「なんで話をきいてくれないの!」子供の悲しみ

小学校4年生の娘を通して
『自分の言いたい事を親に聞いてもらえなかった悲しみを抱えたままの子供のわたし』の存在を自分の中に感じた。

「言わなくてもわかる。だからあんたは言わなくていい!」

そんな親のどこか子供の話を聞くことにめんどくささを感じた瞬間、子供の発する言葉を遮って

「あーいい!いい!わかってるから!」
と強めの口調で娘を抑え込む場面が生まれる。

それをわたしは娘が食べたいというカップラーメンを作るってるときにやってしまったようだ。

娘は怒った。
「もう!なんで話を聞いてくれんのん!」
涙ぐんでいた。

その瞬間、「やってしまった…。」
とすぐ自分の間違いに氣がついた。

娘の発しようとする言葉を聞くことすらしなかった。
本当はまず「聴く」ことが必要だった。

後ですぐに娘にそのように詫びて謝ったが
都合よく許してもらえるわけではなかった。

そして数分後、今度は『娘をコントロールしようとしているわたし』の存在にも氣がついた。

わたしがカップラーメンを作る手順と娘の知っているそれとは違ったようで、それを伝えたかったようだ。

わたしは娘が話し掛けてきた瞬間に、たぶんそのことを指摘されるだろうと予想していた。
だから
「そんなことはわかっているよ。
でも、今はこのやり方がいいと思ってやっているんだから邪魔されたくない。」
とっさにそう思い娘の言葉を遮った。

その言葉は娘の言いたい事を聞いてから
必要そうなら言えばいいことなのに。

自分を押し通して娘をぞんざいに扱う。
親という立場を利用したエゴ丸出しの自分。

わたしの親もそうだった。
子供のころ、何度悲しくてやり場のない怒りを感じながらその感情を押し殺してきただろう。

その事をすっかり忘れていたけれど、小学校4年生の娘が自分の不満な気持ちをストレートにぶつけてくれたおかげで思い出すことができた。

未消化なままずっとわたしの内に籠っていた
子供のころのわたしにとってやっと昇華できる
タイミングを得られたのだった。

そして無意識に子供をコントロールする親から
卒業するきっかけにもなった。

子育てなんて言葉がおこがましくすら感じる。
親は子供がまだ1人でできないことをサポートしているだけに過ぎない。

でも子供は、または赤ちゃんは、間違った方向に向いて子供の手を引っ張っていこうとしている親にただ無邪気にストレートに「そっちじゃないよ。こっちだよ!」と教えてくれる。

親が上で子供が下という意識が強いと
子供をないがしろにしがちだ。

それはとても失礼だ。

親も子も同じ目線で、互いに手を繋ぎ
表情を見ながら、言葉をたくさん交わしながら
同じ歩調で歩いていけるよう互いを認め思いやりながら歩いていく。

その意識で家族全員が互いに接していけるようになれば円満な家庭を築いていけるだろう。

わたしはそれをゴールにして今回のカップラーメン作りをきっかけに心改めていこうと決めた。

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