共産主義者。友人Kの想ひ出。
序章
私の人格形成に至る過程において
ある意味、両親以上に影響を与えた友人Kについて記していきたい。
共産主義者とか大袈裟な見出しをチョイスしたが
別に、思想や政治を或いは哲学めいたものを連想させたかと思うがただ単に彼の父親が70年代流行った唯物思想の活動家でしかもリーダー格であった人物だっただけという話になります。
友人Kは生まれた時から母親の顔を知らなかった。
Kが生まれてすぐ白血病で亡くなったという。
その母も一流大学を出ており、祖父も歴代首相の秘書をしていたという。
青年になって認識に至ったのだが明らかに労働者階級とは違う知識階級の血筋なのだ。
私も小6の時から母子家庭になり屈折したなにか寂しい思いを感じとりながらも元気に明るく毎日を生きクラスでも人気者だった。
第1章
友人Kとパックンとのシコ✖️2
友人Kの家でもう1人の友人パックンと
私と3人で友人Kが所有するビニール本を資料にし
シコシコするというプレイがよく行われた。
3人とも野球部で帰宅時などつるんで遊んでいた。
私は野球部がイヤでしょうがなかった。
中学入学時パックンが野球部に入部するから
「尚貴、ついてきてぇ」
というのでついていったところに小学生時代から知っている先輩に
「お前、知ってる!お前も入んのかぁ」
と明るく言われ
「はい」と言ってしまった。
パックンは小学生時代から私と変わらない位に身体も小さかったが左利きで足も速く攻防兼備の万能選手だった。
小2の時転校してきたときにプロレスも野球も教えてくれたのもパックンだった。
パックンは二重瞼で非常にパッチリしており顔が一流シンガーの森進一に激似だった。
「親戚の家行くと森進一が来た!森進一が来た!って言われるねん。」とやたら私に言っていた。
さらにパックンのお兄さんは一流シンガーの松山千春に激似で私がソレを兄さんに指摘すると嬉しそうにギターを持つ両手のフォルムをつくり声を張り上げ「季節の中で」を歌い上げていた。
「めぇぐぅる、めぐる季節のなぁかでぇ あぁなぁたぁはぁ 何を見つけるだろう。」
パックンは二重瞼で垂れているのに
パックンのお兄さんは一重で切長の形だった。
パックンのお兄さんは不良の仲間で暴走族らしい
パックンはよく難しい漢字で「魔暴露死」とか
「夜露死苦」とかを教室の黒板や机、持ち物に
やたら書いていた。
同じく野球部の岸田はブルースリーが好きで
「李少龍」とかの文字を彫刻刀で彫ったり、
ノートに書いていた。
なんて馬鹿なんだろう。友達なのが恥ずかしくなってくる笑笑
友人Kとその事をネタによく笑っていた。
パックンは勉強すればできるタイプだったが
岸田は綺麗な字を書くのにホントに「青空の如く馬鹿」で最低レベルの公立高校を2年連続で不合格になり偽のインチキな専門学校(案の定、教員が金銭がらみの違法行為で法的機関から処分されニュースにもなったある種のニセの教育機関)に進学しそこで自分なりの青春ロードを開拓しヘビメタを聴きギターを奏でてバンドを組みさらに馬鹿になった。
さてKの家でのシコ×2大会
BGMは私がビートたけしのオールナイトニッポンのモノマネで録音したカセットテープ。
「バカやろう、この野郎」
「しょうがねぇなぁ」
モノマネは似ていないのにみんな喜んでくれて
クラスのみんなに聴かして好評だった。
そのテープを聴きながら爆笑しながらプレイ笑笑
自慰、オナニ、マスターベーション
最近では1Pとも言うが3人で1Pをそれぞれのスキルでプレイするのだから1P×3ということになるのだろう。
友人Kやパックンは他者がいても平気でペニスをしごき射精に至る事ができたが、私には無理だった。
今思えば子供だしくだらない自意識は放り投げてみんな仲間なんだから一緒に元気よく爽やかにピッと出すべきだったと思う。
私には出来なかった。なぜだろう。
思春期、自我形成においての自意識過剰か。
我々より上の世代のオッチャンは友達同士でピッピッ飛ばしあいしていたと聞く。
ある意味、素敵なおおらかな時代だったのか!
今のなんとか世代の人はそういったストレートな行為はしないのだろう。
友人Kは中1にしては身体も大きく赤ら顔でニキビ面だった。
ペニスもなにか長細く先に向かって細くなっていくようなフォルムをしていた。
私は自慰はマスターしていたが成長が遅く射精時に出るネバネバした液体は透明で無臭だったので
生まれて初めて観る精子は自分の物でなく友人Kが射精し魅せてくれた白い液体を初めて観た。
「コレやで尚貴」
「うわっキモい」
己れの肉体が精子を作れるようになった後も射精の瞬間の快感は変わらなかったように思う。
拭き取るのが面倒だし
むしろまだ透明な時の方がエクスタスィーのレベルが崇高な感じだった。
10歳か11歳だったかその内省的行為は世界で自分だけが発明したのだと想いしばらくの間、秘密にしていたがある時、ジャガイモのような顔をした同級生の在日韓国人タニと優等生小田くんに告白すると既にみんなマスター済みで毎日エンジョイしているようだった。
つまり優等生小田くんもジャガイモ顔で凄い頭も馬鹿なタニも私より賢くある意味、成熟しており階級も上だったのだ。
「知ってるシコシコやろ」
当たり前の感じで同級生は言う。
10歳や11歳でもうみんなマスターしていたのだ。
私の初期のプレイスタイルはオーソドックスに指で握って上下に擦る形でなく両手を開き気味にしギターのピックをオルタネイトピッキングするような、或いは団扇を仰ぐ感じで指の側面や裏表でペニスを軽く往復ビンタ的に叩きソレを指を非常に早いリズムで動かしているうちに自らしだいにしだいにそして急速にエクスタスィーに至るという変則的なスタイルだった。
しかもモチーフ、いわゆる資料は脳内で集中し内向して想起し浮かび上がらせる好きな女子やマンガのキャラだったように記憶している。
ある日友人Kが教室でしかも授業中にシコ×2したという話題が学校中に広がった。
信じられなかった。
みんなのいる教室で自らのペニスを出し射精したという!
不思議だった。なぜ。Why?? なぜに?
私は首を振り続けた。
完全理解不能の他者の行為。
「何してんねん」
「わーアホや〜」
「・・・・・・」
クラスは違った。
私が1年7組で
Kが1年9組。
休憩時間はよく私の組にも遊びにきていた。
なんで?聴いても当時は明確な答えは変えってこない。
恥ずかしがっている様子もない。
しかしそばにいる女子達は衝撃的だったろう。
その当時少年で衝撃的な事件だったこの詳細を本人の口から説明、ある意味告白してくれたのは何年か経ってからだった。
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