『海辺のカフカ』再訪

 村上春樹の『海辺のカフカ』が出版されてから、もう19年も経つ。初めて読んだ時、僕はまだ大学生だった。あれから19年、何度か通して読む機会はあったけれど、今回が一番心に響いた。

 村上春樹の作品は、読んだ時に自分が置かれている状況によって、印象に残るシーンやセリフが違っていて、何度読んでも飽きない。そして回を重ねるごとに、新しい気付きがある。
 それはおそらく、僕自身が経験した様々な物事や、成長した(と思いたい)部分が、それまで何となく読み飛ばしていた文章に、新たな意味を見出させてくれるのだと思う。そんな作品って、なかなかない。

 今回の『海辺のカフカ』で新たに気付いたのは、この物語が子供による親への「ゆるし」の物語だ、ということだ。
 主人公であるカフカ少年は、親から呪いを与えられ、怒りと悲しみの中で旅に出る。そこで出会う大人たちに、彼は少なからず影響を受け、そして最終的に自らを捨てた母をゆるすことで、呪い(怒りと悲しみ)から解放され、現実世界に向けて新たな一歩を踏み出す。

 村上春樹の作品の中で、少年が主人公となる物語は、この『海辺のカフカ』以外にはない(と思う)。最初に読んだ時は(大学生だった時だ)、カフカ少年の逞しさや、深い見識と洞察力にばかり目が行き、とても15歳とは思えず、今ひとつリアリティが湧かなかった。村上春樹はいつも20代〜30代の男性主人公しか書かないから、少年を主人公にするのは無理があるのだろう、と漠然と思っていた。
 しかし一児の父となった今読むと、カフカ少年はやはり「子供」であり、村上春樹は、15歳の少年の、思春期特有の精神と肉体のアンバランスさや、人生に対する危うさや、迷いを、しっかりと書き切っていたのだということに気付かされた。
 結局のところ、僕はこの物語をきちんと読み切れていなかったのだ。

 そんなわけで、『海辺のカフカ』は、僕の中でその評価を大きく改められ、村上春樹作品ランキング(長編編)で第一位に輝くことになった。
 コロナ禍で外出するのにも若干躊躇される昨今、村上作品を読んで、自分の内面に潜ってみるのも良いかもしれないですよ。

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