木くんのフォローの重みに皆あまり気付いていないようだった。
良い人材を選んでくれてありがとう、私は心の中で人事にお礼を伝えた。
そして私が気付いていなかっただけで、なかなか女子に人気があるらしかった。
ある日女子トイレで、部内一清楚系モテ女子の女の子が柏木くんを狙っているらしき話を聞いた。
へ〜、マジで人気あるのか、と忍び笑いをした。


木曜日の会社帰り、いつものように居酒屋で二人でお酒を飲んでいる時、お金の話になった。
冬のボーナスの使い道について話していたのだが、柏木くんが突然、僕、レアコイン召集してるんすよ、と話し始めた。
「レアコイン?」
私が首を傾げると、
「そう、レアコイン。珍しい硬貨のことっすね、結構価値のあるコインあるんですよ」
と嬉しそうな顔をした。
「特に今はほぼキャッシュレスじゃないすか。だから出逢う確率も高いんです」
なるほど、というように、塩キャベツを口に運びながら私は頷いた。
柏木くんは続けた。
「今まで出逢って一番嬉しかったのは、エラーコインすね!」
「エラーコイン?」
「全てが一点もので希少品なんです、例えば一円玉のズレ打ちエラーコインは、280万の値がついてますよ!」
「280万!!!」
驚いて声が大きくなってしまった。
柏木くんは店内を見渡し、すみません、すみません、と周りのテーブルに謝り、唇に人差し指をあて、静かに!と私に合図を送った。
しかし私はその合図には気付かず、あることが頭の中に浮かんでいた。
そういや、私の福沢諭吉サマ。
あのさ、あのさ、と私はスマホをバックの中から取り出し、画面を素早くスクロールして、画像を探し出した。
「はい、これっ」
勢いよくその画面を柏木くんの目の前に差し出した。
突然、福沢諭吉サマの画像を見せられた柏木くんは、一瞬何のことだかわからなかったようだが、
「えっ?プロポーズされたんですか?」
と思いっきり大きな声を出し、驚きをめいいっぱい表現してくれた。
私はめちゃくちゃ喜んだ。
これよ、これ、この反応が欲しかったんだー、私は心の中の喜びが隠せず、
違う、違う、と私は満面の笑みで偉そうに答えた。
「半年くらい前にATMでお金おろしたら、コレが出てきたんだよ」
ほら、年月見てみ!、8年前の4月24日だよ、
こりゃ、すごい確率っすね、と柏木くんは目を見張った。

こんなやり方でプロポーズする人いるんだ、と感心していた。
柏木くんは、肘で顎を支え、暫く無言で何かを考えていた。
「……2016年4月24日、調べてみましょうか?」
今度は私がポカンとする番だった。


「第二話」「 0.2秒 」    〜Ⅱ〜|おまめ (note.com)

「第三話」「 0.2秒 」    〜Ⅲ〜|おまめ (note.com)

「第四話」「 0.2秒 」    〜Ⅳ〜|おまめ (note.com)

「第五話」「 0.2秒 」    〜Ⅴ〜|おまめ (note.com)





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