ハートを生きるということ。
何であれ、起こってくること全てを受け入れる。
これだけが本当の救済だと思うようになりました。
私のハートがひらき、「全てがここに在る」という感覚が出てきた理由は瞑想やヨガのおかげだと最近まで思っていました。
ですが、私が目覚めた大きな要因は、人生をコントロールするのを手放したことでした。
今まで何度も書いてきたのですが、私が目覚めたのは、都会を離れて緑豊かな土地で奉仕作業(落ち葉掃きや草むしり)をしていた時なのです。
私は人生を成功させることができると思っていました。名を残すことができるだろうと思っていたのです。ですが、それが叶わず、挫折と病気が重なり、移り住んだ施設で奉仕作業をしていた時、大いなる気づきが起こりました。
落ち葉を掃くということは何にもならないということです。お金にもならなければ、誰からも褒められず、キャリアのステップにもなりません。それをずっとやりつづけたのです。
落ち葉を掃くこと以外に私にはやるべきことなんて何もないんだ、と気づいた時から、私は少しずつ、人生を明け渡す、ということの意味を知りはじめたのです。
そして、ある日、ハートがひらきました。ハートがひらいてから、根源的な平和が訪れました。
生きるのが苦しかった時、私には握りしめていたものがたくさんありました。人生を成功させたい、という気持ちが強かったのです。
でも、失敗した人生を送っても良い、人生を棒に振っても良いんだ、と心から安堵してはじめて、ハートはひらきます。
もちろん、瞑想やヨガ、呼吸法は救済に至るまでの助けにはなります。
ですが、悟りはどこかに到達するから起こるのではないのです。むしろ捨てることなのです。
今、無条件の安らぎがあります。「全てが今ここに在る」という感覚です。
それを私はハートで感じるのです。この文章を書いている今もそれは確かにあります。「全てが在る」という感じです
「何かが足りない、このままではいけないんだ」と言う思いが出てきたら、それに気づいて丹田に意識をおろすように、リラックスすることです。
ハートに安らいでいると、誰かに認められたい、という願望も消えます。そして、他人からの賞賛はずっと続きません。
去年、noteを始めてから、「あなたのファンです」と言っていたくれた方も今では離れていってしまいました。
人びとは束の間、あなたのところに来て、やがて去っていきます。
でも、ハートはずっとここにあります。ハートの安らぎの方が絶対的で永遠です。
「私は在る」は誰でも見出すことができます。
もし、全てのことを手放し、どんな人生であれ、受け入れ、どんな惨めなことが起こってきたとしても、神の御心のままに、と祈りながら、リラックスして、静かにしていれば、恩寵があなたのハートにタッチするのです。
人生をコントロールしようと言う思いがある時、恩寵は受け取れません。
恩寵とは何でしょうか?
それは「今この瞬間、平穏を感じる」ことができるようになることです。
私にも毎日、何かしら苦しい出来事が起こります。しかし、その度にハートに帰るのです。
ハートは私たちを受け入れ、癒してくれます。それは母親が泣き叫ぶ赤ん坊を抱きしめて、あやしてくれるようなものです。
リラックスして、自分に優しくすることです。
静かに━━優しく呼吸することです。そして、起こってくるすべての出来事を恩寵の顕れとして、受け止めることです。
その時、ハートとはどういうことなのかが分かります。
これはいつの日か修行の末に感じられるものではありません。
今、この瞬間に感じられるものであり、ずっとあなたのそばにあり、あなたを包んでいるものです。
ただそれに気づくだけで良いのです。
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