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記録する欲求。生きた証。道標。
どうも松川直城です。
人間は、どうして記録してきたのか。そんなことを考えたので、noteに記事に残したいと思います。
果たして残すという行為にいったいどんな意味があるのか。
無意識に残したものが、ある時、ぽんと、インスピレーションがインスピレーションを引き出す時ってあると思います。
それは僕たち人間が日々、違う日を生きていることなのかもしれません。僕たちは一昨日の自分、昨日の自分を地続きに自分と認識していますが、もしかすると、全く違う自分が一日一日を生きていてもおかしくありません。
僕は精神的に辛いとき、過去の調子が良かった時の感情を思い出すようにしています。それを過去からエネルギーをもらうと呼んでいます。実際にエネルギーをもらえているかはわかりませんが、そういったことを繰り返ししてると、だんだんと、その時の感情がリアルになってきます。
きっと残すということは、未来の自分にこんな自分が居たんだよってお前には、こんなことだってできるだって、励ましているのかもしれません。そんなことを考えると、過去と現在と未来が同時並行してるんじゃないかなんて、飛躍した考えが浮かんだりします。
人類の歴史として、遥か昔は、生きるのに精一杯で、残すという行為はなかなか難しかったのかもしれない。そう、生きた証を残す行為。欲求。そういうのを満たせず死んでいった命もあったかもしれません。でも、残すという行為が続いたからこそ、僕たちという命も存在して、僕がこうしてnoteに記事を書けてる。
残すという行為が昔よりは容易にできるようになった時代。そういう時代に生まれた幸せと、それを享受できる喜びを噛みしめたいです。
きっと、残すという行為が、未来への投資になるとして、または、迷路に迷いこんでしまった自分の道標になることを信じて、僕は、今日も何かを記録し、残すだろう。
それが生きた証。
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