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「林檎の木」を彼女は、読み終えたのだろうか?

ここに一冊の本がある。
古びた函入りの文庫本である。
函も文庫もくすんだ緑色をしている。
旺文社文庫、ゴールズワージーの「林檎の木・小春日和」である。
古本屋で手にいれたものだ。


本を開くと、一枚の切符が滑り出てきた。
鋏が入った緑色の切符である。
日比谷から40円区間まで 
日付は、48-7.25と印字されている。
昭和48年7月25日だ。1973年、およそ50年前だ。


この本は、誰が、どこで手に入れ、どこで読み、なぜ地下鉄の切符を栞のように挟み込んだのだろう。

旺文社文庫、函入りは、たぶん図書館用だ。学校の図書室に緑色の旺文社文庫が並んでいたのを覚えている。
書店にも並んでいたのかもしれないけれど、ほとんどがたぶん学校の図書室だ。

図書室で借りた本を借りたまま、なにかあって古本屋に譲ったのかもしれない。
あるいは、何らかの事情で返すきっかけを失い、家族がその人のものを整理していて古びた本をどこかの古本屋に出したのかもしれない。

ゴールズワージーの「林檎の木」を読んだのは、誰なのだろう。
「林檎の木」は、血湧き肉躍る物語ではない、静かに悲しみを秘めた物語、見方を変えればクズ野郎のお話だ。
これを読んだのは、女性なのかもしれない、セーラー服の女子高生なのかも。
セーラー服というのは、たぶん50年前はあまりブレザーの制服はなかったであろうから。

彼女は日比谷公園のベンチでこの本を読んでいたのかもしれない。
あるいは日比谷の公会堂で、誰かのコンサートを聞きにいっていたのかも。

切符は降りた駅で回収される。しかし、本に挟まれたままだったのは、なぜなのか。
切符を買い、地下鉄に乗って、そして、降りるとき
定期を持っていたのか
高校生なら、定期を持っているだろう。
定期券で降りたのかもしれない。
それとも、降りる駅でなにかのトラブルがあって、駅員に渡し損ねたのかもしれない。
そして、そのまま本に挟んでいた。

彼女は「林檎の木」を読んで、なんと思ったのだろう。
悲しい物語に涙したのかもしれない、のうのうと生きているクズ野郎に憤慨したのかもしれない。

そして、なぜこの本は図書室に返されることなく、古本屋に渡ったのだろう。

痕跡本は、想像をかき立てる。

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