心斎橋博士24'(新横須賀尚希24')

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心斎橋博士24'(新横須賀尚希24')

副業ではいわゆるオッさんレンタル開業しました笑笑♪ 平日19:00〜23:00 土日祝 応相談。 激安料金3時間パック2000円ポッキリ 公的機関届出認可済みですからご安心下さい。 nanakavebraz4@gmail.com迄 大阪市中央区在住

最近の記事

ハゲとヘビメタと私#4

次の週の土曜日。休日。 また公園に行くつもりが寝過ごしてしまった。 10時くらいまで寝る事にした。 密かにまたヘビメタやハゲカラテの顔が観たかったが 綺麗な女性ならまだしもただの風変わりなオッさんだし別にまぁいいかなぁとおもいダラダラ朝を過ごした後、ホームセンターにあったラーメンの食器を思いだし買いに行く事にした。 あのよくある中華模様のついたラーメンのやつとレンゲ。 あと牛乳石鹸や髭剃りもないな。 棚でシャンプーやボディソープを観て入ると こっちをチラチラ観ている視線に気

    • ハゲとヘビメタと私#3

       公園の噴水広場のベンチ。 桜の花びらとチャミスルの瓶、倒れたハイボール缶2つ。 ヘビメタは歌い終わった。 曲は昭和歌謡だった。 マーティンのoo-17マホガニー 絶対プロかそこそこのミュージシャンだ。 ギターケースに終いながら会話を続けた。 「お疲れ様です」 「ありがとう」 「うるさかったでしょう」笑 「よかったですよ」 「聴き入りました!ギターも唄も」 「遠方の方ですか?ライブか何かで来てるとか」 「いえ、近くですよ」 ヘビメタがギターをケースに入れると眼があった。

      • ハゲとヘビメタと私#2

        次の週の土曜、花冷えの朝。 桜満開の大阪城公園に歩いていった。 花見ではなく縄跳び。 夜桜の後でゴミも多いような気がする。 運動する人達もいつも通りいる。 いつも極秘トレする場所へと歩く。 林の中の小さい噴水広場のベンチに向かう私。 琉球ハゲハンサム空手はやっぱりいた。 しかも今日は空手着で一人稽古していた。 形の動きでなく大きな木に巻藁の様な物を巻き付け左ミドルキックを打ちつけている。 裸足でなく黒い地下足袋のようなものを履いていた。 よく観ると左足の脛にぶつけている。

        • ものまねカセットテープを盗み聴きした親父。

          中2になると同時に離婚していた実父とその嫁のところに住むことになった。 小中学校時代皆んなの人気者でものまねしたり歌ったりして矢鱈に無駄に元気だった。 一日中友達と笑い転げて 青空のように晴れたバカ少年。 中一の時、ビートたけしのオールナイトニッポンを聴き衝撃を受け、すぐ似てないモノマネをマスターしカセットに録音し仲の良い友達がみんな一人ずつ聴いてくれた。 それまでクラス会で唄ったりモノマネしたりして笑わせるのが好きなお調子ものだった。 一流シンガー野口五郎の唄は絶対的

          ハゲとヘビメタと私。

           私が大阪城公園で極秘鍛錬と称し縄跳び、自重トレを再開して二か月継続できた。 しかも何のメリット、需要もない貧乏中年である。 離婚を決意し独り部屋を借りた。 借金、養育費でもう食うだけでギリギリ。 中卒で親も財産も貯金もない中年社会的弱者。 そんな事は自覚している。 平日やっと見つけた定職にPlus土日バイトし一年なんとか生活できた。 私は一応元ボクサーだったので縄跳びには自信とこだわりがあった。 少年時代は理屈も分からず矢鱈に跳んでいたが今は ソレがなぜ効果的か認識して

          九州ばぁちゃんとポメラニアンの想ひ出。

          中学卒業してすぐ飴工場に就職する事になった。 母と妹。ポメラニアン2匹も飼っていた。 文化住宅の一階の1番端。 風呂付きだった。 シャワーはない。 ある日、福岡のおばあちゃんが泊まりにくる事になった。 小学生の時、母が入院したときにも心配して九州ばあちゃんは泊まりに来た。 その時は風呂もついていない文化住宅の2階。 その時はネコがいっぱいいた。 広島にいた時、空き地で拾った白ネコの「たま」 大阪にトラックでタマも一緒に乗せてきた。 メスで子猫をたくさん産んだ。 母は捨てき

          九州ばぁちゃんとポメラニアンの想ひ出。

          我の強い資格者は帰る。

          会社員を辞め悲惨な失業時代を得て警備員の職に落ち着いたが毎年現任教育を受けなければならない。 講師の「朗読」を聴き、モニターを観る。試験やスキルは要らない。 警備労務者として警備員は定期的に受講しなければならないという法律がある。 しかし有資格者は時間短縮或いは免除される。 梅田事務所には受講者は私一人だった。 講師は大抵警察OBの柔道有段者。 ビートたけし推奨者の私はOBの頭髪が不自然に黒いのが目に写りあきらかに「カツラ」であると即断定した。憂鬱な気分だったが急に嬉しくな

          我の強い資格者は帰る。

          電話では普通だった(むしろリア充的野郎の立ち居振る舞いだった)自閉症の男。

          中学に入ったとき、小学時代から自閉症系の突飛な行動をする男とクラスが一緒になった。 しかも席が隣り。 名前も変な名前だった。 ヒャクヒャクと書いてドドといった。 百々。 髪の毛は針金の様に太く浅黒く 唇が厚い。不細工だった。 色白で小柄で女の子にもモテた当時の私から観れば完全な他者だと断定していた。 なにかそういった性質なのでドドくんと言われて明らかに特別扱いされていた。 なのに、むしろ勉強は普通か普通以上にできるというのが不思議だった。 特に算数、数学が上位だったのがさら

          電話では普通だった(むしろリア充的野郎の立ち居振る舞いだった)自閉症の男。

          逆に獲られた若い詐欺者。

           同級生の父は末期癌で入院していた。 相部屋には暴力団員風の中年の男性もいた。 友達の父は京大卒のインテリでそういった人達は苦手だった。 まぁ好む人も数的に多くはないと思うが・・ よくテレビに出たりする文化人で社会的にはインテリゲンチャに属するのに何かやたらそういった不良の経験があったりそういったジャンルが得意だったり 喧嘩おじさんだったりする人もたまに存在するが、そういった優れた暴れん棒もごく社会的にはごく少数だと断定する。 まぁ友達の父も相部屋になり気まずかったのだろ

          逆に獲られた若い詐欺者。

          共産主義者、友人Kの想ひ出#10

          Kの青春は全く女っ気のないものになった。 それは千九百八十年四月上旬から五月下旬に尼崎市内の中等学校教育施設内で他者が存在しているにもかかわらずKの骨に絡みついた肉慾を遂行した事から派生したものと友人の私は断定できる。 そこから始まり、そのような行為を常習的に継続していたのだから、もうそれは綱の切れた風船状態である。 この世に生まれすぐ母が亡くなり、表現できない寂しい想いを抱きながら生きてきた。 人間は成年に至ってからも最も激しい孤独感に襲われたとき、最も好色になるという

          共産主義者、友人Kの想ひ出#10

          共産主義者、友人Kの想ひ出#9

          淡路島の山奥の別荘。 日本酒一升瓶を側に置いて受話器を握る友人K。 10代に一升瓶は似合わないだろ。 電話は加世子に繋がったが、Kの願いは叶わなかった。 「今回やめとく」 そんなに同情心は湧いてこなかったがやっぱり残念な気持ちになったのを記憶している。 ブレィキングインマイハート クラッシュ、ザ淡路島。 自虐的なフレーズを二人で並べてその夜は終わった。 Kが高校を辞めてから大検からの一流大学の路を歩こうと決めてからもその若い、常に湧き上がる肉慾、情欲と睡魔で集中できず、毎

          共産主義者、友人Kの想ひ出#9

          共産主義者、友人Kの思ひ出#8

          淡路島バイク女子。友人Kの松田聖子激似の「ごっちゃん」への告白。 フェリー乗り場から海沿いの道を2台で走っていく。 あの頃はレーサーレプリカ同士のカップルもたまに見かけた。 バイクブームだったように思う。 しばらく走ると細い山道を400cc2台は登っていく。夜なんかまったく道が見えない路。 池もあるから気おつけないとドボン!だ。 別荘宅についた。一緒にご飯を食べたりおしゃべりしたり楽しい時間を過ごす。 YAMAHAバイク女子の友美ちゃんは特に可愛いとは思えなく、不細工でも

          共産主義者、友人Kの思ひ出#8

          共産主義者、友人Kの思ひ出#7

          淡路島別宅での友人Kの夜這い的行為  名TV番組「俺たちひょうきん族」から派生した「つるたろうクリソツ指摘」事件でダウンした友人Kは結局膝を着いたまま立ち上がれず高校を中退し大検から一流大学を目指す事になる。 淡路島別宅なんか静かに勉強に集中できる環境だ。親父の学習塾の仕事を手伝いながら受験勉強に集中する心算である。 淡路島には塾の勉強合宿と称して若い女子達も泊まりにくる。 親戚の子やその友達も勉強を兼ねてフェリーでやって来る。 当然自然に仲良くなった。 ヤンキーの中森

          共産主義者、友人Kの思ひ出#7

          共産主義者、友人Kの思ひ出#6

          変態のレッテル或いはカテゴリー中1の時、授業中に「発射」してからのKのライフスタイルはほとんど全てその行為をベースとして営まわれたと言える。 教室で自分のものを他者に触らせたり、友人を家に呼んだときは必ず魅せるようにシコったり友人の家に遊びにいったときは友人の家でその暖かいリラックスした楽しい雰囲気の中でごく当たり前のようにパンツを下ろし擦り始めるという癖は不思議だった。 お姉さんがいる友人のところで擦り始めた際はその友人はガチで嫌がったが、Kはキチンと発射まで済ませた。

          共産主義者、友人Kの思ひ出#6

          共産主義者、友人Kの思ひ出#5

          第四章 就職そして友人Kとの再会 結局、高校進学は断念し市内の菓子工場の就職試験があり採用された。 仕事とといっでもベルトコンベアで流れてくる飴を選り分け箱いっぱいになったら他の場所に運ぶという作業が一日8時間業務。 最初の部署には一年先輩の生まれつきのハンディを背負ってるという長身の男がいた。 その男と近距離での作業だ。 始めは普通だったがある日飴の不良品を見落としたときその男は怒鳴りながら叩いてきた。 相手はハンディの人間。 これが社会なのか。耐えなくてはならないのか

          共産主義者、友人Kの思ひ出#5

          共産主義者、友人Kの想ひ出#4

          第三章 私の転校 友人K、野球部、在日ジャガ。 ボクシング。 なかんずく私は再婚している実父のところに行く事にした。 転校してからは密かにボクシングをやろうと以前から本を買い研究していた。 父と二人でボクシングジムに見学に行きすぐ入会した。 一応空手四級緑帯からの転向だ。 始めは左ジャブばかり一か月毎日毎日。 左足ステップインと同時に打ちそのまま左足を軸に左に廻る。 その繰り返し。繰り返し。 縄跳びも。毎日毎日。 会長が自らミット持ってくれる。 会長の軽いパンチ動作で

          共産主義者、友人Kの想ひ出#4