アメリカを嫌いになった日、キースへリングと出会った。
「ちっきしょう! あの牧師、法廷で会う前にぶっとばしてやるぜ」
「ジョニー、ありがとう。気持ちはうれしいけど、そんなに気にしてないからさ」
そういいながらも、僕の気分は最悪だった。アメリカ短期留学の最後の週の日曜日、僕がもっとも心のよりどころとする教会で、人種差別の的にされたからだ。
なんとなく、いやな雰囲気だとは思っていた。
最初は、あまりにも早口で聞き取れなかったが、牧師は、第二次世界大戦時のパールハーバーの被害と日本軍の卑怯な態度について延々と語り始めた。
ついには、礼拝参加者の中でたった一人日本人の僕に向かって「日本人は出ていけ」と口走ったのだった。(もっとひどいことを言われたが、あまりにも汚い言葉なので書かない)
ジョニーは、牧師と教会員を訴えると激怒し、まさに最悪な状態になったのだが、僕は何をしてもらっても、気分が晴れそうにはなかった。
どのみち、来週には日本へ帰るのだから、ここはお茶を濁しておこうと思ったというのが正直なところだ。
その日だった。キース・へリングの作品に出会ったのは。
すごく簡素化された線描の人間らしきものが、十字架を挟んで握手をしている作品。
その作品を見た時に、ちょうど僕が今巻き込まれているトラブルについて、キリストから啓示を与えられたように感じたのだった。
「たしかに今回のことは、相手が100パーセント悪い。だが、彼らを罰することは神に預けて、彼らのために祈ってあげてほしい」
なぜか、作品からそう諭されているように感じた。少し心が軽くなって、僕はジョニーに尋ねた。
「このアートは、誰の作品なの?」
「キース・へリングだよ。知らないの? ニューヨークで活動してるけど、今や世界的なアーティストなんだぜ」
アートとは縁遠いジョニーが大事に部屋に飾っているのを見れば、それは一目瞭然だった。幸い、帰国数日前にニューヨークに渡り、キースが描いた作品を見て回ることができた。
当時から、衝動的に描いたような作品が少なく、また、攻撃的な作品が一つもないことには気づいていた。そして、政治的なメッセージがこめられた作品が多いことも。
その本当の理由は、今回公開されるキース・ヘリング〜ストリート・アート・ボーイというドキュメンタリ映画を観て、よく理解できた。
地方都市からニューヨークへ出てきて作品を描くようになってから、自分が白人であるが故に、マイノリティとされてきた有色人種の人たちへの懺悔を込めた行動を常に行っている。
建物の壁に自由に作品を描く グラフィティなどの手法でも、安易に行動には移さず、その地域で活動している有色人種のアーティストたちと話し合いをして、描く許可をもらっていたりする。
世界的な著名人となっても、その姿勢は代わっていない。
当時、有色人種への迫害政策を行って、世界的に問題視されていた南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策に対しては、このような作品を放った。
また、当時、治療薬が高価なため対策が遅れがちだったHIV(AIDS)の問題については、このような作品を放ち、印税を寄付している。
また、アートはすべての人のものだという理念を貫き、恵まれない地域に住む子供をアート制作の体験参加させるプロジェクトなどを精力的に主宰している。
キースについては、彼の性的嗜好などから、とかくいろんな意見が言われがちだ。
本作を観終えてから僕は、自分のアートに対する姿勢に忠実であり、人として公平な世界を築くことを願っていた人なんだろうと感じているのだが。
アメリカをはじめ、世界中でコロナ問題からくる不況の影響で、さまざまな軋轢やぶつかり合いが生じている。
非常に残念なのは、キースが真摯に和解へのメッセージを放ち続けたはずの人種差別問題が、あちこちで噴出していることだ。
不正義や不公平が闊歩する毎日に疑問を持つ人は、ぜひ本作を観てほしい。
「アート」という、拳より無力な力で公平が築かれることを願った一人の人間の姿が本作には映っている。
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キース・ヘリング〜ストリート・アート・ボーイ