【ソーシャル(ディスタンシング)プラクティスとしての建築とは? 】レクチャラー:江尻悠介

20200430 吉村研リモートゼミ 
レクチャラー:江尻悠介 (早稲田大学吉村研究室M2)

建築の社会性について改めて考える

江尻さんは卒業論文で、建築雑誌における表現の流行と社会情勢の関係性を研究されていた方で、建築表現と社会との関係性について造詣が深い。このゼミでは、COVIT-19によるパンデミックが建築界に与えた影響を、美術における「ソーシャル・プラクティス」と言う概念を手掛かりにして考えようというものだ。現在進行形の問題について考えることは難しいが、それでも議論することの価値は大きい。

 江尻さんは、1990年代から始まったリレーショナルアートやソーシャルプラクティスなどの美術における潮流を背景にして、2010年以降にエレメンタルやアセンブルを代表に社会的な問題解決をコンセプトにした建築家の活動が増えていることを説明した。日本でも3.11以降、コミュニティ形成を目的とした活動や、ワークショップで多くの人間を巻き込むような「社会的」な活動が多く見られるようになった。しかし、建築の説明をするときに社会性を免罪符のように使われているような現状があるのではないかと江尻さんは問題提起をする。芸術においては"倫理性"が重視され、だれに対してどのように配慮がなされているかが明確である。それは、他者への敬意、差異の容認、本源的な自由の保護、そして人権への配慮といったもので、哲学者のペーター・デューズはそうした潮流を"倫理的転回 ethical turn”と呼ぶ。一方で建築におけるワークショップやコミュニティ形成の対象は、不特定で多数の人間を相手にしていることが多い。そのような建築は、はたして倫理性があるといえるのか?美術史家のクレア・ビショップが著書「人工地獄」において倫理性を全肯定せずに美学を析出しようとしたように、建築においても倫理性があるべきというわけではないが、倫理性を考えることで新たな価値を見出せるのではないか。
以上のような問題提起を踏まえて議論を行った。

建築における倫理とは何か

 COVIT-19の危機を体験したことで、あらゆる業界でリモート化が進んでいくと予想される。当たり前のように毎日集団で行動していたころに比べて、人間関係に対する認識は変化するだろう。大人数の曖昧な関係性よりも、少人数の親密な関係性のほうが重視されるようになるかもしれない。その時重要になってくるのが、建築の"倫理性"である。倫理性とは何かを考えるにあたって、快適性との違いを明確にするとわかりやすい。温度や湿度が適切で、明るく静かな場所は快適な空間といえる。快適性とは、だれにとっても変わらない指標である。一方で倫理性とは、善か悪かという主観的な判断がなされている度合いであるので、常に対象が付きまとう。場所や時代によって大きく変化する概念である。例えば、安藤忠雄の「住吉の長屋」は、住み手以外が見ると快適な環境と言えないかもしれないが、住み手の生活体験に対しては徹底的に配慮された住宅である。具体的な対象に対して空間的に配慮しているという点で、倫理的であるということができる。

 このように考えてみると、倫理性は何かに対する制限であると言い換えることができる。建築空間において、何かをすることが"できない"という制限を設けることが、倫理性の獲得につながってくるのではないか。
みんなが何でもできる快適な空間から、ある人のための倫理的な空間への変容が起こるかもしれない。

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