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人生のタイムアウト。

人生とゲームの違い

試合中、流れが劣勢になったらタイムアウトをとる。
TVゲームをしていて疲れたらPauseボタンを押す。

ちょっと休憩したい、ちょっと考え直したい。
そう思ったらタイムアウトをとる。

ゲームなら休みたくなったらすぐ休める。

だけど日常生活においてはタイムアウトがない。「今ちょっとしんどいから一旦人生休みたい」って思ってもそれはできない。

ただ休養すれば良いじゃんと思っても時間が止まるわけでないので、誰かと何かを競ってる場合はどんどん周りと差がつく。ゲームのpauseボタンのようにはいかない。

環境変化=人生の休息期間?

当たり前のことなので相変わらず何言ってんねんって感じだけど、スポーツの試合やTVゲームで時間を止めることが当たり前に出来ると、日常生活において「ちょっと待った」が出来ないのって、すごい事(?)だなと思ったりする。

だけど時間を止めることが出来なくてもタイムアウトに限りなく近い時間が訪れることはある。環境に変化があったときだ。これまでの生活とはちょっと違った期間ができる。

例えば転職すると決めた時の有給消化期間。
例えば引越して交友関係がゼロからスタートした時。
例えば学校を卒業して社会人になるまでの期間。

それは今までの日常から解放された「別の時間」を生きる期間だなと感じる。やがてその期間も終わりを迎えるし、日常化されると特別な時間ではなくなるので、「タイムアウト」のようなものだと思ってる。

一生のうちに何度も訪れる時間ではないからこそ、「ちょっと休憩したい、ちょっと考え直したい。」のにぴったりな期間。

昔の日記

過去を振り返ってみると、そんな期間が訪れると海外によく行っていたなと。で、そんな期間に海外に行くと大きな決意も出来たりする。気持ちが大きくなるのかもしれない。

一番最初にこれは人生のタイムアウトだなと感じたのは20歳の頃。その頃色々あって(特にないけど)時間が必要だわーと思ってカナダに行った。人生初の海外一人旅。

二週間のカナダ一人旅。

最近クローゼットの片付けをしたのだが、カナダ滞在中の当時、日記を書いていたようでその日記が出てきた。(だからこの記事を書こうと思ったのだが。)

その時考えていたこと、カナダに行って感じたことがめちゃくちゃ沢山書かれていて、「え、これほんとに自分が書いたの?」ってぐらい今読むと人ごとのような日記だった。(し、ご想像の通り内容がめちゃくちゃ恥ずかしい感じのやつ。)

だけどやっぱり当時の自分にとってかけがえのない時間だったようでポジティブな気持ちと共にその日記は終わっていた。

内容が恥ずかしい当時の日記。よく残ってたな。

次回のタイムアウト計画

そして、これは未だに覚えているのだけど、日本に帰る時に「大人になったら(社会人になったら)必ずまたカナダに来よう」と心に決めた。でも結局社会人になってからは別の国には色々行ったけどあれ以来カナダには行ってない。(実は2020年に行く計画を立てたのだけれど、あの感染症の影響で中止になった。)

多分次に「あ、タイムアウト来たんじゃね」と思った時は間違いなくその時の行き先にカナダを選ぶだろうな。

これを読んでくれてる人は、次のタイムアウト期間はどこに、どんな理由で行くのだろう。気になる。

・・・ちなみに、僕はアナザースカイに出演するならば、その時も「ここが私のアナザースカイ!」とカナダで言うと決めている。その時まで番組終わりませんように。

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