権力について

権力とは、ウェーバーによれば、ある社会的関係の内部で抵抗を排してまで自己の意志を貫徹するすべての可能性を意味し、この可能性が何に基づくかは問うところではないという。

 ハロルド・ラスウェルは、この権力概念を社会化し、国家における権力の行使だけでなく、他者に対して影響力や強制力を行使するために利用できる権力資源として8つのカテゴリーに分類した。すなわち①権力、②尊敬、③道徳、④愛情、⑤健康、⑥富、⑦技能、⑧知識の8つである。

 権力は、社会のあらゆる場面で用いられるが、特に政治的な場面で行使される権力を政治権力といい、国家レベルで行使される権力を国家権力という。国家権力を多大なコストを払わずにスムーズに行使しようと思えば、警察権や軍事権など物理的強制力あるいは不服従に対する価値はく奪の実行や威嚇だけでなく政治的な正当性、すなわち被治者からの支配への自発的な服従もしくは同意が必要である。

 絶対王政においても民主政においても、国家が物理的強制力を保持していてもそれだけでは政治的安定性は維持できず多大なコストを払うことになる。そのため被治者からの為政者への自発的な服従もしくは同意が必要となる。民主政においてはこの被治者と為政者が同一であるため、主権者が国民(民衆)に存するという違いがあるにすぎない。また現代国家においては、国家権力を複数の国家権力に分散させ一つの国家機関に集中させず権力分立を図ることで人権侵害を防止する仕組みが出来上がっている。

 ところで、現代日本では、議院内閣制を採用しているため、選挙によって国会議員の多数派が変われば内閣総理大臣も変わることになる。ところが2012年12月の総選挙以来自民党が政権を維持し2020年9月まで安倍晋三が一人で総理大臣を続けてきたので、7年もの間国家権力を一人の者が担い続けたという稀有な時期が存在した。

 確かに、現代日本では国家権力はいくつかの国家機関に分散され相互に抑制と均衡が維持されることで、国家権力が暴走することを阻止する仕組みが出来上がっている。したがってただ一人が長期政権を維持したとしても無制限な権力の行使ができるわけではない。

 しかしながら、国家権力の一つである行政権を一人の人間が担い続けることで、まわりの人間がその意向を忖度するという現象がうまれた。文書の改ざんや廃棄を命令せずともその意向を忖度して違法な文書の改ざんや廃棄が行われている。

 思うに、安倍政権は第1次の短期政権となった失敗に懲りて、第2次政権では不服従に対する価値はく奪の行使や威嚇を強め、官僚やまわりの政治家に対する自発的服従を強く求めすぎたのではないかと考える。それが民主政の根幹をゆるがすような「忖度」となってあらわれたように思う。為政者は常に権力行使の抑制を念頭に置かなければ、民主政を破壊する結果を招くことになるだろう。安倍政権の顛末は権力行使の在り方を示す悪い見本となった。

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