【愚痴】「働きたくない」という話


 私は働きたくありません。

 今はアルバイトとして働いていますが、働き始める前から、学生時代からずっとそう思っています。
 (私は高卒なので、その頃からということになります。)

 そんな「働きたくない」という気持ちを、ここに吐き出したいと思います。
 これは、単なる愚痴です。身勝手でぞんざいな戯言です。


 ちなみに、今は心身の不調で休職中なので働いていません。
 5月からぼちぼち復帰予定です……。

2022年 4月21日



1.働く理由


 この社会はお金で成り立っているという見方や表現もできるくらい、この社会で生きていくのにお金は必要なものだと思います。
 そしてヒトは、社会という環境から完全に抜け出すことはまずできないでしょう。部分的に見れば、隔絶していると表現できるヒトもたくさんいらっしゃるだろうとは思いますが、あらゆる面において社会と隔絶している例は、ほぼないように思えます。

 つまり、ヒトはなんらかの収入がなくては生きていけない、と表現しても過言ではないでしょう。
 給与、贈与、投資、利子などはもちろんですが、貯金をそのまま切り崩している場合なども、そのお金がなんらかの収入によって得たものである以上、収入がなくても生きていけるということにはならないでしょう。
 また、扶養などによって直接の収入を得ていない場合であっても、収入を得るためのなにかを代行して貰っているにすぎず、収入がなくても生きていけるということにはならないと思います。
 少なくとも、今の文脈というか論点というか、この話においては。

 そして、私もその例に漏れず、社会に依存して生活しているので、収入がなくては生きていけません。
 多少の蓄えはありますが、家賃、光熱費、食費など、最低限の生活費だけで考えたとしても、すぐに底をついてしまうことでしょう。
 友人や家族などを頼ることも可能か不可能かで言えば可能ですが、限度というものがあるでしょう。そう遠くないところに。
 なので、ある程度まとまった収入を継続して得る必要性を感じています。

 その、一番手っ取り早くて安定した手段が労働、つまり働くことです。
 なぜなら、労働の対価としてお金が支払われるという仕組みが、この社会の成り立ちの大きな一要素であるはずだからです。

 もちろん、直接的に働く以外にも、収入を得る手段はあるでしょう。
 例えば、一方的に養って貰うという手段もありますが、相手がいませんし獲得できるような価値も私にはありません。投資という手段もありますが、勉強や管理などの労力や時間や元手などを考えればそそられません。犯罪という手段もありますが、やりたくありません。

 生きていくために収入が必要だと感じているので、働きたくはないけれど、消去法で働くという選択肢を選んでいる。
 ――というのが、働きたくない私が働いている最大の理由です。

 そして、働く方法として、一番手っ取り早くて安定した手段は雇用されることだと思うので。
 私は雇用されたくはないけれど、消去法で雇用されるという選択肢を選んで働いています。


2.給料という対価


「自分の頑張りがお金になって嬉しい」
 ――という感覚が、みなさんにはわかりますか?

 初任給を貰った時の喜び、昇給した時の喜び、自分の仕事に値が付いた時の喜びなど……。
 自分の働きがお金というわかりやすい形で成果になった時、それが嬉しいと感じるのは、かなり一般的な感覚なんじゃないかなと思います。
 なので、そのような経験がある方は多いんじゃないかなと思います。

 ですが、私にはその感覚がわかりません。
 いえ、もちろん理屈としてはわかるつもりです。頑張った成果が出れば嬉しいでしょう。その感覚は経験がありますし、実感を伴って知っています。
 ですが、私は「自分が働いた対価としてお金を貰う」ということに喜びを感じたことはただの一度もありません。
 八年以上働いてきて、ただの一度も記憶にないです。


初任給


 初任給を貰っても嬉しいと感じなかった、という人は私以外にもそれなりにいらっしゃるのではないかと思います。

 すぐに浮かぶ理由としては、「ほとんど親に取られた」だとか「割に合わない仕事だった」などです。
 ただ、これらの場合。多くの人は「自分の頑張りがお金になって嬉しい」という感覚がないわけではなく、それを上回る嫌なことが初任給に付随していたので、結果的に初任給が嬉しくなかったのだと思います。

 そして、私も、初任給に関しては少し特殊な事情があるかなと思います。

 私が初めてちゃんとお給料を貰ったのは、高校二年生の時。年賀状仕分けの短期アルバイトでした。
 私の通う高校では原則アルバイトが禁止されており、活動の盛んな部活動に所属していた私は、それまでアルバイトをするなど考えたこともありませんでした。
 しかし、ある日の放課後。担任の先生から呼び出された私は、修学旅行の積立金が支払われていないから、このままでは参加できないという話を聞かされました。先生は奨学金を探したり奔走して下さったのですが、高校生だし自分でも頑張ってみてもいいんじゃないかという話もされ、初めてのアルバイトを経験しました。
 そのような経緯から、初めてのお給料は全額 修学旅行の積立金に回りました。

 その後、長期でアルバイトを始めたのは、高校卒業から四カ月後の八月。
 当時、まだ大学進学を目指していた私は、受験料や大学の学費を貯めるためにアルバイトを始めたので、基本 収入の全てを貯金に回していました。なので、初任給は全額、使い道の決まった貯金になりました。

 そこからはほぼ地続きでずっとアルバイトをしており、職場は何度か変わっていますが、初めてのお給料というような感覚が強くあるような転職はしていません。

 このような少し特殊な事情があったので、私には初任給が自由に使えるお金というような感覚がありませんでした。
 ですが、これが初任給に嬉しさを感じなかった根本的な理由というわけではないと思っています。
 もちろん全く関係がないとは思っていません。他人ひとから初任給が特に嬉しくなかった理由を聞かれた時に、わかりやすくて無難なこれを話したことがあるくらいには、理由として認識しています。

 ですが、私が「自分が働いた対価としてお金を貰っている」ということに喜びを感じない根本的な理由は、他にあります。


給与を貰うということ


 私には「自分が働いた対価としてお金を貰っている」という感覚がありません。
 いえ、事実としては嫌と言うほどわかっています。そうであると。そういう仕組みを利用しているのだと。そういう名目で収入を得ているのだと。
 理由が消去法だろうがなんだろうが、それを自分で選択しているという意識もしっかりあります。

 その上で、それをできるかぎり意識しないようにしています。考えないようにしています。
 何故なら、私は「自分が働いた対価としてお金を貰う」ということを自分がすることに、強い抵抗と嫌悪を感じるからです。

 理由は主に二つあります。

 まず、一つ目――。
 私は基本的に、前もって「できます」と言うことに強い抵抗と嫌悪を感じます。
 それを求められる時、多くの場合、できなかったら他人が被害をこうむるからです。
 そして、私にはそもそもできるという自信がありません。

 ですが、雇用される場合、基本的には働く前に契約を結びます。
 つまり、雇われるということは「私は最低限ちゃんと働けますよ」と相手に対して言ったということになってしまうと思うのです。
 私のような欠陥品が、自分が生きていくために他人に対して、雇用契約という明確な形でリスクを負わせる。それが私はどうしても許せないのです。

 次に、二つ目――。
 私は多くの場合において、自分を明確に高く評価することに強い抵抗と嫌悪を感じます。

 例えば、私がテストで満点をとったとしましょう。
 その時、私は満点を取ったなと感じることはできますし、それをうれしいなと感じるはずです。同じテストで満点を取った人が少なければ、自分は優れた結果を出したのだなと感じることもできますし、やっぱりそれをうれしいなと感じることでしょう。時にそれを自慢することだってあると思いますし、優越感をはっきりと感じることもできると思います。
 しかし、そのテストに対する自己評価をA・B・Cの三段階で示せとなった時、私はAを選ぶことに強烈な抵抗と嫌悪を感じるのです。

 学生時代はこのような自己評価を求められる機会がよくありました。そして、遅くとも高校時代には、いつも低い評価を付けるようになっていました。
 今はそのような機会がなく、もう二度とそのような環境に身を置きたくないなと思っています。

 そんな私にとって、「自分が働いた対価としてお金を貰っている」という事実を意識することには強い嫌悪が伴います。
 お金という明確な報酬を受け取るということは、その評価を自分で認める、すなわち明確な形で自分をある程度 高く評価することになるからです。

 自分はこの報酬に見合っただけの働きをしただろうか? いいや、できていないだろう、という後ろめたさも感じます。

 普段は考えないように、意識しないようにしていますが、全く意識しないということはもちろんできません。
 普通の人はおそらくそんなことないので、職場の人や友人などと話している中で、意識せざるをえない話題になることも少なくありません。
 八年以上も働いているので、慣れもあります。単なる事実や言葉として割り切って、深く考えずに向き合うという感覚もだいぶ養われています。
 それでも、私はやはり、「自分が働いた対価としてお金を貰う」ということを自分がすることに強い抵抗と嫌悪を感じています。

 私は自分の時給を正確に把握していません。毎月の給与額も基本 把握していません。
 私は自分のお給料日を覚えていません。どうしてもその話題は出るのですが、いつも聞き流して忘れるようにしています。
 それも、「自分が働いた対価としてお金を貰っている」と意識するタイミングを減らすためというのが大きいです。

 なので、時給が上がってもうれしいという感覚がうすいです。
 決してお金に余裕があるわけではないので、単純に収入が増えることはありがたいのですが、昇給は「自分が働いた対価としてお金を貰っている」という意識に直結する要素なので、感情とできるだけ切り離して受け止めているのだと思います。
 それにもちろん、他人に評価して貰えることもとてもうれしいことなのですが、それに関しても期待を裏切る恐怖や、時給に仕事のパフォーマンスが左右されない自分に少ない経費を割かせる後ろめたさ、せっかく時給を上げてくれた上司に対して喜んだ反応がちゃんとできているかという不安、今まで以上の働きをしなくてはという重圧など、どうしても苦痛を伴うので……。
 昇給や色を付けて貰うことは、ありがたいものの、何度経験しても慣れません。


 蛇足の単なる愚痴なのですが……。

 私はアルバイトなので多分余計に、普段から時給やお給料日の話題が出ることも少なくなくて。特に新人さんや余裕のない子との話題にはよく出てきて、把握していないとよく驚かれます。

 そんな時、「給料を気にする必要がない→お金に余裕がある」と受けとられることも多くて、それがけっこうつらかったりします。
 お金に余裕がないからこそ、収入に関わらず一定額しか下ろさないようにしていたり、支払いは可能な限り口座引き落としにしているので、だから把握していないのだと話すのですが(それも事実)。

 それでもお金持ちだと羨ましがられることがあり、冗談なのかもしれないけれど、少少こたえます……。むしろお金には困って生きてきたし、趣味にドカンとお金を使うこともありますが、日日の嗜好品をとにかく我慢したり色色と工夫して節約を重ねているので……。

 俺の地雷を相手に踏ませないようにかわす日日です……(笑)。


3.雇用による所属


 皆さんは、憧れの学校や会社、大好きな部活動やファンクラブなど、何かの一員であることに喜びを感じることができるでしょうか?
 何かに所属していることを心地よいと感じたことがあるでしょうか?

 私には、そのような感覚がほとんどありません。
 むしろ、性別や世代などと言った括りにさえも、属していると見なされることに強い抵抗があります。


気づけば俺は俺だった


 ここで一つ、昔話をさせて下さい。

 私は小学校に入学したタイミングで、その日に着る服を自分で選ぶようになりました。
 入学が春で、夏を経て、半袖のTシャツに膝下くらいまでのポケットがいっぱいあるズボン。それが、私の基本スタイルとなりました。
 秋が更け、冬になり、みんなだんだんと長袖になっていきました。
 私も寒くなったら長袖を着ようと、なんとなく思っていたように記憶しています。
 しかし、気づけば学年に半袖は三人。私はみんなと違っていました。

 あれから二十一年が過ぎ、私は今二十七歳です。
 今でも私の私服は一年中、半袖のTシャツに膝下くらいまでのポケットがいっぱいあるズボンです。
 もう、私の周りにそんな服装の同世代はとっくにいません。

 私はかなりクセの強い天然パーマです。
 私は三年前まで携帯電話を所有したことがなく、今でもキャリア契約はせず、SIMカード無しのスマートフォンを使っています。
 LINEはやっていません。キャッシュカードは一人暮らしをするまで発行して貰いませんでした。飲酒はただの一度もしたことがありません。
 これはどれも表面的な、わかりやすい変わった部分ですが、もっと根本的な価値観からして、私は普通とズレているのです。
 私は変わっています。みんなと違っています。いつも、いつも……。

 他人ひとと意見が違っていたら、おかしいのは私の方だと思っておけばまず間違いがありません。
 私はおかしくて、変で、ズレていて、間違っていて、真っ当でなくて、欠陥品で、狂っていて、歪んでいる、キチガイの、あぶれ者です。
 私はみんなとは違うのです。


何であるよりも俺は俺


 有名企業の社員が不祥事を起こすと、決まって企業そのものを批判する声が上がるように思います。
 企業に限らず、個人が不祥事を起こすと、学校や運営や政党や家庭や、その人の所属するものを批判する声が上がるように思います。
 個人宛の批判が所属に寄せられるというだけでなく、所属そのものへの批判が沸き起こると……。

 悪事や過失などを前にした時、事前に防ぐことは出来なかったのかと考えるのは、自然なことでしょう。
 その結果、過ちを犯した周囲の人間にまで批判が及んでしまうことは、是非はともかくとして避けられないことなのだと理解しています。

 そんな社会で、私は生きています。
 普通にしていても間違ってしまう私は、もちろん完璧ではないので、弱さや過失でも間違いを犯します。
 そんな間違いだらけの私が、社会的に重大な過ちを犯さないと言い切れるでしょうか? そうは思えません。リスクはとても高いでしょう。
 そして、私が過ちを犯した時、批判されるのは私だけでしょうか? そんなわけがないでしょう。批判は、いいえ攻撃は、私の所属にまで及ぶでしょう。

 だから私は、どこにも所属したくないのです。
 私は私です。木村直輝です。
 生物であるよりもヒトであるよりも男であるよりも、何であるよりも木村直輝です。

「何であるよりも俺は俺。」
 私は高校生の頃から、その言葉を大事に掲げて生きてきました。
 でも、最近、気づいたのです。
 普通の人はこの言葉を口にする時、言い訳に使うのだと。
 俺は俺だから関係ない! みんなと違って何が悪い! これは普通、そういう意味の言葉なのだと。

 みんなと違うことを自覚して、意図せず過度な誤解を招いてしまわないよう気をつけていたのに、こんな初歩的なことにすら気づかないなんて……。
 私は今でもこの言葉を大事にしていますが、不用意に掲げることはやめました。
 ですが、だから、やはり、私はみんなと違うのです。

 それでも、この社会で生きていく以上、どこにも所属しないというのはまず不可能です。
 可能な限り所属しないように、一員だと思われないように、例外だと思われるように努めて生きていますが。
 みんな、そう都合よく解釈してくれません。変わっていると言われる一方で、同じ人間として扱ってくれます。よくも悪くも。

 だから、私は雇用されたくないのです。
 それでも、働く方法として、一番手っ取り早くて安定した手段は雇用されることだと思うから、消去法で雇用されるという選択肢を選んで働いています。
 身勝手にも、私はアルバイトとして雇って貰い働いているのです。


4.正社員になりたくない


 私が大学進学を視野から外し、浪人生を辞めてからもアルバイトであり続けるのには、理由があります。
 高卒なので正規雇用を狙うにしても職種が絞られそう、という前提はもちろんあるでしょうが、それはそもそも気にしていません。
 何故なら私は、正社員になりたくないからです。

 今の職だと、正社員に成った方が稼げない上に面倒が増えるというのは、かれてよく答えます。
 シフト制で休み希望の出せる所でアルバイトをしている方が、予定を入れるのに自由が利くというのはあります。
(言うほど活かしていないとも感じていますが、それでも正社員の友人に比べれば重宝しています。)
 立場が低い方が責任もなく楽というのもないとは言いません。
(うぬぼれたことを言えば、普通のアルバイト以上のことをやっているのではないかなと思っていますし、立場的には微妙な位置で、こちらも言うほど活きてはいないと感じていますが……。)

 ――それ以前のもっと根本的な前提部分で、私には正社員になりたくない理由があります。

 ただ、それを説明する前に少し回り道をさせて下さい。
 この流れで一つ、吐き出したいことがあるので……。


大学進学を目指していた理由


 私はもともと大学教授を目指していました。

 物心ついた頃から生物、とりわけ動物が好きでした。
 そして、小学校低学年の頃には生物学者になりたいと思っていました。

 ただ、研究するなら自分がその時にやりたい研究を、自分主導でやりたいと思っていた私は、単に研究職に就きたいとは思えませんでした。
 そこで、私立大学の大学教授になるのが一番確実な近道だと考えるようになりました。

 当時、既に私は前述の理由で雇用されたくないと考えていたのですが。
 「生物学の研究がしたい」という大きな目的のための妥協策として、私立大学の大学教授ならば一般的な会社員などに比べて個としての存在感を強く保てるだろうと考え、大学に雇われることを目指すことにしました。

 そんなこんなで、学力的にも経済的にも厳しかった私は、アルバイトをしながら浪人していたのですが、勉強に全く身が入らず。
 逃げもあるのだろうとは思いつつも、本当に生物学者になりたいのかということを、意識するようになりました。
 その思いはずっと、薄うすあったのです。なんせ、小学生の頃からずっと、自分が生物学者を目指すことは大前提として生きてきたので……。

 たしかに、生物は好きで、探求することも好きで、高校の部活動や課題研究も楽しくはありました。
 でも、本当にそれをやりたいのか、熱意が自分にあるのかと向き合った結果、私は浪人生を辞めました。
 二年目の秋のことでした。センター試験の出願を忘れていたことに気づき、それが決心を固めました。

 それに、工業や医療などに応用することを目的としない、知的好奇心を満たすことに重きを置いたマクロな視点での研究に、予算は下りづらいだろうという気持ちも、高校時代から私の熱意を削いでいたように思います。
 もちろん、国などの支援者が客観的に見て、限られた予算の中で役に立ちそうな研究に優先的に予算を割くことは公平なことだと思っていますが……。
 それに、その気になれば、大学進学はいくつになっても出来るし、勉強も研究も個人でだってできるという気持ちもありました。
 本当に自分に、そんな熱意があるのならば……。

 そして、同じく物心ついた頃からしていた妄想や創作に意識が向き、今は文章形式の物語を中心にちょこちょこと色色やっています。完全に趣味の域ですが……。
 大学教授を目指していた時も、大学教授が本を出していたりもするし、余裕があれば科学を活かした小説とかも書いてみたいなと思っていました。
 リアルな話から異能力バトルまで、学生時代からの構想もたくさん眠っています。

 そんなこんなで、今は職業としてはフリーター。
 アルバイトでお金を、収入を得ています。


アルバイトをしている理由


 私がアルバイトを選んでいる最大の理由は、社会的にその立場が低く責任も少ないからです(一般のイメージとして)

 私は前述の通り、真っ当ではない自分はどこにも所属したくないという思いが強くあります。
 なので、身勝手な妥協によって所属するにしても、少しでも所属度合いが低くありたいのです。

 具体的に――。
 もし、アルバイトが過ちを犯した場合、職場への批判は免れないだろうとは思います。特に、仕事中のものであれば。
 しかし、雇用されている立場の中でもアルバイトはかなり、その所属度合いが低いものかなと思います。
 ここで言う「所属度合いが低い」というのは、過ちを犯した時に職場そのものへの批判が小さく済む可能性が高く、切り捨てることも形式上は比較的 簡単である、というような意味です。
 大多数の人は、ある程度 分けて考え、職場もある種の被害者だと理解を示してくれるだろうと思います。

 なので、私はアルバイトという雇用形態を選んでいます。
 この先も、正社員にはなりたくありません。

 職種をここで明言することはしませんが、専門性のないものです。
 時給はだいたい最低賃金の割に合わない職種だと思っていますし、その割りにイメージとして見下されることの多い職業だとも感じていますが、だからこそ続けているという部分も多分にあります。

 ――少なくとも自分にとっては学び続けることのできる仕事だと感じていることや、生活上プラスになる部分もあるので続けているという、ポジティブな面もありますが。

 なんにせよ。
 出来る限り、名目上の責任が少なく低い立場で、それ以上の働きをするようつとめる。
 つまり、アルバイトの立場で普通のアルバイト以上の働きをするようつとめる。
 それが私の基本的なスタンスです。

 もちろん、これまでの流れからもわかるかとは思うのですが。
 大きな目的さえあれば、さらなる妥協を選ぶこともあるかもしれません。
 ですが、現状その可能性は極めて低いと思っています。

 小説まがいのものを書いていて、有名になれるくらい評価されたいなとは思っていますが、もし仮に評価して頂けたとしても、余程のことがない限り書籍化などもしたくないなと思っています。
 前もって「できます」と言うことに強い抵抗と嫌悪を感じますし、自分が働いた対価としてお金を貰うことは避けたいですし、雇用されたくない(契約したくない)ので……。

 募金とかお小遣いみたいな感覚でお金を頂くというところに落ち着くのが一番理想的かなと考えていたので、最近の「基本無料」や「投げ銭」という形態や意識の発展は、個人的には追い風のように感じています。
 ……まあ、そもそも全く評価されないどころか、ほとんど読んですら頂けないのが現状なのですが。
 ここは無風。


5.新しい理由


 ここまで、根本的な思いによる「働きたくない(雇用されたくない)」理由を説明してきました。
 ただ、近年、もう一つ大きな理由が増え強まっています。

 体が上手く動かないのです。
 感情が上手く抑えられないのです。

 ここ数年は、まともな労働時間で、職場の人たちもなんというか普通の人で、かなり楽にやらせて貰っています。
 にもかかわらず、最近いよいよ限界を感じるのです。

 学生時代から抑うつの気や一時的な入眠障害、慢性疲労、末期は文章を読んでも著しく内容が理解できなくなる、などがありましたが……。
 働くようになって数年で(今から六,七年前くらい)、胃の不調やアトピー性皮膚炎の再発、諸症状の悪化などを実感し始め。

 二年前に不眠症と胃の不調が急激に悪化しました。
 内視鏡検査で異常もないのに一日一食すらままならないほど気持ちが悪い時期が続いたり、入眠障害や中途覚醒が続き、酷い時は丸二日眠れないこともありました。
 胃の方はだいぶ落ち着きましたが、睡眠障害は波があるもののずっと続いています。

 頭が上手く働かない、物を上手く握れない、呼吸が苦しい、心臓や肺が痛む、頭痛や腹痛など、色んな症状が安定せずに現れることが増えました。
 好きなものさえ褪せて感じられ、趣味さえ億劫に思えるのはまだいい方で、好きなものさえちょっとした部分が酷く不快に感じられてしまう時も少なくありません。
 睡眠時間が少ない日ほど、色んな不調が顕著に現れる傾向が強いです。
 仕事や予定がある前日の方が眠れないことが多いのもキツイです。

 前述の通り一年中薄着になってから、風邪などは滅多にひかず、その体質が変わらないのは救いですが……。
(数年はひいてません、胃腸炎にはなったけど)
 ――この辺りも色色 言われることが多いのですが、話がだいぶ逸れるので別の機会に吐き出したいかなと思います。

 それでも、家を出ればずっと笑顔でいられたのです。
 職場の人と接する時や接客時は、少しくらいトラブルがあろうと平然としていられたのです。

 しかし、ここ1,2年はそれさえも怪しくなっていき、人目もはばからず胸をさすったりしないといられなくなりました。
 マスクでわからないかもしれないけれど、笑顔も強張ったり、ちょっとしたトラブルでも冷静さを保つのが危うくなってきました。
 大きな音にも、ワンテンポ遅れてビクっとするようになりました。
 数カ月前には急に、足腰に強い痛みが出始め、だいぶよくなりましたが長距離を歩くのはまだこわいです……。

 こんな状態で人前に立って働きたくないと、心底思っています。

 今は二ヵ月の休職中ですが、五月からは少しずつ復帰する予定です。
 働いていない分の楽さはあり、眠れなくてもゆっくりできるので、全体的に症状は落ち着いていますが。
 苦労して睡眠リズムを作っても簡単に崩壊しますし、抑うつは絶好調で成長著しいですし、復帰を考えると絶望的な気持ちになります……。


 私は働きたくないです。


結び


「働きたくない!」
「正社員になりたくない!」
 ――とは、友人や知人にもずっと言ってきたのですが。

 ここまで深く、その思いを話したことは一度もないので。
 こうやって、文章にしながらある程度 整理して吐き出して、全てを語り尽くせたとは思わないのですが、少しすっきりしたような気がします……。

 27歳の高卒アルバイトなので、これまで「(正社員として)就職しないの?」と訊かれたりすることは何度もあったのですが。
 まさか向こうもこんなボリューミーでヘビーな思いがそこにあるとは思ってないと思うので、いつも「働きたくない!」「正社員になりたくない!」などの結論だけでほぼほぼ返してきました。

 たぶん共有している感覚が少ないので、私の不慣れさもあって要約するのは難しいし、向こうもガッツリ話を聞く体勢ではないだろうし、説明したところで理解が得られるとも思わないし、下手したら今後 余計な気を使わせることになると思うので……。
 少なくとも日常会話でこんなこと、話そうとは思いません。
 私にはそんな思いばかりです。

 ああ、あと!
 普通に怠惰な思いで働きたくないという気持ちも、もちろん持っています。
 ―― 一人で俺のこと養うのは大変だろうけど、五人で分担したらちょうどいいんじゃないかな?
 それぞれに週一でお世話して貰って、二日くらいお世話なしでも。うん、ちょうどいい!
 俺の好みの女の子が、ペット感覚で飼育してくれないかなぁ……。
 ――とか思ったことも一度や二度ではありません。
 ママ活とかそういうのなかった時代の発想なので、前衛的な発想だったのでは!?
 ああ、てか、ママ活もいいですね。母の日じゃなくても俺、クレヨンで似顔絵かいてプレゼントしますよ!

 ……なんて。
 こんな私の愚痴を、思いを、最後まで読んで下さった方はいらっしゃるのでしょうか?
 もしいらっしゃったら、お疲れ様です。
 長長と失礼いたしました。
 何か少しでも、読んでよかったと思って頂ける部分があったならよいのですが……。

 ……きっと多くの方が、「働きたくない」という気持ちを多かれ少なかれ持っているんじゃないかなと思います。
 そんなみなさんと私を比べて頂いて、「私の方が大変だね!」と思って頂くんでも、「私はまだマシか」と思って頂くんでも。
 それで少しでも頑張る力になるのなら、うれしいなと思います、例えば。
 そんな価値なら提供できるでしょうか……。 


 読んで下さって、ありがとうございます。
 不快でしたら、申し訳ございません。

 皆様の人生が、幸せなものでありますように――。