第7話「しん中の毒」
「ごちそうさま……」
朝餉をほとんど残して俺は立ち上がる。
「アモールさん、どうしたんですか? ほとんど食べてないじゃないですか」
「ああ。ちょっと食欲なくてな……」
吐き気をこらえて外の空気を吸いに行こうとする俺を、クラースが引き止めるように喋り続ける。
「大丈夫ですか?! もしかして何かご病気では?! どうしま」
「大丈夫だ!」
思わず俺は声を荒げてしまった。
「……ごめん、なさい」
立ち上がりかけていたのだろうか。衣擦れの音と共にクラースが大人しくなる。
「ちょっと外の空気を吸って来る」
「はい。お気をつけて」
何事もなかったかのようなクラースの明るい声に見送られて、俺は家を出た。
俺は人目を避けるように、すぐそばの木々の中へと入っていく。大丈夫、ここまでどこにも人気はなかった。
「はぁ……」
俺は倒木の上に腰掛けて、遠く木々の隙間に視線を放る。
昨日、結局イグニスは一度も悲鳴を上げることなく、両腕を失う前にはカエリオニさえも倒してしまったので、俺は用意していった五寸人参をすべて綺麗に桂剥きすることができた。
俺は、四肢の肉とちんこを失って何もできなくなったイグニスを約束通り見逃してやったが、あの状態ではもうとっくに死んでいるだろう。
最初の復讐が終わった――。
イグニスとは、カチカチのある権力者共と対立した時に出会った。
そいつらはある時、俺たちの名声を利用して民からの威光を得ようと目論み、俺たちに手を組まないかと持ちかけてきた。だが、ヤツらの悪名を聞いていた俺たちは当然断り、それに腹を立てたヤツらと対立することになったのだ。
そんな戦いの中で俺たちはたまたまイグニスと共闘することになり、最終的に俺たちは悪名高いヤツらを失脚させることに成功した。
しかし、その時に素性が晒されてしまったイグニスは、それまでに多くの権力者たちから恨みを買っていたため、カチカチを去ることを余儀なくされたのである。
そんなイグニスの実力を認めた俺たちは、俺たちの威光で保護する形でイグニスを仲間に迎え入れようとした。
最初は頑なに拒んでいたイグニスだったが、ルクスとルチアの熱心な勧誘に折れ、最終的には俺たちの仲間になった。
だというのに……。
だというのに!
その恩を忘れて、イグニスは次第に増長していったんだ。俺を露骨に見下すようになった!
特に近頃は、何かにつけてひ弱な俺のことを「雄々しい雄々しい男の子」などと馬鹿にしやがって!
だからァ!
だから、そんなイグニスをいたぶって殺してやったあの時は最っ高な気分だった。
あいつのことだ。どんな痛みにも耐え抜いて、最後まで悲鳴を上げずに俺の復讐を受けきってくれるだろうと信じていた。
そして予想通り、イグニスは最後まで悲鳴を上げず、痛みで死ぬことも気を失うこともなく耐え抜いてくれた。
苦痛に耐えるあいつの表情に俺は胸がすく思いで、あんなに可笑しくて可笑しくて、俺は抱腹絶倒の快感に身をよじりながら、練習に練習を重ねた桂剥きを披露してやった。
でも。でも……。
その帰り道、急に興奮が冷めた俺は、突然耐え難い吐き気に襲われたんだ。
血でぐっしょりと濡れた黒装束に包まれて見えなかったはずの、イグニスの桂剥きにされた四肢とちんこが俺の脳裏に浮かんで、俺は耐えがたい吐き気に襲われた。
そんなものは。無残に殺された人間の死体なんて、黄泉蔵では日常的に見てきたはずなのに。むごたらしいもののけたちの死体だって、何も感じなくなるほどに見てきたはずなのに。
俺はなぜだか、イグニスの、その死体を想像すると、言いようのない吐き気に襲われて、途轍もない何か言葉に出来ないものに全身を苛まれるのだ。
「はぁっ! はぁっ!」
俺は息荒く地面を見下ろし息を吐いた。
吐き気が止まらない。止まれ。止まれ。
「はぁっ! はぁっ! はあっ!」
止まれ。止まれ。止まれ。止まれ!
「止まってくれ……。止まってくれぇ……」
俺は声にならない息のような声を吐き出し、地面に目を走らせた。
「イグニス……。イグニスぅ……!」
死んでまであいつは俺を苦しめるのか……!
おのれ。イグニス。イグニスぅ!
「っ!」
俺は怨念を込めて地面を殴りつける。
大地は嘘みたいに脆く、まるで豆腐のように砕け散った。
「はぁ……、はぁ……」
俺は荒い呼吸を落ち着かせる。
「……待っていろぉ、ルクス。次はお前だ。ルクス……。ルクスぅ……!」
呟きで叫び、俺は立ち上がった。
俺の胸に渦巻く怨念が、俺の吐き気を嘘のように晴らしてくれる。
ルクスを殺せば、俺はもう苦しむこともなくなるだろう。
「ふっ……」
俺は笑いを漏らし立ち上がる。
「ふふっ、ふっ……。ふふふふふふふふ……。ふははははははは」
家に戻るとクラースがお湯を沸かしていた。
「アモールさん、大丈夫ですか?」
「ああ、もう大丈夫だ」
「よかったです。朝餉はどうしましょう?」
「食うよ」
「はい!」
元気よく返事をすると、クラースは蠅帳 から俺が残した食事を出してきた。
「気分がよくなったら、急に腹が減ってきたよ」
「それはよかったです! もう、安心ですね。そうだ! ちょっと待っててくださいね」
嬉しそうにそう言ったクラースは勝手に戻ると、しばらくして湯気の立ち上る湯呑を持って戻って来た。
「おっ、なんだ?」
「これ、私がお腹を壊した時とか、よく母さまが淹れてくれたんです。よかったら」
そう言ってクラースが俺の前にごとりと置いた湯呑の底を見て、俺は目を丸くした。
「……」
「アモールさん?」
白い湯気の奥、湯呑の中、ゆらゆらと揺れる赤く崩れたびらびらの皮と舞い散る果肉片。俺は見たこともない光景を瞬く間に想起させられ、思わずその場で胸に蘇ったムカつきをぶちまけた。