女性が尊い、尊すぎる
女性が尊すぎます。あまりにも尊いのです。私は、社会の発展には女性進出なくして得られないと思っています。そして、女性とお話させていただく、カフェに行く時間をいただける、それだけで、1日の疲れが吹っ飛び、空っぽだっヤル気の瓶を一瞬で満タンにしれくれる、女性にはそうさせるパワーがある。男性にとって必要不可欠の存在、それが「女性」だと思っています。
ですがこれは、「女好き」なんかでは全くありません。もはや、その逆で女性は神々しい存在で、気軽に女性に話しかけれませんし、ましてや触れよう物なら丸一日の心の準備を要します。そのくらい、女性に対するリスペクトと、気軽では無いということを常々思っています。ですが、客観的にには「女好き」に見えるらしく、結果「女好き」というレッテルを貼られてしまいます。これは誠に遺憾なのです。
何が尊いのか
女性という存在そのものが尊いのですが、少し細分化して考えて見ます。
容姿、化粧、お洋服、外見
まず大半の女性は化粧をします。化粧をしてくれています。一般的に男性よりも用意に時間を要するので、早く起き、化粧をして外見を整えていきます。何もせずとも、超可愛い女性という生き物が、化粧に精を出しさらに可愛くなっていく、もうこれは大罪ではありませんか。世の中の女性は、頑張って早く起きて、化粧をしていると考えるとあまりも尊と思いませんか。
毎朝、好きな人が化粧している姿を見るのが私の夢なのです
着る服に悩む女性
たくさんの服を持っている女性は多いともいます。おそらく一般的に、男性よりも女性の方が持っている数は多いはずです。かわいい服をきて、可愛くなりたいから、ついつい服を買ってしまう。それの積み重ねで気づけば服が大量になっている。これだけで、もう尊いのですが、その大量の服の中から、可愛くなろうとして、着る服に悩み考えている時ほど、尊いものはありません。
女性をさらに美しる見せるのは服。これは間違いではありませんが、女性が美しいから服も可愛く見えるのであって、主体は常に女性なのです。かわいい服を着るから可愛く見えるのではなくて、女性自体が可愛いので、その服が可愛く見える、これが逆説的であり、真実なのです。
デートがあろうものなら、、、
もし、女性と一日遊ぶ予定があるとしたら、その女性は、私との予定のために、朝起きて準備を始める。そして、私のために着る服を考える、外見を整えていく、この行動全ては、もし私との予定がなければ生まれなかったことであって、もはや私のためにしてくれているのと同等ではないか!(素晴らしい自意識、超ポジティブシンキング)それが単に、「外に出るから」という理由であったとしても、私はとても嬉しく思います。可愛くなろうというその姿勢が尊すぎて、素敵すぎるのです。
私は基本的に、時間を待てない人なのですが、もし女性との待ち合わせで、「服に悩んで遅れた」とか言われると三時間でも四時間でも疑わずに待つことができますね。
女性のためなら頑張れるのが男性
この世の全ては女性という存在で成り立っている。女性無くして世の発展無し。ライトを浴びるのは比較的に男性の方が多いのかもしれない、だがその男性は女性がいなければ何もできない。それに比べ、女性はたった一人でも強い心を持って成し遂げることができる。男性より、女性の方が優秀なのは、女性は自分のために頑張れるが、男性は自分のためだけに頑張るのは少し無理がある、女性のように上手くいかない。そのため、頑張る理由として心に女性を宿らせることで理由を設けることでもう一踏ん張りすることができるのだ。もし、心に女性がいなければ何もできない。本当に何もできない。それくらい男性は弱く、情けない生き物なのです。女性という存在に感謝です。
自分のために頑張る、という点で圧倒的に女性の方が強い心を維持できている気がする、そんな気がして止まない。それは、なんでそんなに頑張れる?という女性を多く見てきたからだろうか。女性の方が優秀な人が多いという私の考えが一生消えることは無いだろう。だが男性は家庭を持つと強い。本当に強い、この頑張れる理由は守るべき女性がいるからである、、、
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