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なぜ2,000本のコピーを書いたのか【宣伝会議賞への挑戦①】

前回、宣伝会議10月号を手にした僕は、2ヶ月間の戦いの末、2,004本のキャッチコピーを応募したのであった。

終わり。



と、最初に結果だけ書いて終わってしまったらただのつぶやきになってしまうので、今回はなぜ2,004本という数字に至ったのかを書いていこうと思います。

「どうやって2,000本書いたか」じゃなくて、「なぜ2,000本書いたか」なんです。また今回も「どうやって書いたのか教えろ!」と言われそうですが、僕はどちらかというとこの「なぜ」を先に伝えたいので、先に書きたいと思います。どうかお付き合いください。

まず見てくださいこの「2,004本」という数字。
このいかにも2,000本超えるために締め切り間際になって帳尻合わせで応募し、最後にちょっと思いついたのを4本付け足しました感。

実際にそうなんです。僕は明確に2,000という数字を目標にして取り組み、最後は半ば強引にその数字を出し切りました。今回はそんな話です。

最初の目標

初めての宣伝会議を購入し、賞についてのページを開くと、36という課題の多さに驚いた。

前年の第56回宣伝会議賞では54個の課題があったそうなので、随分減っているわけなんだけれど、それを知らない僕にとって36という数字は膨大で、最初の感想は「こりゃ、全部取り組むのは無理だな。」だった。

いろんな課題があって、その中には馴染みのある商品やサービスもあれば、聞いたことのないものもあり、自分に合った課題で頑張ればいいんだな、そう考えた。

取っ付き易い課題を5つくらい選んで、10〜20本出せばそれで合計50〜100本になる。まだ生まれてこの方1本もコピーを書いたことのない人間にとって、100本というのも十分に大きな数字に感じていた。

第56回グランプリ、谷尾さんの話

一通り課題を見た後、他のページも読み始める。
前年の第56回、『ホースの代わりって、ない。』でグランプリを受賞した谷尾裕一郎さんのインタビューが掲載されていて、その中に谷尾さんの応募数が書かれていた。

2017年(第55回)は12本しか応募せず、一次審査も通過しなかったのですが、会社の後輩が協賛企業賞を受賞して。悔しくて翌年は423本の作品を応募しました。それでも一次通過したのはたったの3本だけでした。

出典:月刊宣伝会議2019年10月号

423本!?
そ、そんなに書くの?やっぱグランプリは違うなぁ。プロは違うなぁ。それぐらい書かないと賞には届かないよなぁ……。
と、衝撃を受け、だったら自分も300本くらいは書かなきゃ、賞どころか一次通過すらできないぞ……と早くも考えを改めていた。

キックオフイベントに参加

まだコピーを書く前から目標を100本から300本へと大幅に修正していた僕は、あまりにも宣伝会議賞を知らなすぎだと反省、さらなる情報収集が必要だと感じていた。

だったらまずは公式からだ、と宣伝会議のホームページを眺めていると、『宣伝会議賞キックオフ スペシャルイベント』なるものが数日後に開催されると書かかれてあった。

なんでも、宣伝会議賞の審査員も勤めたことのあるプロのコピーライターが、コピーについて話してくれるという。会場は東京とのことだったが、大阪を含む全国各地でも生中継で見られる。
コピーライター養成講座も気になっていたので、宣伝会議界隈を知るにはもってこいのイベント、しかも参加無料じゃないですか!!

コピーの世界に興味津々ではあるものの、知らない世界に一人で飛び込むのが怖かった僕は、コピーとは無縁の友人を誘い二人でイベントに行くことにした。

地下鉄のホームで宣伝会議のポスターを見てから、イベント参加を決めるまで、24時間も経過していなかった。


そして9月6日。東京青山の宣伝会議セミナールームで開催されたこのトークイベントは『待っていても、はじまらない宣伝会議賞。いくらでも読みたいことを、書けばいい。』というタイトルで、電通の阿部広太郎さんと元電通の田中泰延さんが登壇し、前半はフリートーク、後半は参加者からの質問に答えるというスタイルで行われた。

僕はこの中継を、宣伝会議大阪のセミナールームで視聴していた。

優しく真摯に質問に答える阿部さんと、とにかく面白い事を言い続ける田中さんの話にすぐに引き込まれ、お二人の話を必死にノートに書き留めていた。

そしてその中で、最も印象に残ったのが阿部広太郎さんが宣伝会議賞に挑戦していた時のエピソードだった。

阿部広太郎さんの話

阿部さんは、過去の宣伝会議賞の応募数を全て公開されていた。阿部さんが応募を始めたのは電通に入社して1年目の2008年だったという。

2008年
応募数25本
→ 一次通過0本
2009年
応募数200本
→ 一次通過3本
2010年
応募数約1,800本
→ 一次通過37本、二次通過1本
2011年
応募数2,223本
→ 一次通過44本、二次通過4本、最終ノミネート1本、協賛企業賞1本

1,800本出しても届かなかった賞に、2,223本出した年についに届いたというご自身の経験のお話。

この話は阿部広太郎さんの著書『超言葉術』のあとがきにも書かれています。

そして、阿部さん主宰の講座で出会ったというコピーライター・山本真梨子さんの話。

山本さんは第56回宣伝会議賞の大同メタル工業の課題で、『安全な部品は、ニュースにならない。』というコピーでシルバーを受賞、さらに清水建設の『人間だけじゃ、行けない未来へ。』で協賛企業賞も受賞されている。

山本さんも、54回には128本の応募だったところから本数を増やし、56回に2,056本を応募してダブル受賞に至ったのだという。

阿部さんは、ご自身の経験と山本さんのエピソードから、「2,000本が一つのラインなのかもしれない。」とおっしゃっていた。

もちろん、2,000本書いても受賞に届かないかもしれないし、2,000本書かなくても届く人はいるだろう。ただ数を書けばいいという話ではないけれど、明確な目標を設定して取り組むのもアリだ、とそんな話をされていた。

そして話の最後に、イベントの参加者に向けて阿部さんは「2,000本書いて、贈賞式で会いましょう!!」と呼びかけていた。

400本にビビっていたはずなのに、この話を聞いて完全に心に火が点いた。
これが500本や1,000本だったら違っていたかもしれない。2,000本という自分にとってあまりに途方も無い数字だったからこそ、自分が変わるきっかけとしてそのぐらいやらなきゃダメなんだ、と思えた。

イベントが終わり、会場のビルを出てすぐ、僕は友人に「2,000本書くわ。」と宣言していた。なまけ者の僕は、そうやって友人と約束することで自分を追い込んだ。

そして同時に、「2,000本書いて会いに行きますよ!」と、一方的に、一人で勝手に、阿部広太郎さんと約束をしていたのだった。

その結果

以上が、僕が「なぜ2,000本書いたか」、というか「なぜ書けたか」です。

さらにその後、Twitterで見つけた宣伝会議賞の常連の方の中には、2,000本どころか3,000や応募可能なマックスの本数を出している方もいて、2,000本という数字が荒唐無稽ではないことを教えてくれました。

結局全ての課題に取り組み、2,004本を応募。そのうち2本のコピーがファイナリストとして残ることができ、贈賞式で阿部さんと会うという勝手な約束を果たすことができたのでした。

残念ながら新型コロナの影響で贈賞式は中止となってしまいましたが、後日パーティがあるとのことなので、この感謝はその時にお伝えしたいと思っています。

そして、阿部広太郎さんの話ばかり書きましたが、イベントの数日後に田中泰延さんの『読みたいことを、書けばいい』も買わせていただいたことを、忘れず記しておきます。

次回、2,000本を目指して書き始めた初心者が、コピーの壁と対峙する……。


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