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音の海に溺れた

〜はじめに〜

「僕は音の海に溺れた」

「SAKANAQUARIUM アダプト TOUR」を
観に行った際に感じたことを記したエッセイである。

4部構成に分けており、それぞれの章では

「海への道程」:開演までの音楽に対する考え
「入水」:開演開始直後
「音の海」:ライブ中盤から終盤にかけて
「退水」:ライブ後


このように章を分けて記述している。

サカナクションが好きな方はもちろん
他のアーティストが好きな方にも、
コロナ禍での自身と音楽との距離感や
自身の生活の中の音楽の重要性
更には自身と社会との繋がりを再考する
きっかけになると嬉しい。

〜海への道程〜

コロナウイルスの猛威が奮い始めて

約2年ほど経過しようとしている。

「すぐに終わるだろう」という予想を大きく裏切り

当たり前のように参加していた夏フェスにも参加できず、

サブスクで聴く身近な音楽との距離感は変わらないが

開放感のあるライブに行けなくなると

息が詰まる日々が続く。

ある日、閉塞感打破への期待と日常への不安を抱きながら

弟ととある海へ入ることが許された。

〜入水〜

その海の水に触れた時に僕の意識は遠のき

頭は真っ白になる。

声を出そうとするものの思うように出せない。

飲み込まれる感覚がハッキリわかる。

息も出来ずに苦しいはずなのに何処か心地が良い。

「やばい、このままだと死ぬかもしれない」

それと同時に、「この感覚がずっと続けばいいのに」

そんな感覚に陥りながら、海の中に落ちていく。

水深深く…。

〜音の海〜

入水から少し経つと

何故か観てる景色が滲んできた。

しばらくすると温かいものが

頬を伝うのがわかった。

息が詰まるような感覚から

音が身体中に響くのが心地よくて

フワフワした感覚に襲われる。

初めは頭が真っ白で

息することさえままならない感覚だったのが

次第に色々な感情が呼び起こされる。

閉塞的な日常のことや

将来への不安なこと

様々な想いが曲と共に引き出され

頬を伝う温かいものへと変わっていく。

決して泣いているわけではない。

だってここは音の海なのだから…。

〜退水〜

心地いい音の海にも終わりが近づいてきた。

初めは息が詰まっていたのに

時間が経つと心地よく

このまま浸り続けたい気持ちでいっぱいだった。

人がこんな素敵な空間を創り出せることに感化されて

自分の実現したいことやりたいことが

とめどなく湧いてくる。

「自分はどれだけ人の役に立ててるだろうか」

「自分の仕事が誰かの為になっているのだろうか」

そんな焦燥感を抱きながら慌てて

音の海から退水。


九段下の21時が過ぎていく…。

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