見出し画像

共産主義者、友人Kの思ひ出#6

変態のレッテル或いはカテゴリー

中1の時、授業中に「発射」してからのKのライフスタイルはほとんど全てその行為をベースとして営まわれたと言える。
教室で自分のものを他者に触らせたり、友人を家に呼んだときは必ず魅せるようにシコったり友人の家に遊びにいったときは友人の家でその暖かいリラックスした楽しい雰囲気の中でごく当たり前のようにパンツを下ろし擦り始めるという癖は不思議だった。
お姉さんがいる友人のところで擦り始めた際はその友人はガチで嫌がったが、Kはキチンと発射まで済ませた。

Kはその友人とはだいぶ長く疎遠になっていたが
嫌がるのが普通だろう。
そういった行為で学校中で有名になりある種の変態のレッテルを貼られ全く女の子にはモテなかった。

容貌は造形的には普通に男前の顔だし野球部エースで中学生にすれば長身だ。
普通にしていれば甘美でしなやかな青春を送れたと思う。
Kはさまざまな内部葛藤、煩悶し高校は進学に失敗し2年を2回続ける事になる、
まだこの時点では
「ロックスターになり松田聖子と結婚する」
という、おおよそ狂気じみた大胆不敵な妄想、空想、幻想、ファンタジーがK全体を包んでいた。
明らかにそれは錯覚であった。
知識階級の血統を持つ聡明な頭脳を持った少年ならそういった訳のわからないファンタジーを普通なら選別し放り捨てる事ができた筈である。

淡路島にKの父が自宅の他に大きな貸家を借りており、よくGSX400Rで走り泊まりにいった。
距離的にも近いし島につけば信号があまりなく日帰りツーリングにもベストな道だ。

ただ単にバイクを走らせKの島にしょっちゅう遊びに行った。
私も働いてなかった。父からお小遣いをもらい新車のバイクで毎週Kか他の友人のところに行き、ひょうきん族をみたりタケちゃんマンが終わるとすぐ駅前の焼鳥屋に行くというライフスタイルが一年くらい続いた。
中学の同級生、柴田が友達と二人で文化住宅を借りているというのでよく泊めてもらった。
柴田もヘビメタ系で浜田麻里のビデオを何回も一緒に観た。
柴田はマイケルシェンカーのファンでマイケルしか聞かないと良く言っていた。
柴田はギターを弾かずバンドを組みボーカリストだった。
長身で色白、顔はレスラー天龍源一郎に激似だった。声は小林旭系のハイトーンで不良グループではないが尊大な横柄な雰囲気もあり女の子にも普通にモテていた。
最初の私の彼女でKも密かに好きだった坂本実華ちゃんとも柴田と付き合ってた時期があったらしい。
柴田は顔が天龍源一郎に激似だと自分で密かに気づいていたせいかプロレスファンでもあった。
私の木村健吾の「イナズマ!」のネタが好きでよく笑っていた。
また最強は誰だと想うと言う話では
「鶴田とブロディ」という意見は私と同じであった。
柴田はボーカリストとしてのKの実力を高く評価していて私に「K、めちゃ唄上手いで。」
「Kには敵わない」「バリ上手い」
Kにその事を伝えたがKは褒められてるのを知らなかったたようで素直に喜んでいた。

表現スタイルとしては二人ともハードロック系のハイトーン主体でロバートプラントの高音のような感じ。
ライブを観にいったが英語もなんか適当な偽の発音でサビの部分で「クワ〜〜」とか「ヒャー」とかシャウトしていた。
もう1人音楽好きの同級生では片岡という友人がいた。
片岡は顔はゴリラ系だったが勉強はできブラバンの後輩である可愛いと評判の女子と付き合い比較的早い時期にKや私より早く自宅で初体験を済ませておりなかなかの手練れだったかもしれない。

そういった華やかな実績から何かリア充な野郎的な自信をごく自然に獲得し当然異性に持てないKからの密かな嫉妬の対象にセレクトされていた。

後に片岡はドラムプレイがかなり本気で高校を出てすぐプロミュージシャンになるといって東京に行って音楽活動をするようになる。
顔はゴリなのに行動は垢抜けていた。
片岡はビリージョエルや英国のポールウェラーのジャムが好きで「ジャム聴けって」と私によく言っていた。
あの頃はなぜ周りはみんなヘビメタ系だったのか。
バカ岸田もKも柴田もヘビィ、やたらハード。
なんでやねん。

プロレスや野球を教えてくればパックンは中学卒業と同時に子供ができ、二人目が生まれたと言う。Kと二人で一度逢いにいったが二重瞼の顔は
森進一というより谷隼人に似ていた。掘りが深い欧米的な顔に成長していた。

パックンは二つくらい離れた駅前のビルで不良仲間と裏ビデオを売ってるという。

淡路島でもシコるK

Kの淡路島宅にバカ岸田と泊まりにいった。
部屋はたくさんあり、テレビのある部屋でKが椅子に座りシコっていた。ネタは11PMか何か週末の夜で女の子が水着で映る番組だ。

私は少し離れた部屋で寝転びバイク雑誌を見ている。
Kがシコるだろうと予想していたとおりズボンを下ろし漆黒のように暗く汚く獣ように毛深い尻を魅せシゴキだした。
後方に寝転びつつKを観察する私の視線には気づいていない。
動物のように自由だ。
慣れてはいたが行為自体が笑ってしまう。
ていうか観てるのが恥ずかしく目を逸らしたが。

テレビに映る水着ギャルをモチーフにシコっていたKの部屋へシャワーを浴びてい岸田が自然にスッと入ってくるとKは急にズボンを上に戻しシゴいていたものを「隠した」のがまた笑ってしまった。
岸田は「?なんやねん、ヤったらいいやん」と穏やかに言う。
私もなぜKがいまさら反り上がったポコチンをサッとパッとサクッと急に隠すのか?不思議だった。
中学時代岸田もパックンも三人横に並んでシコっていた仲なのに、一人でシコっている現場を予告無しに観られるのは気まずくサッと隠すという心理がわからない笑
高校生になったからかも。
裸芸人が人前でパンツをずらしたりして客を湧かすパフォーマンスの際、脱ぐ時は勝ち誇った様に明るく笑顔でサッと脱ぐのに履くときは後ろを向き恥ずかしげに衣類を纏うという心理に類似したものかと予断している。

インテリゲンチャ、知識階級の血統であるKの心理が40年近く経った今でも解読できなくて難しい西洋の哲学書や大作家の歴史的名作を読み、その謎を紐解こうと決意した私であった。


                 続く。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?