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第8話「胸に残る温度」

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「……」
 夜のとばりもすっかり下りた夜更け。
 俺は、窓から入ってくる月明りで照らされたクラースの寝顔を見ていた。
「……」
 静かに眠るクラースの目じりは濡れていた。
 いつも笑顔のクラースだが、まだほんの少女だし、両親も留守で本当は寂しいのだろう。大好きなお姉さんも、死んでしまったばかりだし……。
「クラース……」
 俺は彼女の枕元に、摘んできた花を添える。
 昼間は流石に悪いことをしてしまったので、せめてものお詫びにと花を摘んできたのだ。今の俺にはあまり金の余裕がないし、クラースの喜びそうな物がイマイチわからない。
「……」
 俺は急に、クラースが愛おしくて仕方がなくなった。
 もう月経は終わってるんじゃないだろうか?
 まだだったとしても、そもそも接吻せっぷんくらいならしても平気だったじゃないか。
「……んん」
「っ!」
 急に寝返りをうったクラースから、俺は離れて様子をうかがう。
 ……よかった。起きてはいないようだ。
 接吻は帰ってからに取っておこう。クラースの照れる表情も見たいし、初めての接吻が寝ている間だなんて、流石に味気ない。
 全部終わらせて、ルチアとの関係も決着をつけてからにしようと俺は決めた。一つ、楽しみが出来た。
「いってくるからな、クラース……」
 俺は起こしてしまわないように優しく囁くと、家を出た。
 今晩で全ての決着がつく。
 そうしたら、その後、俺はどうしようか――。

     *

 ルクスとルチアと過ごした幼少時代を振り返っていたら、二人の住む西洋館にはすぐに着いた。
「ルクス……。ルチア……!」
 思えば俺はずっと一人だった。幼い頃から体が弱くて顔もかっこよくはないから、みんなに馬鹿にされて相手にして貰えなかった。
 そんな俺と遊んでくれたのは、あの二人だけだった。
 大きくなってからも、俺を黄泉蔵夫に誘ってくれて……。
 最初は、褒めてくれてたじゃないか。そんな二人に並ぶため、俺はあんなに頑張って。呪術なんて趣味が悪いとか陰口たたかれたって、二人が褒めてくれるから。何のとりえもなかった俺の初めてのとりえだったから。嬉しくて、嬉しくて。それで。それで……。
「なぁ――」
 いつから。いつから変わっちまったんだ?
 俺たちはいつから……。
「ふっ」
 なんて、何を感傷的になっているんだろうな、俺は。
 これからルクスを殺すのに。
 俺を事故に見せかけて殺そうとしたばかりか、ルチアまで奪いやがって。
 絶対に、絶対に許さない。
 表じゃいい顔していたが、あいつの俺に対する態度はとっくに冷え切っていた。もう、ずっとだ。
 許さない。許さないぞルクス。許さない。殺してやる。殺してやる。殺してやる。
 ルチアもルチアだ。
 あんなヤツと結婚だなんて。
 なんで。なんでだルチア。
 ルチアが優しいのは、愛情深いのは、知ってるけど……。
 だからって!
 ……思えばあの日、ルチアは俺のことをずっと心配そうに見てたよな。
 優しいから、遠慮しちゃうから、言い出せなかったんだよな? 男二人に、力じゃ勝てないルチアじゃ従うしかなかったんだよな? 怖かったんだよな?
 それはわかるよ。わかるけど。でも。でも……!
「はぁっ! はぁっ!」
 俺は荒くなる息を抑えて、見慣れた、だけど懐かしい西洋館の戸を見据えた。
「待っていろ、ルチア。ルクス……。殺してやる。殺してやるからなルクスゥ!」
 俺は激しく沸騰する囁きで宣誓し、煮えくり返るはらわたを抑えるようにゆっくりと歩き出した。

     *

 西洋館はしんと静まりかえっていて、警護の者一人いなかった。
 イグニスが惨殺された直後だ。もう少し警戒されていることを予想していた俺は、なんだか拍子抜けだった。
「……」
 あっという間にルクスの部屋の前に着いた俺は、意を決して洋式の戸を開けた。
「ぬぁっ?!」
 突然、暗い部屋の灯りがついて俺は声を上げる。
「待っていたよ、アモール」
 ルクスが部屋の奥、正面にある机の前に立っていた。帯刀している。
「ルクスぅ……」
「まさか君が生きていたとはね。昨晩、イグニスを殺したのは君だね」
 刀に手をかけたルクスが言う。
「ああ、そうだ……。ルクス。次はお前の番だ」
「……そうか。なぁ、アモール。すまなかった」
「は?」
「今さらこんなことを言っても遅いのはわかってる。でも、言わせてくれ。すまなかった……」
 ルクスは本当にすまなさそうにそう言った。刀に手を掛けたまま。その声も表情も名演技だが、白々しいにもほどがある。二枚目の大根役者が!
「何を今さら。そんなこと言われたってもう遅いんだよォ! お前らは俺を殺そうとした! その事実は変わらない! 俺はお前たちを許さない! 絶対に絶対に殺してやる! 今更命乞いをしたって」
「そんなつもりはないよ、アモール」
「ァア?!」
 俺は言葉を遮られ、思わず一念で殺してしまうところだった。危ない危ない。ルクスもイグニスと同じように、苦しませて苦しませて殺してやるのだ。
 俺は気持ちを落ち着ける。だが、ルクスはそれを逆なでする。
「命乞いなんてするつもりはない。ただ、もう少しちゃんと君と向き合っていれば、こんなことにはならなかったのかなって。そう思ってるんだ」
「だからなんだ……?!」
「ほんとうにすまなかった、アモール。これは当然の報いだと思っている。でも! これ以上君の手を罪に染めるわけにはいかない」
 そう言ってルクスは刀を抜いた。
「僕には守るべきものもある! 罪を負ってでも……! だからアモール。君は、ここで僕がる! 責任をもって。その罪も負って……!」
「はっ、はっ、はっ……。かっこいいなぁ、ルクスくんはぁ。何を言ってもかっこよく見えるよ。流石は勇者、閃光のルクスゥ!」
 皮肉で讃えてやった俺と、ルクスは瞬く間に距離を詰め、その刀を振り下ろした。
 俺はそれを右手で掴み、受け止める。もちろんルクスの刀は俺の手を深く切り裂いたが、傷は次の瞬間、次の瞬間――。
「あああーっ!」
 俺は叫んで手首を抑えた。何故だ! 傷が! 移らない!
 綺麗に裂けた手の平から、どくどくと血があふれ出す。
「イグニスが教えてくれたんだ」
「ァアー?!」
「君の手の内をね」
「なっ、何を言って! イグニスはっ。イグニスは死んだはずじゃ!」
「ああ、君に殺されたよ。でもね。イグニスは犠牲になってまで、僕たちに教えてくれたんだ」
「どっ、どういうことだ!」
 俺は懐から出した包丁で自分の袖を裂き、それで右手を止血する。どう呪っても、傷が移らないのだ。どうなっている!
「鳥だよ」
「鳥ぃ?! ……っ?!」
 俺は気づく。夕べ、桂剥きをしていた時、鳥が集まってきていたことを。
 あれはイグニスの死の臭いを嗅ぎつけ、死肉を狙って寄って来ていたのだとばかり思っていたが。そういえば、あいつは諜報活動に動物を使っていた。特に、鳥!
 俺たちは人を相手に戦うことなんてほぼないから忘れていたが。イグニスは義賊時代から育てていた、いくつかの言葉を覚えて使いこなせる鳥を可愛がっていた。まさかそれで?!
 いや、そこまで鳥に出来るのか? 単にあの戦いの中、なんらかの言伝ことづてを作って、鳥に回収させ運ばせたのか? なんにせよ――。
「気づいたみたいだね。そう、鳥を使って君がイグニスをどうやって殺したのか、その手の内を教えてくれたんだ。だから、僕とルチアの部屋にはあらかじめ、呪術を封じる仕掛けが施してある。内々ないないに、カチカチ中から腕利きの呪術師たちに集まって貰ったんだ。急だったにもかかわらず、今日の日暮れには間に合わせてくれたよ……」
「イグニスぅ……、ルクスゥ! 貴様らァ!」
 叫ぶ俺の左肩辺りをルクスが斬る。
「うあぁーっ!」
 二の腕から血が溢れる。
「痛いだろ、アモール。イグニスは……、イグニスはもっと痛かったはずだ」
「ルクス。ルクスゥ!」
 俺は壁際を後ずさりルクスから離れようとするが、そんなことではろくに距離が取れない。
 なんでだ? なんでだ? なんで俺がこんな。こんな……。
「アモール。君は少し、他人ひとの痛みを知るべきだった……」
「なっ……!」
 何を言ってるんだルクスは。
 ……それは。それは。それは!
「それは俺の言葉せりふだァ!」
 恨みの限り叫んだ瞬間、部屋の灯りが消えた。
「なっ! うぁっ!」
 暗闇の中にルクスのうめきが響く。
「ふっ、ふふふ……」
 俺の手の平から痛みは消え、俺の二の腕から痛みは消え、俺の胸はいていた。
「鬼才の呪術師、アモール。そううたわれたこの俺が。もののけだ鬼だとまで揶揄されたこの俺がぁ。カチカチ最強の呪術師だったこの俺がぁ! お前たちへの憎しみで無敵となったこの俺がァ! 凡才の呪術師共をいくら集めてきたところで、止められるはずないだろぉ? アアー?!」
「アモー……ル……」
 暗闇で見えないルクスを俺は睨み、手をかざした。
「もういい、ルクス。死ね。……うわっ!」
 俺の体に何かが覆いかぶさってきた。
 足元に刀の落ちる音がした。
 ルクスだ。ルクスは暗闇の中、最後の足掻きで俺を殺そうとしていたのだ。
「馬鹿だなぁ。切ったところで自分に返るだけなのに」
 ずるっと床に落ちたルクスの死体を、呪いを込めた足で蹴り飛ばし、俺はルクスが触れた胸を払った。強く、こびりついた汚れを払い落とすように払った。
 でも、ほんの少し触れただけのルクスの体温が消えない。あたたかな、死んだばかりのルクスの体温が、払っても払ってもとれなかった。
「くそっ!」
 俺は足元のルクスを蹴飛ばそうとしたが、そこにはもうルクスの死体はなかった。
 呪いを込めた脚力で蹴り飛ばしたルクスは、もっと遠くへ飛んでいったのだろう。暗くて何も見えない。
 俺が最後に、ルチアに会いに行こうと出口を求めたその時、急に扉が開いて、小さな西洋風行燈あんどんの灯りが見えた――。


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