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40歳になって気づいた、20歳の頃と変わっていないもの。

先日、40歳の誕生日を迎えて思ったことは、

「健康のことを考えるようになった。」
「仕事に対しての考えが変わった。」
「休みを思い切り楽しもうと思った。」

とか、よく聞くそんなことではなかった。もちろんこれらも意識はするのだけれど一番強く思ったのは、

「子供の頃に描いた大人のイメージに追いついた」

ということだ。

子供の頃の20歳のイメージ

中学生は身体的にも精神的にも大きく成長するからか、中学一年生の頃は一つ上の先輩でもめちゃめちゃ大人に見えていた。

よって、当時2,3年生の先輩にビビり散らかしていた。
14歳や15歳に対してそんななので、20歳という年齢に関しては未知of未知。

想像することも難しく、さぞ立派な大人なんだろうというイメージしかなかった。

大人のイメージを想像できなかった中学生時代。

がしかし、大学2年生というタイミングで20歳になった時に思ったのは、

「あれ、なんか違う」

だった。

中学一年生の時に描いていた大人というイメージからはほど遠いものだった。仕事もしてなければ遊んでばかり。人としても未熟すぎた。

40歳で追いついたイメージ

そういう意味で、先日40歳を迎えた時に思ったのが、
子供の頃に想像していた20歳=大人のイメージは今なのかもしれないということ。今、やっと流れに流されずに自分の責任で生きているし、中学一年生の頃に想像していた大人の道の上にいる気はした。

それを聞いて、

「いや流石に遅すぎだろう」

と突っ込む人は沢山いると思う笑。そう思った人を僕は心底尊敬するし、羨ましいと思う。

※年齢の話がでると冗談ぽく「気持ちは20歳だから」と僕はよく言うのだが、実はそれは上記の理由のとおり、本音だ笑

心の砂時計が人より遅い。

そして気付いた、ずっと変わらないもの

…がしかし。

そうは言っても40歳になり、気付いたことがある。
ようやく大人になった部分も確かにあるが、
昔からずっと今も変わらずに、

「諦めること」が異常に苦手なのだ。

※意識したことなかったが、最近そうだと気付いた。
諦めることが苦手なことで厄介なことが沢山ある。

まず、器用な選択が出来ない。
頭ではわかっていても賢い選択が最後どうしても出来ないことが多い。気持ちの問題だと思っていたが諦めることが苦手だったからだ。

また、自分の希望が叶わないことをいつまでも気にするので割とすぐ悩むしウジウジも得意な方。ポジティブだと思われることも多いけど実はそんなタイプ笑。

スマートな生き方をするのには、まだまだ時間がかかりそうだ。

諦めが悪いのは、いいことか悪いことか

だけれども、子供の頃に描いていた大人になれたのは、諦めることが苦手だったおかげだとも思う。

デザイナーになることを諦められなかったので大学を中退したし、絵を描くことを諦めきれなかったので35歳をすぎてアートも始めたのだと思う。

それによって今があるので、間違ってないってことにしよう。

「年齢はただの数字」

これは口癖でよく言うし本音だ。
が、これだけnoteに年齢のことを書いている自分は、
きっと誰より年齢を大切にも考えてるのだとも思う。

これからも諦める事は苦手できっと変わらない、未熟な人間のままだろうけどこれまでそんな自分に関わってくれた全ての人に感謝してます。

これからも仲良くしてください。

と書いて一つの節目のnoteとする。

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