顎が折れて歯を失ったときの話
高校を卒業して2ヶ月経った頃、当時付き合っていた彼女の家に向かうため、僕はバイクに乗って家を出る予定だった。
ところがバイクのキーが見つからずに、自分の部屋を探したけど、全く見つからずに途方に暮れていた、30分ほど探したが見つからず、仕方なくスペアキーで家を出た。
途中ポケットに入れていた、チョコレートの箱を落とした。
バイクを止めて拾うかと思ったけど、少ししか残っていなかったのと、バイクのキーを探して、約束の時間を過ぎてしまったので、チョコは諦めて、そのままバイクを走らせた。
その数分後である、矢印信号で曲がってくるはずのないダンプが急に右折してきて僕は運転中のバイクごとダンプにはねられた。
(結果論だが、キーが無くなったのと、チョコを落としたのは、ご先祖様が「今日はバイクに乗るんじゃないよ」というメッセージを送ってくれたんじゃないかと今でも思っている)
その瞬間の衝撃は40年経った今でもハッキリ覚えている。
自分の身長くらいの大きさのハンマーで身体の正面から叩かれた感じというのが一番当てはまっている表現だと未だに思う。
しばらく意識がなかったが、僕は被っていたヘルメットもなく、血まみれの状態で通行人に道路の端まで運ばれ、また気を失い、気がついたら救急車の中で救護を受けていた。
次に気づいたのは病院のレントゲン室でレントゲンを撮られていた時だった。
やっと完全に意識を取り戻した時には、身体のあちこちが痛く、上下の唇は2枚ずつなっており、下の前歯が3本折れており、身体は傷だらけだった。
上下の唇を縫ってもらい、各種検査を受け終わった頃に、両親と彼女が病院に駆けつけてくれたのだが、母と彼女に目を覆われて初めて、自分がどんな状態なのかと気づきはじめた。
結果、一日だけ入院して、骨折箇所などは無かったのと、打撲とキズだけだったので、とりあえず退院した。
唇は縫われて、歯は折れたものの、まだ18歳で食欲旺盛な時である。
オマケに事故ったのが夕方で、一晩入院したので、前日の昼から何も食べていなかったので、母親におにぎりを作ってもらい食べた。
そのときである、上下の歯が全くかみ合わないのだ。
明らかに顎がずれている感覚だ。
そこでその日の午後に、歯の検査も兼ねて、2駅先にある、大学の附属病院の口腔外科を訪ねた。
様々な検査を受けて、上顎の骨が折れているので、手術をしましょうと言う風に先生に言われた。
ココとココを切ってと説明され、僕の頭の中では手術後に自分の顔がブラックジャックになっている事を想像して、怖くなり、「手術以外の方法は無いのか??」と聞いてみた。
すると先生は、あるけど薦められないと言った。
よく聞くと「上の歯と下の歯を針金で結び固定して2ヶ月間顎を動かさないようにする方法です。要するに腕を折ったときにするギプスみたいなものだ」と言った。
ただこの方法は食事ができない.
2ヶ月間飲料だけで過ごす事になるので、入院して点滴で栄養を取るのだと説明された。
ブラックジャックになりたくなかった僕は迷わず、後者を選択した。
そこから2ヶ月、僕は入院することもなく、ちょうど折れた下の歯3本分のすき間にストローを刺し、ビーフシチューやスープ、栄養飲料などを飲み2ヶ月を過ごした。
結果2ヶ月で13キロも痩せたけど、なんとか顎は治った。
治ったと言っても、顎がかみ合わず、リハビリを重ね、以前のように食事ができるまでは半年ほどかかった。
折れた歯の部分は残った歯を削り、そこにブリッジをして人工の歯をかぶせた。
あれから40年、人工のブリッジの歯も3回ほど交換して、残った歯も何度も削り、一昨年歯科医にこれ以上削れないから、次はインプラントだよと宣言された。
次がインプラントしか方法がないなら、何が何でも残った歯をできる限り残してやろうと、毎日ケアに取り組んでいる。
元々歯のケアは好きで、毎日歯間ブラシですき間を磨き、ジェットウオッシャーと電動歯ブラシで念入りに磨くタイプなんだけど、特にブリッジの部分はすき間に3種類のサイズの歯間ブラシを使い「長く持て」と祈りを込めて念入りにケアしている。
僕の趣味は料理なので、元来食べることが大好き。
だからこそ歯は大事なのだ。
残っている歯のケアのおかげで20年くらい虫歯にはなっていない。
ケアしなければいけない物くらいある方が、人は真剣になるのだ。
追伸 この事故の賠償金として18歳の高卒の僕の口座に140万円が振り込まれた。
これを軍資金にして株を買い、バブルとともに夢をつかんだ話も面白い話なんだけど、今日は企画である「いい歯のために」に企画文なので、慰謝料で株の話は別の機会に(笑)