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お洒落と平和

「日本、大丈夫かな?」
ふと、思う時がある。

いつからこんなに生きづらい国になったのだろうか。
テレビを点ければ暗いニュースが流れる。
政治とカネ、スキャンダル、景気の悪さ、戦争
様々な内容が飛び交う。

SNSを開けば、情報量が多くて
自分が何を大事にしているのかがわからなくなる。

自分が生まれた時よりもはるかに便利になり出来ることも増えた。
日本は豊かになった?国民の幸福度は上がった?
政治家のやることは国民へ還元がされている?

そんな中、
若者は将来に対して希望を持たず
政治への関心も低く、投票にも行かず。

上がらない賃金のためにやりたくない仕事に
時間を費やす。
あっという間に時間が消費されていく。

「日本は過ごしやすい?」
この問いに関して、自信を持ってYesと答えられなくなっているのは確かだ。
いろいろな視点で見ることができるとは思うが、海外から観光に来て過ごす分には快適だろう。
ただ、この国にいる自分としては
必ずそうではないと考えてしまう。

そんな国で過ごしている中で自問自答してしまうのが
「お洒落は必要?」ということだ。

ファッション小売業に勤めている身としては
Yesと答えたいところだが、今の社会情勢を考えると強くYesと言えないのが本音だ。
趣味嗜好に使えるお金も少なくなっていて、子育てや住宅ローン、老後の備えを考えると
新しい洋服を買っている余裕がないと声が聞こえてきそうだし、その中で安価なブランドに流れていき
洋服や素材本来が持つデザイン性や風合いが重要視されなくなり、
イージーケアや洗えるという商品価値が残ってしまい、いかに少ない洋服で着こなすかが大事になってきている。
物を持たない、物質的価値に縛られない=イケてるというのが今の流れだ。
そうなってくると洋服はどんどん生活の中で
優先順位の低いものになってしまっている。

ただ、ここで話したいのは
何も「洋服が好きなら沢山買え!」とか「モノを沢山持て!」とかが言いたい訳ではない。

この記事で伝えたい内容とは
「ファッションは"自己肯定感の最大化"と"他者理解"に優れたツールであるということ」が言いたいのだ。

本来ファッションとは、人と違う格好をしていることで個性を出してみたり、自分らしく装うことで自信を身に付けたりするときに用いるもので
必ずしも、「誰かがいい」といった他人の尺度でする物ではない。
ましてや、流行りの本に書いてあるクローゼットの中は10着に収め、その内訳まで一緒にするのがイケているという話ではなく、
あくまでも"自分が自分らしくいられる気に入った物だけで過ごして、人生を豊かにしましょう"ということだ。
(数年前に流行ったノームコアがいい例で、黒トップスにデニム穿いてニューバランスがいい例だ)

ファッションの素敵なところは自己表現だけではない。
他者理解もその一つだと思う。
つまり、他人のファッションに寛容になって受け入れて、非難しない。
相手のことを尊重するという素敵な一面もある。
「時代遅れだからだめ」とか「最新じゃないからだめ」とかだけで判断できる物ではないし
むしろ、長く大切に使っている人の方がなんだか信頼が出来る。(もちろんTPOは大切というのは大前提として)
そんな、100人いれば100通りのファッションがあるわけで、それを一つの物差しだけで捉えるのは違うし、
これは、意見や考え方だって同じことが言える。
100人いたら100人分の考え方や価値観があるし、自分と全く同じ価値観を持った人なんていない。

つまりは、お洒落をすることは
・自己表現の引き出しを増やし
・他者の表現を理解し認める
極論かもしれないが、お洒落を楽しむことは平和につながると考える。


この考えをなんとか、今の世の中にも応用できないだろうかと日々考えてしまう。
もっと世の中が、他者理解の努力をし、相手を尊重する世の中になると
もっと社会が平和になるのではないか?
良いことは褒め称え、問題に対しては話し合いで解決する。

この先、ファッションが直接的に平和の役に立つかはわからないが
人々を楽しませ、周りの人々も楽しめるツールであることは
これから先も変わらないでほしいと願うばかりだ。








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