渇望-遠野遥『破局』-
はじめに
今回は、遠野遥さんの『破局』についての読書メモを書こうと思います。
最近、あまり読書メモを書けていなくて…。というのも、読書の時間に対して、文章を書くスピードが遅かったり、文章を校正する時間がとてもかかったりするので、読んだ本をそのまま読みっぱなして次の本に移ったりすることが増えつつあります。しかし、個人的には読書の質を高めるためにも、読書メモの作成はとても重要だと思っていて。これからもちょくちょく書いていきたいなぁと思います(今、読んでいる本も読書メモを書くとなるととても追いつかないですが)。
さて、気を取り直して、遠野遥『破局』についての読書メモを書いていこうと思います。
本を手に取るまで
遠野遥『破局』は言わずもがな有名な作品になりました。これまで遠野遥さんを全く知らなかった人でも、この作品を知っているという人が多いんじゃないでしょうか、僕もそのうちの1人です。第163回芥川賞受賞作としてとても脚光を浴びましたね。勿論、僕の働いている本屋でも、話題書のスペースにこれでもかというくらいに陳列されています。
芥川賞作且つ河出書房さんが出しているということで。河出書房さんは、新進気鋭の作家さんの中短編なんかもよく出されている印象があります。最近読んだところでいくと、綿矢りささんの『インストール』なんかがそうでしょうか、2001年の作品ですので、僕が生まれて幾年かの本ですが(綿矢りさ『インストール』に関しても、後日読書メモを書きます)。さておき、すらすらと読めそうな分量と芥川賞のネームバリュー、読むにはもってこいでしたので、ハードカバーの裏に記載された値段と格闘しつつ、店頭の商品を手にしました。
あらすじ
この本は、大学4年生で公務員試験に向けて勉強中の主人公・陽介が、政治家の卵の彼女・麻衣子とライブで出会った灯との間で揺れ動く話であり、二人の女性の間で揺れる末に、破局に至るまでの物語である。
感想
▷本の感想
一人の大学生が、二人の女性の間を揺れ動く、感情に正直でありながらも、何処か「渇き」を感じる作品だった。登場人物は、自身の感情に忠実でありながらも、どこか「諦め」というか「冷め」というか、それらを全てひっくるめた「渇き」を持っていて、惰性とやるせなさなどの負の感情たちと向き合い、それでもなんとか食らいつきながら必死に生きているような、それがこの「渇き」であり、この本の中心となっている、そんな印象を受けた。
また、このぶつ切りの思考、一つ一つの文章がバラバラな感じは、小説として、文章として違和感を感じざるを得ない。しかし、日常生活とはそういうものであって、思考のぶつ切りが連続して進んでいく。欲求にとてもストレートに。この辺りもとても「大学生っぽい」と感じる部分である。
▷本を通して
この本で最も感じたこと、それは、本稿にも何度も出ていた「渇き」についてである。
過去に就活をしていた身として、この一節にはとても共感をした。そして、この一節が遠野遥の持つ「渇き」が垣間見えたところだった。斜に構える、と言うと少し響きが悪くなってしまうが、大学生という多感で流されやすく、苦悩を得やすい時期、そして、その悩みに対して愚直になれてしまう時期において、感情に正直な側面と「渇き」の側面との間で揺れ動いている主人公の一挙一投足は、どこか他人事とは思えなかった。
きっと、この「渇き」だけを持ち、世の中を全て斜に構えていては、世の中をわたっていくことも、世の中に迎合していくこともできないんだと思う。最後まで「渇き」を持ち続けた主人公の末路からもそう思える。
今の世の中を形成する大人たちは、この「渇き」をとうの昔に捨てている人たちが多いんじゃないか。だから、この小説が刺さったんじゃないだろうか。でも、大人になるに連れて自らの内側に封印していくこの「渇き」を、たまには解き放ってもいいんじゃないだろうか。大人として「正しく」「合理的に」「効率よく」生きることが全てじゃないかもしれない。ときに正しくなくても、愚直に感情的に非効率に、そんな一瞬があってもいいんじゃないかなぁなんて思った。これは自分自身への戒めでもある。
最後に
昔書いてあった感想を久しぶりに読み返してみたら、乱筆乱文のオンパレードだった。これを遠野遥さんが読んでくださったのかと思うと心苦しい限り。
でもなんか、久しぶりに感想を読み返しただけでも刺さるね。仕事し出してから、喜怒哀楽にはエネルギーがいるなって思った。
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