衛生パスの行方3〜フランスの場合〜

9月もあっという間に過ぎ去り、10月に入りました。

パリは一雨ごとに寒くなって、気候はすっかり晩秋のようです。

フランスでの衛生パス事情、今日はフランス人の反応について私の経験からシェアします。

その前に、日本やフランス国外の方向けに検査情報を説明しておきます。

衛生パスを発行してもらうために受けるPCRなどの検査は、現在無料で受けることができます。正確には、国の保険システムである、セキュリテソシアルに加入している人にとってはカバー内のサービスとなり、この保険に加入していない場合は有料となります。

約2週間後、来たる10月15日から、この検査が全て有料になるとされています。一回約50ユーロとかなり高額な値段です。(ラボの場合。薬局などの場合はもう少し安くできるようです)

現在私はラボラトリーに行って検査をしてもらい、数時間後に結果をメールやSMS経由で受け取っています。パスの有効時間は変わらず検査から72時間で、仕事場に行くためには週に最低2回、時により3回の検査が必要となります。

これが2週間後から有料になるのが痛手なのは私だけではないはず。ラボではなく薬局で受ける場合や、街角にある検査専用のテントの場合は料金は一律でないけれど、詳細はギリギリにならないと明らかになりそうにはありません。(いつものことですが・・・)

検査は、PCRの他に、アンティジェニック(検査結果がPCRより早い)、唾液検査(サリヴェール)、オトテスト(Auto-test) があって、それぞれ結果が出るまでの時間も違えば、ラボや薬局によってできるテストの種類も違います。

私はこれまで唾液テストとアンティジェニックを受けましたが、唾液テストは結果を受け取るまでおおよそ8時間からそれ以上かかるため、パスを使用する前日の午前中には受けておかないと間に合いません。それだけのためにパリに出ることもあり、おかげで予定がタイトになることもしばしば。

フランスは、流れ的にヨーロッパの中では何かを取り入れるのが遅いのが通常なのだけど、今回はいの一番に手を挙げました。そのことも、なんとなく不自然に感じていました。

英国よりも、スペインよりもどこより早かった。これにはどういった意味合いがあるのだろうか。

そういったことに対しても色々、考えること、思うことはあります。

話を戻し、先日3ヶ月ぶりほどに会った仏人友人との会話で思ったことをシェアします。

仕事のためパスを持っていたため、彼女が好きな日本食のレストランの住所を渡しランチすることに。

当日少し遅れて来た友人は、挨拶をした後、(ビズはせず)いきなり、ねぇ、あなたワクチンは打ったの?と聞いて来ました。

(ほら来た)と思い、少し戸惑いつつ、いいえ、と。

その後、でも、と少し声を潜めて、打ってる打ってないってとてもパーソナルなことじゃない?そんな風に聞くのはどうなの?と言ってしまう。

すると彼女はそんなセンシティヴな、とでもいうようにさらっと笑って言いました。

「みんな、今ではそうよ。サリュ、サヴァ?(こんにちは、元気?)と言った後、もう打った?と聞くのよ。.....そういうところあなた、日本人らしいわね!」と。

日本人らしい、の意味はセンシティヴだと言いたかったのか、それともきっちり真面目だと言いたかったのか分かりませんでした。

そんな感じで言われたことには少しだけ衝撃を受け、その後彼女も一緒に声を潜めながら政治の話などをし始めて。

フランスは来年5月が大統領選挙で、マクロン氏は再当選する可能性はあるのかとか、フランスにはどのくらいの医者が(表明していなくても)反対しているのかとか。

そんなことを話していてわかったのは、彼女の周りはほぼ全員摂取済みだということ。

打っていない私のことを、明らかに少数派を見るように見、(不快な感じではないけれど距離感を感じる)情報交換しながらすり抜けている私の話を逆に興味深そうに聞き、彼女と私の生活している世界とはまるで違う次元を生きているような気さえしてしまいました。

彼女のことは好きだし、なんでも話せる数少ない関係を築いて来た人の一人なので、今後も今までと変わらず付き合いたいと思っているけれど・・・

この時の会話から私は明らかに、自分が少数派ということを実感し、ワクチンの被害などについても少し触れても、ビクともされず、迷いも感じることはありませんでした。(彼女はお父さんがお医者様なので、私よりむしろそういう話はよく知っているのかもしれません)

今回のことで思うのは、普段腹を割って色々大切な話をして来た人たちでも、どういう風に自分の健康を考えているのか、またニュースソースをどのように捉え理解しているのか、社会の流れにどのように乗って生活しているのか、などの価値観がはっきりと見える時代になったのだな、ということです。

私の言葉は今までどのくらい届いていたのだろう、と別れた後に少しぼーっと歩きながら考えてしまいました。

それ(私の言葉は届かない)はシカタナイこと?

どこからが事実で、どこまで信じられる?

確かなのは、この今の社会情勢も、政治もおかしいということ。

ウイルスのこともそれ以外でも、事実を話していない人たちがいるということ。

それを疑っていない人たちがいるということ。

私たち一人一人が自分の決断したことに対して、正しいと信じ抜くことができるように、そしてその自由が守られるように、国は責任を持って判断し、血税はそのために使っていただきたい。

きっと良くなる。夜明け前の空が一番暗いように、きっとこの空は空けて光で照らされる日がくることを祈りとともに眠りにつきました。




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