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エクリチュールと非装飾性の花の淡さ(「儚い」、と)

■1 序 詩的に聖なるものは

・無立場ということがある。それは供犠に似ている

・沈黙を自らに同定しきったとき、あらゆる自らだったものが、抜け落ちていく

・あれは、言語、というより、思念のようなもので、欲望の蜜月の往来

・そう。今だって、花は淡く(い)

・表記性の装飾に、見出されるのは、非固有名詞的な、あの語り難いもの

・だから、沈黙はその極みから、小さく息を吐き出している

■2 序 花の白さと天性と個性についての試論

・意味と無意味の間に、表記性から装飾性に続く、カタチ、というものが内在している

・カタチは、境界、であり、非造形、であり、なんらかの限界性を自体して"いる"

・疊なるドクサを避け続けることは、難しい

・同じく、わたしも、わたしが、何をしているのかは、わからない(だれが?)

・そういったところに、新しい、トポスが、場が、ある

・唄のような、トポスは、たゆたうように、人々の間を。そう。永遠に

・世界を語るには、言葉、は、重た過ぎる(少なくともわたしには)

・語られた世界を語り直すことは、軽すぎて(多めに見ずともあなたには)

・欲望は欲望を真似するか、真似をしないという逆説的な、真似、をしている。逆説するか、再帰するか、そういったように("誰"が抜け出せるのだろう)

・いつも、壊されるのが、怖い。だから、壊れないようなものを創るのが、なおさら、に怖い

・だから、言葉の紡ぎ。言語の叙述。そして、意味。それは、ひとつのウタとして取り扱われていた(視覚に吸収される類の)

・異国の人々は、こうやって、言葉でも、言語でも、意味でも、ないものを、覚えていく。覚えていく(のか)

・それは、どれほど、頭の中が、そういった、弁証法と否定弁証法の合の子を、通過して、より分けているのか、を、指し示している(ピュシスに由来しながら)

・けれど、頭の外側が、小さな野原になっていて、そこから、やっぱり、花が、あの、花の小ささが、野原になっているのかを、頭が知ることに似ている

・傷口がたくさんある。欲望を避けるときに、それこそが欲望ではないか、と欲望する、その紆余曲折のなかで、傷口が、たくさん

・天性はだれにでもある。個性は傷口から生まれる

・天性は無みたいに、癖とか身体の特徴とか、それ自体が、"そう"なの。産まれたそのままの特徴は天性(いわゆる、"個性的だね"っていう、偏見は、天性への侮蔑)

・個性は、でも、殆どの人は、持っていない。天性が引き裂かれたなかで、はじめて、生まれていく(よくある、普通で普遍的なものが、実は、個性。なのに、"わからない"っていう言葉で指し示されるもの)

・深夜に眠れずに雷が鳴ったときに、何かがズレた

・いずれ、絵や言葉に生成していくもの

■3 序 花は問いかけるときに、誰は現れる(のか?)

・照応している万のこと(名前を忘れてた詩人の言葉だろうか)

・語りかけるのは、呼ばれているから(あなたとわたしはいつになれば、そうではなくなれるのでしょうか。或いは、そうなるのでしょうか)

・性欲という欲望。そして、禁欲という欲望。いずれを罰することなど、だれが、欲望しているのでしょうか

・わたしは、子。小さな、それも、とても、小さな

・問いかけはいつも、"だれ"、と

・だれ。――あの、誰。

・わたしたち、とか、みんな、とか、全員とかより、「誰?」というあの、問いこそ、もっとも、それらの言葉が言おうとすることを言い当てている

・人は、人間は、「誰?」と問いかけることを忘れてしまうときに、世界を喪う(それも、全員が、「全員」になったときに、世界は)

・いつから、あなたは、「誰」という言葉の意味を、覚えたのでしょう

・わたしは、はじめは「誰」なんて問いかけを知らなかった。誰から教えられたのでしょう

・相手に、他者に、〈誰性〉を保ち続けること

・あなたに、「誰?」と問い続けなければ、あなたは、ただの「あなた」になってしまうことをわたしは知っている

・あなたが「あなた」になること。それは、狂気のひとつ。人が人として平気で生きてしまうことは、狂気に

・誰、を問い続けること。自分ならぬ他者に。それのみが、可能な公共である

・止まってしまった時は、いつも、時計のことだと思っていた

■4 それでもはじまるもの。芸術のトポス

・代表性のなさに、立場のなさは、語るに、あまり多いものを知らない(なぜなら情報社会において、安易に欲望的なるもの以外は、対象化され難い)

・否定神学だろうか。叙述と表記には、そういった違いが、いや、異なりが訪れ続けている

・芸術は、トポスを、ジャンル的なもの自体、を創造していくのだろう(自体性を創造していくということ)

・ジャンル的なもの、を差異化し続けることで、ジャンル(あたらしいコードという矛盾)を生成し続けていく

・そのときに、そもそも芸術家には、トポスなど、ジャンルなどなかったことに出会うことになる

・結果的に、芸術家は、自らの自意識という破廉恥極まりないものを、しかし、表現しなければならないことになる(これが、おそらく、芸術家の語りえなさを、常に表している)

・それが芸術のトポスである

・重たさから生まれる軽さのこと。女性的な不可能性のこと(あの対称性を破るところのもの)

・それでも、芸術が世界を生成していることを知る政治家などいないように。異邦人としての哲学的限界性を芸術と呼ぶ

・なんらかの重力がなければ、創造は、定まることを知らない(あの無限の、"欲望と造形"の弁証法に絡め取られるのである)

・定まることを知らない、ということとは、即ち、芸術の自由は、いつしか、哲学や思想や学術に、それそのものを変容させてしまうのである(芸術の無限性と欲望の際限のなさ)

・しかしながら、芸術によって、知、になんらかの寄与が行われることは可能である(哲学や思想や学術に)

・それは、ある種の、芸術の持つ、究極的な総合性に由来する(他の分野に、この総合性の自由は認められていない)

・つまり、異邦人なのである

■5 愛しい異邦人たち。或いは民族的な

・国境線は固まり、グローバルに世界が固定された以上、それまでのその動性は、抽象空間(よりさらに)へ昇華され、そのすでに死した国家を抜け出して、あたらしい国家を、すでに生成している

・そこには、脱時代性、脱空間性の領域が広がっている。名無き国家。つまり、原国家。そして、われわれ、は、そのなかにある、あまりにも新しく、あまりにも古い民族なのである

・レンマ知性、シンクロニシティ、コトバとかいうように、学術領域でも、その正体じみたものが見出されはじめているが、新旧いつでも、このアイオーンにある、また、ゾーエにある生命体たちは、この原国家に属してきた

・そして、原国家は、実に、この現国家群たる世界の歴史の進展を、現に、そう、常なる現において、司るものなのである。そこには、宇宙的な動静や自然界との紡ぎまで、あらゆるものを含む(そして、これも欲望。そう。世界を所有したい、という)

・われわれは、そこから、来たものなのである

・あらゆるものが相対運動の生命のなかに閉じられている。それは一見、自ら、固有に生きているようで、ひとつの相対運動に他ならない

・だが、われわれ、とは、誰、なのか

・言うに及ばす、連続的不連続とかいう、あの、人間のなかの、軋み、と、軋み、を受け入れられるはずもない、わたし、と、そういったものが

・あの話に似ている。エロース。その愛が、ついては、はなれ、ついては、はなれ、という近みと遠みの狭間で、何もかもをわけのわからないものにしてしまうという正論と、だが、それがなければ、そうではない愛(カリタスや慈悲)もありえなかったのではないかということ(少なくとも、わたし、においては、そう、としか言えないのかもしれない)

・世界や自分が、わからなくなる、のではない。そもそも、何がわからないのかも、わからない、ということに気がつくことに

・わからない、とは、何だ。わからない。これだ、ろう

・だが、わかる(少なくともそう思える)ときもある

・なぜなら、そうでもしないと、たしかに、生きていけないときもある(そう、思う)。ああ。

・あなたは言うのです。「かつて、あれほど憧れた実存の時間」。そしてさらに言うのです。「それが、これほど、ただの無常だった、なんて」

・そう。うな垂れることさえ、忘れてしまうほどに、絶句し、まるで、シーシュポスのように、固まったまま、なのに、岩を運んでいく

・「こんなことはあってはならない!」と、叫ぶ

・が、現にこんなことがあったのだ(収容所と化した心身)

・だから、あなたは謂う

・でも、結局は口ごもってしまう

・そういった往来(そして、「わたしは知らない」と、言うようになった)

・苦痛と言っても、他者には伝わらないものに、絞め殺されるように

・壁を殴るその手前で、あなたは、殴ったあとに、罰せられることを知っているし、それにも増して、そのことで、自分の拳が、どれほど、傷み、苦痛に呻くのかをわかっている

・そして、それは、自分と呼ばれるこの人だけの問題や命題というように回収できるほど、生易しいことではないこともわかっている

・このことは、冤罪者が、その冤罪において、冤罪を叫び続けることがひとつの、ゆるし、ではなく、義務としてしか、たち現れないことを自覚するときの、勇気であり、震えに似ている

・世界で、たった独りになるときに

・だから、あなたは、わたしのなかに、ナルシシズムを見てとるのだろう

・だが、わたしが、それはナルシシズムではない、と、はねのけなければならないときの、より増していく孤独と、あなたがわたしに抱く、ナルシシズムの疑い

・だから、わたしは、そんなあなたこそが、ナルシシズムなのだ、という他にないのだ(ナルシシズムとは、自らに自惚れることではない。他者の如何に自惚れ、自らを忘れていくことだ)

・少なくとも、わたしは、苦痛を抱いてるのだから(弁明。そして、苦痛から逃れたいという当然の訴え)

・異邦人と呼ばる者

・異国など、世界から消え失せた。それは世界が消え失せたことに等しい

・だれもがだれもにとっての異邦人だった時代など、まだ、この世界では、現れていない

・それもそうだ。異邦人とは、なるもの、に他ならない。自覚に次ぐ自覚のなかで、自らこそが、もっともな異邦人であったと、そう、わかったときにしか、異邦人など、存在しないのだ

・あなたは、異邦人を忌避する。自らは異邦性のない、なにか安全で疑いようのない存在だと、知っているからだ

・だが、そう、知っていること。それを支えるのは誰か。あなたが、見ようともしなかった、おびただしい数の異邦人たち。あなたは、ただ、自覚がないだけだ。必ず、あなたも異邦人になることを

・見よ。あなた以外には、異邦人など、どこにも存在したためしはないのだから

・少なくともわたしから見れば、ああ、憐れなる。あなたは、自らが異邦人と知らない憐れなる異邦人

・愛しい異邦人

■6 非人間的なつながりとしての

・私の足はあるだけマシで、もう、あの頃のように、はやくは歩めない

・そう、まだ、うら若き青年が告げたのだ。この國では

・わたしは、老人のように声なき声で、嘆き、泣いた

・まだ、かろうじて、目茶苦茶に、殴りつけて、叫び出したい気持ちが、苦痛として、へばりついている

・たが、こう言えば、あなたは、わたしを、何か非人間的なもの、として、蔑むか、逃げ出すか、するだろう

・だから、わたしは、笑顔で、あなたに、つまらないことを話しては、装いを装う

・だが、あなたのいないとき、鏡なき鏡のまえで、わたしは、それごと粉々にしたい、と壊れてしまいそうに

・なんて、非人間的な

・だが、わたしは言いたい。あなたに

・あなたの、その心配とも忌避ともつかないもの。そんな目。そのものからしか、わたしを見出そうとしなかった、あなたこそ、非人間に違いない

・人間が、はじめから人間だ、なんて、なんで、そんな嘘を信じ込めたのか、あなたは(そして、これが、まだ、芸術作品か何かと思い安心しようとしている、あなた)

・これが、作品的な言葉なら、まだ、マシだったろう(おそるべくことに作品とは、偽装された真実に他ならない)

・人間は生まれて、ただ、生きているだけでは、"人間にはなれない"

・このことを知らない非人間がまだ、いた、とは、わたしは、驚きを隠すことができない

・わたしは、まだ、人間ではない(にも関わらず、あなたはあなたを人間だと信じて疑わない)。なぜ、そんな不公平がゆるされるのか(あなた"は"人間だからか?)

・だから、わたしは、あなたは、誰?、と問うているのだ(このように)

・わたしがひとつの芸術だなんて、最大の誤謬だ。偏見

・わたしが、人間であるためには、芸術家と嘯かなければ、もはや、不可能だったからに他ならない(あなたは、わたしに、人間であることを求めたからだ、わたしはこたえた)

・わたしがわたしだと思うなよ(あなたがあなただと思うな)

・昏い。あらゆる。昏い

・わたしは、非人間こそ、愛するにあたいすると、そう日陰で呟くのだ。そして、それは、まだ、自分が人間だなんて、殺戮者じみたことを信じ続けているあなたに対する最大の攻撃に他ならない

・それでも、まだ、あなたは、自分を人間だと思い続けるのですか? 知っています。人間でなくなれば、〈どうなるのか〉。そう、あなたは、そうなれば、〈どうなるのか〉とそればかり気にかけ続けた

・〈どうなるのか〉。未来との利害取引ばかりした挙げ句、あなたが、今、いるその場所が、なんの味気のない、荒野であることを、あなたは、まだ、気が付きたくない、と言うのですか

・そうだ。ここが荒野だ

・わたしは、あなたと、和解したいと思わないし、思えない

・今の、あなた。そんなものと和解したとて、わたしにとって、それは、カタチだけの虚無に他ならない(どれほど、あなたが納得しようと、わたしは、納得などしたくもない)

・なおさら、わたしは、殺したくなる(わたしは、少なくとも、わたしが、殺人者であることを知っている)

・あなたが、わたしを、殺したくなるほどになったときでなければ、わたしは、和解など受け入れない

・今のように、殺したくもない相手と、和解しようなどと、わたしを、さらに、侮蔑し、毀損し、破壊し、愚弄し、弄ぶのか

・あなたは、知らない。わたしはあなたを殺したくなる直前で、いつも、耐え続けているひとつの愛だ

■7 縁

縁亡き

あらゆるものに、縁を紡がれながらも

亡いということを見出すばかりのあなた

孤独の、その、小ささ

その小ささは、はかりしれない

■8 パステルと美(及び、ボールペンの黒)

・パステルの灯りは、あまりちらつくことのない灯りで、それを、ボールペンで引き裂いていく(閃光している)

・意味の重さが、ブラックホールみたいに、何かを突き抜けて、どこにも帰れない者たちを生み、その知らない人々に、知らないと言い合う、やり取りのなかで、わたしは生まれている(あなたのこと)

・ただ、仄かに運命を見出しながら、肯定とも否定ともいえない震えのなかに、互いに、見出していくものがある(瞳は瞳を見出すことなど可能なのだろうか)

・ねじりきった、形相は、質料に、還元され、そこで、生まれたはじめの、記憶みたいなものを、思い出すことはない。ゆえに、想起をしている(花ということ。または、ことを産む、花)

・本質は、本質は、と問うけれど、実存も、実存も、と、他方から他方に、誰も知らない流れが、生まれていく(なにかしらの、潮のながれが)

・生誕のこと。創造より、生誕してきたこと

・創造することはできても、誕生することは、それのみではできない(クリエイトよりビゲットということ)

・創造の届かなかった、たったひとつの不可思議は、生誕

・主語が動詞を所有するのではなく、動詞が主語を所有しているときの、抱かれ

・ユリの花が好きなのは、あなた

・それも、真っ白いユリが、仄からしく赤色に火照っている、その木漏れ日のような光線の熱

・わたしには、鯨の話す内容は、わからないし、それが、ただ鳴き声のように響くのを肌で、それも、デジタル音調された、響きを、部屋のなかで

・余計に背中が傷み、苦痛をしているときと、茹だれたように、何も、なく、ぼうっと、そういう時に

・狭いソファといよりも、大きくなった身体、肉体、その肉の塊のような愛でるべきものが、ある種の質料的な愛(なにかしら卓越より美徳的なもの)

・やることが沢山あるときに、たくさんのことを、見学しては、小さく、こんなつまんないものはない、と溜め息をしていたことの秘密

・隠されていることで、明かされないものはない。そういった聖句。テントウムシのそばで煙草を吸う

・美学に執着してはいけない。どれだけの男や女が、自ら打ち立てた美学のもとに、勇敢な戦士か英雄のように、立ち振舞い、いのち、を忘れきって、向こう側に行ってしまったことか

・わたしは、ソクラテスは、毒杯を飲まずに、適度な言い訳をして、ごまかすほうがよかったのだと思っている

・芸術の欲望は芸術を終わらせていくことにのみ、肯定感を宿してよいものである

・美に心を奪われると、自らの美を忘れてしまう。だけれど、自らが、自らの美に魅入られると、分裂して、自分のなかに、あなたとわたしが、複雑骨折したように、互いに継ぎ目を探す膨大な作業に飲み込まれてしまう

・断念。自らの美を自ら見出すことは不可能である

・断念。他者の美に魅入られては他者の美を壊すことになる

・断念。あるのは、いのち、だけである

・そして、煙草をあと何本吸えるのだろうか、と駆け引きをしている午後。花壇の前。そこに吹く風。パンジーの花。驚くべきほどにオレンジな(橙色)

■9 語るべきではないことを語るにしても、そこに口はあるのか

・ウィトゲンシュタインか? そもそも読んでいないし、理解さえしていない(殆どの人と同じように、ちらと見ただけだ)

・だが、欲望には際限がない、とはいえ、わたしに、月経など可能なのだろうか(不可能だ)

・わたしには、出産などできないのである

・何か、この、ひとつの事実に、驚き、を見出す

・本当に欲望は際限がない、のであろうか。危険な問いだ

・にしても、欲望は対象を変えていくことで、無際限に生き延びるのだとしても、少なくとも、わたしには月経は可能ではない。出産も

・そして、欲望は、たしかに、自らが知らないうちに、他者とつながることで、交わることで、さらに、所有のできない自らを知り、たたずむ

・子は生まれくるだろう。わたしが欲したわけでもなく、子が欲したわけでもなく

・わたしは、その彼、彼女を、所有しようとするのだろうが、この一事が、所有できないことを明らかにしている

・家族に"なる"、ということは、なんらかの不可能性を表現している

・ある三人の人がいただけで、にも関わらず、父と母と子、という、家族、と言われる形態に位相が変転する(男と女と無性に近い人があるだけにも関わらず)

・所有できないもの。なんらかに所有されて、家族というものが、出現しているに違いない

・与えられるとも言えるし、課せられるとも言えるし、いずれの言葉にも還元し難いとも

・わたしは好き好んで父母になる人間の気持ちがあまりわからない(好き好んで子になるその子などいないように)

・役割は出現する。どこからともなく。唐突に父とか母とか子だと言われても、実は、互いに、なんのことなのか、わからないのである(たしかに、家族、と呼ばれるが)

・にも、関わらず、われわれは、その役割を演じなければならない(そして、演じる、という表現さえゆるしがたいような自然さのなかで)。そう。そのものになるのである

・わたしはわたしのような子が生まれたら、という、そういうおそろしさに打ちひしがれる(ひとつの、いのち、の美しさの反面、その残酷さのようなものに)

・勿論、このような思惟が、ある種の残酷さでもある(まだ、会ったことのない人の運命を占うような残酷さ)

・にも関わらず、名前、をつけるのは、どのようにしても、わたし、なのである(それが、一部であり、解釈的なものであったとて)

・ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン。ルートヴィヒ。名前。ルートヴィヒ

・子が、愛の結晶、というのは嘘に違いない。愛がなくても、欲望のみでさえ、子は生まれてくる

・このことは、やはり、子の誕生とは、男と女のふたりの力でもないし、あまつさえ、人間の力でもないように思う

・シニカル、だろうか。いや、全くの現実に思う(この現実感のないまま、子育てなど、とか)

・では、体験したことがないものが、そのことを語りうることは、禁忌なのだろうか

・それを禁忌というその口こそが、所有欲の権化の口に違いない(自らの体験や経験を自らのものとして誇る稚拙さ。自由のなさ。そして、隠された存在への希求)

・かつて、こんな時代などあっただろうか(そう、かつてもそうであったように、口々に、こう言うのである、われわれ、は)

・家族に違いない

■10 楽園じみたもの。永遠とか、そういうもの

・吐瀉物が口内にこみ上げたときには、吐くこともあるけれど、どちらかというと、人知れず飲み込むこともある人で(大方の人がそうであるように)

・猫のように、好き勝手に、そこいらじゅうに、ゲボゲボと胃の中のものを吐くことができないひとつの症候群が、高等な動物たる人間で  

・吐き気が多い。そんなときは、サルトルみたいに、出口のないこの世界、という想定のなかに酔いしれて、苦痛か空虚に苛まれる(ときに感動することさえあるほどに)

・昔遊んだ小さな野の花、とか、傷に効く薬草とか、そういったものに出会うには、今のわたしは、あまりに、背が高く、腰に重力の軋みを感じながらでないと、なかなか、彼らの顔を見ることも難しい

・咲く花もあれば、咲いた花の影で、儚く咲く花も。そもそも咲かなかった花もある

・不条理、とか

・こうしたいああしたい、なんて考えるのは、少なくとも、考える、というのは、人間くらいのもので、欲望からして、そういう生存戦略が開闢して以降、不条理、というものは、唐突に文明のなかにだけ、現れた

・自然が自然をなぎ倒すときに、それをなぎ倒すとか不条理だとか考える存在は、少なくとも、人間以前において、いや、言語以前性において、不可能的な非事実だった

・わたしは、ひとつのシニカルや虚無主義者なんかではない。たしかに、そういった言語以前性の、というより、それを以てしても不可能な、あの声を聞いた

・ある種の神秘主義にしかなりえないような希望。というよりも、希望のその実現されたもの

・だが、あまりの恍惚とも形容することの難しい広大さのなかで、鳥の声の無数に無制約なものを聴いていながら、人間にしがみついた(法悦の際限なさ)

・その希望の実現されたものの御そばで、わたしは、こわい、と震えたのだ

・あの、生命だろうか。そういったものの希望の実現に際して、永遠とか無限的なものの前で、それが本当に永遠とか無限的なものとわかり始めた瞬間に、自分、というものが、芥子粒にも満たないものに消えていくことのうち震える歓びとも悲しみとも畏怖ともいえないものに、性懲りもなく、人間であること、みたいなことを咄嗟に求めるのである

・これは、道徳的、倫理的訓戒などではない(リアルということ)

・こういった、矛盾とも亀裂ともいえないものを抱えたそのものが、人間らしいことはわかってきた(わかることはないのだけれど)

・究極的なもの。それは、どのようにそこに至っても、どこまでも究極的なもので、極限でさえない。どこまでも、という、あの果てしなさ。たしかにいつか帰っていくところ(かもしれない)

・出口がないから、困っているというより、出口はあって、ありすぎていて、どこまでも、永遠に続く上昇に他ならず、あまりに素晴らしいもので、それゆえに、困っていると言う(楽園がないことより、あることに困る人もいる)

・あの質感をどう言えばいいのだろうか。でも、きっと、何もかも忘れてしまうだろう

■11 続 楽園じみたもの。言葉の不可能

・ある卑小さのなかで、人間は生きている(と、いうよりも、たしかに、それそのものが)

・楽園のようなところ。極限を超えた究極的な、そして、それを無限に、超えていくあのわたしならぬ超包的な動態のようなもの(あらゆる人間的な偉大さが朽ち果てる境界地)

・ここが、ついに、と思ったその満足感さえ、次の瞬間には、不満でしかない、と浮き上がらせられるような、そこでは、人間の言葉も止まる

・だから、わたしは、聖アビラのテレサがいうことは、単なる性的なものの屈曲には、全く思えない

・現にある。ああいったものは

・ただ、そのことについて、キリストという言葉で語らざるをえなかった、ということのみに思う

・なにせ、言葉を超えているものを、どのように言葉にしろというのだろう、という唖然がそこにはある

・彼女の作品からは、何かそういった、表し難い永遠を、言葉にしたときに、残る、痕跡を、われ知らずにも感覚したりする

・性的欲望というものでさえ、あの永遠に比べれば、対象にはなりえず、最大限の比喩でしかないし、比喩にしかなれない

・欲望でさえ、あの永遠の前では、玩具にも満たない、どうでもいいものだったと、刹那に悟る

・人間の卑小さは本物で、あまりに卑小なる宇宙誕生以来の、その卑小さに、憐れみが起こるのは、そうなのだろう

・人間の隠されたこと。供犠

・でも、たとえば、キリストは、復活した

・人間に可能な、最大限のこと。供犠

・にも関わらず、キリストは、復活した

・それは、憐れみにも思う

・どれほど、われわれの深刻かつ、限界的な、世界のルールとしてもっともな現実として開発された供犠、ということでさえ、たかだか3日で乗り越えられるものに過ぎないと、示されること(憐れみ)

・われわれは、徹底的に、憐れみのなかにある(そう、想う)

・最初の殉教者ステファノ

・ステファノが、矢に刺されながら、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」なんて言葉を言いえたのは、それが、戦略的な言葉だったとは、実は思わない

・それほどに、すべてが、憐れみの対象に思えるほどに素晴らしいものは、ある

・このことは、そう。ふたたびであるが、一部の神秘家がわかりながらも、言葉にすることに、手間取ることに思う

・神秘家自身でさえ、そのことを、身を以て知ることと、言葉にすることとの食い違いのなかに、ある種の悔いを抱いている

・わたしが、手放しながらも、ふたたび触れようとしてしまうもの

・沈黙の声。楽園のようなところ。燃える柴。赤い花。聖母マリアさまのお顔、前髪。聖霊の風。鳥の声

・わたしは、そして、忘れるように、忘れる、ように

■12―1 性自体を見ることの難しさ

・特に、充溢しない性をどのように言えばよいのかわからないときに、そういった言葉を綴った

・出来上がったものを見すぎると、もはや、それをどうこうしたり、さわったり、付け足したり、することが、厭になってくる

・それ自体自足している美(というか、そのことが美)

・にしても、この世界には、語りかけを必要とする人々は多い(それも、ある種の資本主義から商品本位主義的な迷妄のなかで、彼、彼女たちは待ち続けている)

・エロティシズムに還元される前の、性、を見出すことは難しい

・あのバタイユ的なあらゆるものを巻き取った相対運動じみたもの。それ以前性の性ということ

・フロイトだろうか。だが、コンプレックスじみている

・何かしら、美、と、性、は関係している

・エロティシズムに回収される以前の、性

・いずれにせよ、必ず、人間は、いずれかの、または、場合によって、それらがいずれも、というように性自体とも言えるように、生まれている

・わたしは、べつに、性、が、生殖のためだけにあるのだとは思わない(非レヴィナス的な)

・本源的な意味としての性はまだ、人類には見出されていないようにも、思う

■12―2 原国家的な、あまりにも

・原国家は、たしかに、国家的ではないのだが、いわゆる境界に満ちた国家が国家ではないこと、それが、ある種の模型であることを指し示している

・ユーモアが重要であることを問うたのは、ジャン・コクトーである。わたしが、根拠なく愛するジャン・コクトー(トリニティリングを買いたいが、金銭の問題ということ"など"もある。"など"についてなのである)

・スケッチブックに描かれる他者の声は、言葉を有していない純粋な声で、水の中で、放たれるひとつの次元を表している

・超越は、ないから、問題なのではなく、あるから、問題なのである(このことを知る必要と不必要は入り混じりながら、ひとつの窓になっている)

・叙述と表記の連続と不連続は、あなたにとって、超越について、を与えるものである(超越自体ではない)

・ピカソとジャック・マイヨールは似ているが、非なるものでもある、という当たり前のことが、一人を人たらしめる、と言い表すことも可能なのである

・ジャクソン・ポロックの垂直な烈しさと超越は、クリーム色の雨である(詩的)

・さて、詩人が、おそらく、表現のためだけに、詩を書いたわけではないことは、ほぼ自明である(書かなければ、わからないかもしれないし、書いてもわからないかもしれない)。わたしも、わかるか否かくらいはわからない

・宇宙から超出する必要はないが、宇宙自体が、それそのものが、超出する必要があるのである

・蚊取り線香という無意味を炊ければ、最高点である。すべてが紛い物であることを目覚めさせる最高の覚醒剤である

■12―3 理論「連接様質料勾配形態」

・理論に根拠は不要である。理論があれば、それ自体が根拠と同一している(無論、非学術。オルターモダン的なもの)

・背景への無意識こそが、背景を主体として、人間を何処かに連れていく(無限性、永遠へ)

・意識外意識に同一したときに、ということ

・連接様、外存、離接、動態、線料点形(線的質料と点的形相)

・連離的位置

・非一般世界性において、この世界自体は、連離的関係を保有しているため、少なくとも宇宙外世界からの重力様、引力様の影響を受けていることになる

・単響的、性性、解中心性

・解中心性の、連離的な勾配群が、絵画平面には表し得ないものを、現出させる

・解、とは、脱的であり、当体的であり、いずれをも意味する。それが、中心を言い当てながら、脱化させていく、その同時性を含めて言い当てるのが、解、なのである

・解質料的な絵画であり、解形相的な絵画なのである

■オルターモダン哲学

・オルターモダン的には、主体とその脱化のいずれをも対象化したものでなければ、モダニズムとそれ以降の分裂を修復しえない

・近現代を席巻した、ニヒリズムとペシミズムを、いずれをも、ある点で、一元にしたものを言い当てることで、別様近現代は生誕する

・解性。それがひとつの解答でありながら、解体であることの同事性。〈解性〉、とは、このことである

・〈解性〉が認知されたとき、まさに、はじめて浮上するのが、〈原動態〉、である。この〈原動態〉は、あらゆるオブジェクト(宇宙自体)を用いながら、常に、目的とその達成と問いの発生を、移動している

・〈解性〉を、扉としながら、宇宙と世界には、常に解破の亀裂が起こり、その間を生命体が滑っていく

・差異と反復の世界をそれそのものを放擲するためには、〈解性〉における〈原動態〉への背面聴従(アコルーティア)が求められる

・わたしたちら、〈原動態〉が何なのかを、知ったり、把握することはできない。なぜなら、まさに〈"原"動態〉であり、計測したり、予測可能なものは、すでに、静態であるから、である

・〈原動態〉を正面から見れば、人間は、完全に停止してしまうだろう(静態として、"見つめられ続けるもの"としての終わりを迎える)

・しかしながら、モーセが、神に対してそうであったように、背面聴従をして、追尾をすることは可能なのである

■13 食べることや庶民、生命的、グノーシス

・出来ることと、出来ないこと。出来ないことには、他の力が訪れる(そう想ってる)

・たとえば、言語が、法、を創るのではなく、言語それそのものが、すでに最高の、法、であるように

・言語のなかに呪いや祝福があるのではなく、言語それそのものが呪いや祝福であるように

・だから、食べる、ということ。食事について、なぜ、哲学や思想にはなりきれて来なかったのか、ということを思う

・同じく、排泄から、エロスなどを除いた、その営みが、哲学や思想になってこなかったことに、今更に驚いたりする

・おそらく、庶民の知恵ではないだろうか

・食や排泄には、圧倒的なリアルがある。どのように、芸美が、そうであろうと、食や排泄の前には屈伏する(おそらく、死より、食や排泄は大切なことに思う)

・この聖域は、一部の知識人や創作家のネタになることを避けられ続けてきたことは、庶民は、その語られないところに、譲り難い価値以前に重要なものを毎日見つめているからに他ならない(わたしのように)

・一滴の水や排泄の欲求のまえに、人間は、何でもする(人さえ殺す、多分)

・それが、思惟の対象になってしまうことは、そこに宿る、圧倒的なリアルを損ねていくことになる。民芸的な、アルス、としての、抑止なのである

・だから、わたしは、これ以上、このことについては、語らない(同じく、健康、ということについても)

・健康を求めない美学者たちは、まだ、不健康ということを思い知っていないのである

・美食、というが、それ以前性のリアル。どのように、創作の難産に至り、リアリティを求めても、食事をすれば、その途端に、すべて、冗談か何かだったように、霧散していく(この、ありがたみ)

・排泄についても、あまりに、重要で、もし、排泄ができないとかいうことを思い知ったときに、すべての価値観は、無駄なものとして潰え去る

・食のリアルに芸術は勝つことなど出来ない(釈迦でさえ、乳粥を食べたように)

・憐れみ、憐れみ、憐れみ

・わたしたちは、あらゆる生命に憐れみを抱かれている(生き延びるには、あまりに、拙い、虚無を、道具として使い始めたのだ、人間は)

・磨製石器とか火とか、あらゆるものをホモ・サピエンスは道具として用いるようにはなったが、空虚や虚無さえ、道具として用いなければ、この宇宙で、生きている実感を得られないほどに、堕落したのだ。人間は人間に堕落してゆく。

・グノーシス主義。あの気の早い人たち

・たしかに、死のまえでは、肉体と宇宙ごと消え去るの"だろう"(多分、でしかないが)

・そのときにどうすればよいのか、という狼狽えが、精神とか霊魂の問題をこの宇宙に引き摺り込んだ

・だが、それでも、あの高いところを目指す人間というもの。そこは無意味な"高いところ"なのか、意味のある"高いところ"なのか

・食のように、賭け事のないリアリティは、確約はされていない

・美学は美学を捨て続けることにおいて、美学であることをゆるされるのである

・誰かの庭の、盆栽、を見よ。そこにうち震えるもの

■14 沈黙

沈黙をわたしと見出したときに、わたしは落ちる

落ちたわたしとあなたは、諍いじみたやり取りを無限に続けている

それは、永遠を求めるただの無限に近い

けれど、だれが、あの永遠にあり続けることなどできるのか

■15 集中線たちの、見知らぬ極性

・極限にアンバランス。究極にバランス(なのか?)

・なにかしらの極性のなかで、言葉は書かれている他になく、その極性を問うことの難しさに、切なさがある

・たとえば、夜にライトアップされた桜の並木。そういったもの

・川辺の、川。ただし、統合失調症的没入(ドゥルーズとして)のそれと、どこか違う集中線が、この世には、手配されている

・ゆえに、川のなかの魚。その背びれを動かす背骨

・刻一刻と、わたしはあなたと対峙しながら、のみ込まれる前に、あなたに教え諭している(あなたもあなたを覚えていく)

・あらゆる境界性が、小さく、細切れになって、そこを跳躍していく、軌道。そういったものが、あなたがわたしに与えてくれるもの

・脊髄が反射して、起動しては折り返す。そういった生誕性(うまれくるもの)

・トポスはない

・ゆえに、装飾性のなかに、エクリチュールは書かれていく(内実さえ)

・境界性を不断に踏み越えながら、境界性と境界性を芸術することになるところのもの(か?)

・芸術についてのエクリチュールだったら、どれほど楽だったろうか

・これは、エクリチュールを素材にした芸術であるから、これなのである(のかい?)

・つまり、これは、なんらかの楽譜であり、エクリチュールを目的としながら、エクリチュール自体を道具にするということなのだらうか(それは安易な説明に過ぎやしなひかい)

・定義を、境界性を、求めている

・だが、それ自体が、定義であり、境界性になることを求められているときに、一体、何を求められるというのだろうか

・線と線。決して、芸術として、線、がテーマなのではないが、線をテーマに置くことで、線"と"線性が生誕していくことを実感する

・"と"性。つまり、助詞のこと。線と線の狭間というより、線"と"線、の、"と"性

・助詞は、音楽性を片方に宿している。言語が言葉になっていくときの、定義しないほうがよいあの自然らしさを宿している

■18 虚数より、よりさらに、素数的な

・芸術。素数的なもの。法則性がすでにある以前に、数えていかなければ、発見もなく、法則性への手がかりもない、にも、関わらず、法則的に、名前がつけられているもの。芸術

・なにか、助詞に似ているもの。てにをは、の、と

・所有できないもの。所有されているかもしれないもの(この例えも安易)

・芸術。イマジナリーナンバーより、よりさらに、素数的なものに実感される

・打つ手建てなし。と宣言しながら、手が描いているような

・善なるもの、真理、そういったものが、言語化されない理由において、そもそも言語化されてはならない理由があると慮り、言語外にそれらがあると、信じるか、無意識的に納得しておくことがなければ、たしかに、人間は一瞬で、狂っているのかもしれない

・なにか、不思議と、安心していく、または、すでに安心していること。このことに、やすらぎを思うし、人間が信じられてきたことに思う

・おおいなるやすらぎ。小さなやすらぎ

・境界と境界外についての、"と"性は、殆ど、何なのか

・西洋の神学は、このあたりを究極的に追求し、その言い得るものと言い得ないものを美しく表しているように思う(もちろん、それが、言い表している、ことのみならず、言い表し得ないことを言い表してもいる謙虚さを想う)

・芸術は、このあたり、実践的なのだろうか(そんなことは言語外だから、わからないだろう)

・ある、軽さ、は、果てしのない、重さ、から生まれていたりする(それが、軽さ、の創り方に思う)

■21 マトリクス表象・試論

グリッド✕マトリクス(その時間的な密約)

・グリッドは、もっとも異様な造物なのである。自然界のどこにも、人体のどこにも属さない、最大の不自然象徴、究極の奇形性である(まさに神を磔にしたカタチにふさわしい)。これは、近現代以降にグリッドという象徴が美術に現れたことで、何かを啓示する。非物語性としてのグリッド。

・マトリクスは、もっとも不自由な幻覚なのである。グリッドを基準(価値軸)として、展開されるその擬似全系は、グリッドが暗黙に提示する合理的正解性を、自由意志の催眠へとすり替え、選択させる。排除と誘導としてのマトリクス。母数(N)を設定することで、母数外は排除され見えなくなり、かつ、自由意志を誘導選択にすり替える(予定調和的な決定以外は、マトリクスのまえでは行われない"ようにマトリクス表は常に組まれる"。そこで表現される自由は、しかし、100人いれば、殆どの人が、同じ選択、しかしえないような自由。つまり、幻覚なのである)。擬似物語性としてのマトリクス

・グリッド(価値基準)に性質を絞り上げられるように規定され、かつ、マトリクスによって、選択するのではなく、させられていく

・このグリッドとマトリクスの時間的密約が、システム、である

補記

『グリッド的な物語可能性(物語:少なくとも、女と椅子と二つの窓、幽霊的なあとのふたり)』

・グリッド的なもの。物語の叙述を拒むところの、もっとも不気味な造形としてのグリッド。なぜなら、自然界にも人間身体にも、かつて、このような最高奇形は存在しなかった(にも関わらずわれわれはそこに中心を、全くの自然さを見てしまうのである)

・なにかしらの終着点と始点をグリッドは表すことに"より"、いつも中間的たる「物語」を不可能たらしめている(たしかに、価値基準的で、定義的、公理的な。そして、背後で中間地点の末梢がいつしか進行する)

・近現代に美術世界に現れた、グリッド、に対して、まさに、見えないそのグリッドの最中で、人間は物語を営むことが"できる"(「にも関わらず」性において)

・グリッドは、安易な物語の拒絶として活かされており、(画面内には、非物語的な、やはり物語が語られている)

・それは、死者の物語、である

■20 グリッド的物語論・試論

・グリッド的なもの、は、物語になりうるのか

・物語の進展自体よりも、その一コマ一コマについての計測や計量(分析)を続けていくことは物語になりうるのか

・脱時間物語は可能なのか。空間性の物語

・小物語のスクラップブックは、帰納的にひとつの物語として、認識され、理解されることは可能なのか

・ある絵画。椅子に座った裸体の女性がいる。それを取り巻く背景や空間が変わり続ける連作は、物語、として抱かれることは可能だ

・脱人間的物語。つまり、人間が物語を生きることが不可能である場合に、世界の側こそが、物語を生きているのではないか(レトリック)

・だが、果たして、これは、何を意味しているのだろうか(全くわからないため、以下に散文)

・外物語性。人間が物語を生きてるのではなく、物語とは、そもそも、人間が生きるものではなく、物語の主人公は物語自体であり、すべての配役はたしかに背景である(これが、実は、現実世界のリアルではないか。だれも主人公性を生きられた人間は存在しないのではないか。人間の人生実感にふさわしい)

・範例的にわれわれが同じカタを繰り返すことで、唯一、真に成長的に物語を生きている実在を想定するということになる

・人間には、たしかに、究極的には、積み重ね、弁証法的にか、記憶の堆積による、なにかしらの成化は幻想に過ぎない面があることはもはや疑いようはないかもしれない(記憶は忘れられるし、人間が年齢とともに賢くなるということもまた幻想に思える)

・成長しているのは、世界自体であり、人間はすでに、化石的なもの、に到達しているのではないか

・原世界史のほんの一時期に人間は物語を世界と共有できたに過ぎず、すでに、われわれは、ひとつの化石としてのトートロジーの時期に到達してるのかもしれない(つまり、人間がいうところの、あたらしい、とか、いうことが、もはや、すでに、失効していて、変化があるのみ、ではないか)。科学、という、客観的なもの、計測的なもの、が、これだけ、人間活動において比重を増したことは、そもそも主体性、実感的なものが、われわれから、退去しているからかもしれない

・この間、世界は、原的にあたらしい展開と進展を迎え続けているが、人間は、もはや、それを観測さえできないところのに原化石化しているのかもしれない

・その場合、化石が現生物を、観測したり、思惟したりできないように、われわれが、いうところの、生物、という言葉や認知や学識では、そもそも、原生物的なもの、は、認知できようがない、ということになる(まあ、物自体とか、イデアとか、なんとかいうように、この手のことは言われ尽くしはしているのだろうが)

・結局は内部と外部の越境不可能性の問題に到達するが、越境できる場合には、外部からのわれわれへの取り扱いや侵入と原教育的なものが必要になることは言えるだろう(ブレークスルーなど、内部からは不可能ということ)

・映画「メッセージ」ともいえる。または、神秘主義でもある

・つまり、あたらしい、ものは、時間軸の先にあるのではなく、人類が認知できるあらゆる過去にすでに刻印され続けていて、そのパターンのようなものを認知していくことで、なにかしらの芽がでるのかもしれない(外部存在が、すでに、たしかに時間を脱している場合)

・世界や宇宙のはじまり、より、以前性の、始点、がある、ということ

・神学者カール・バルトは、世界の創造は、新約における、救済の約束のために、創造された、というようなことを言うではないか

・また、仏教を真に受けるのなら、すべては縁起、まさに、縁から起こる、のであれば、宇宙のはじまり、すら、今、この瞬間"など"の、縁から、生じていることになるともいえる

・つまり、歴史、に絶対性を認めるのではなく、われわれは、歴史、に配置されて、その加速度に似た延長、時間発展的な、物語を生きざるを得ない中にあるのだが、たとえば、救済とか縁起、のために、歴史、は措定されているものに過ぎず、それ自体のどうこうが絶対なのではない、というところに行き着くことになる

・救済とか縁起、の"ために"、宇宙の創造とか、歴史とか時間というものが、措定された、に過ぎない、という視点である

・このときに、人間は、ふたたび、「人間の死」や「神の死」を無効にし、復活することができるのではないだろうか(これは歴史内で起こることではないだろう)

・芸術。こと、絵画、とは、この、歴史外性の歴史内への刻印であるのではないだろうか(だれもが芸術に求めるある種の神聖さとは、そういったものであるのかもしれ)

■19 科学と宗教的、哲学的な、試論

・ベンジャミン・リベットの実験。0秒前器官(原入力)。3秒前器官(否定入力)。5秒前器官(意識出現)。詳しくは、各所、文献等参照願いたい(言っている意味はすぐにわかるだろう、と)

・通常的に5秒前器官において、わたしたちは生きている、が、3病秒前器官(つまり、自らへの否定性のようなもの)を、頻繁に使役していると、何かが裏返るのではないかだろうか

・宗教的な苛烈な修行は、ある種の自己否定性に基づくし、非人間を目指すような裏返りがある

・そもそも、自分の行動、を、否定する意思というものを酷使する状況は、たしかに、宗教的である

・ただ、ある種のイメージとして、この通常は酷使されることのない3秒前器官を、使役しすぎると、主客が、逆転するのではないか、と思ったりするのである

・つまり、5秒前器官より、3秒前器官のほうに、行動、の主権力が移行され、「否定をする意思を用いて、行動をし始める」とかいったこと

・通常は、5秒前器官的に、歩く、という行動が成立しているのだが、3秒前器官の使役が頻繁に過ぎると、3秒前器官の、否定意思、のようなもので、肯定的な行動を行う、というように

・つまり、本来は「歩かない」意思の機能に過ぎなかった3秒前器官が、あまりに比重を増すことで、「歩かない意思を使って歩く」ということに転回するのではないか、ということ

・これが、回心とか、そういった宗教的な、コペルニクス的な転回を生んでいるのではないか、など

・とは言わずも、この3秒前器官への5秒前器官からの遡及的な知覚(メタ自覚)と、ある種の、逆転と、和解が、哲学的な、即自存在と対自存在、とか、世界内存在と現存在、とか、宗教的には、霊的な自分と肉体としての自分、という言説を可能にしてきたのではないか、などと思ったりする(いずれにせよ、宗教ー哲学的な、実存と、科学的な存在を繋ぐ説明をしてみたかった。何の脈絡も言うまでもなく保証などない)

・さて、こうなると、通常は5秒前器官をベースに生きている存在(たとえば、動物的な)だが、3秒前器官に、あわせる、とか、転回する、とか、和解する、到達する、みたいなことがあるとき、通常的な人間、より、2秒早い世界を生きることになるのではないだろうか

・聖書に次のようにある。「言っておくが、およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」

・預言者とは、0秒前器官以前性の出来事を、3秒前器官の位置で聞き取り、発話することのできる人間たちだったのではないだろうか(と思ったりする)

・言うまでもなく0秒前器官以前性の人間とは、神の国やイエス・キリストのことなのだったのだろうか、など

・いずれにせよ、すぐれた宗教者や哲学者、また、芸術家などが、どこか、自己否定的な、それも、場合に、よっては極度の自己否定意思的な存在であったことと、ベンジャミン・リベット(科学)における、3秒前器官についてのイメージが、親和性を感じさせた

・たしかに、人間は、相対運動に過ぎないし、自由意志はない(5秒前器官的)

・ただし、3秒前器官にある、自己否定的な意思のようなものに、自由を認めることは、あるいは、その主客が逆転(否定が肯定に、肯定が否定に)することは、動物的というよりは、より人間的な何かなのかもしれない、とも

・その個体(人間)は、通常的なところより、2秒早い世界に生きているのかもしれないし、そのことは、いわゆる宗教的にか哲学的にか、「ある」、という言われる濃度というか強度が高いこととは、そういことなのかもしれない(勿論、"しれない")

■23 ふたたび、グリッド・試論

・グリッドは、貯蔵、であり、豊かさ、である

・高床式倉庫が生まれなければ、四角形の建築物は不要だったのではないか(モンゴルのゲル、や縄文時代の建築物の、丸さ)

・地面から、"柱"、において、建築物を浮かせる必要に基づいて、四本脚が求められ、四角形の建築物が生まれた(のだろうか。非知識、つまり、思考)

・グリッドは、建築物由来だろう。高床式倉庫。つまり、なんらかの倉庫性を表している

・豊かさ。それも、飢餓や危機に瀕することないままに、貯蔵し、豊かさを誇るような実のない、資産家みたいなものではなく、まさに、飢餓や危機に瀕したゆえに、貯蔵や貯めることの豊かさ、を身を以て知っているところのものにおける、実のある、豊かさ(ありがたさの実感)

・そういうところから、グリッド、は発祥してきたのかもしれない

・未来予想は、し過ぎると、外れたときの衝撃が多い。が、ある程度、未来を予想しなければ、今、を生きることも難しい(未来予想の虚しさを抱きながらも、未来予想、と付き合うときに、将来的である)

・安心。安心安全便利快適を、敵のように扱っていたが、それを喪失すると、はじめて、それらの大切さの実感が湧き上がる

・何かそういうところにグリッドの精神性ないしテーマ性、意味性みたいなものが、隠れているのかもしれない

■24 夕べ

夕べ見た鳥の姿は

わたしには知れないもので

  木々のざわめきは、風のほうの声なのか

夕べや鳥が、わたしを生まれくるものとして、創り出している

  赤い帽子とレンガの固さ

故郷は探さなければ、見つからないものかもしれない

  たしかに、不思議なたんぽぽのこと

今そこにあるのは、かつての、しかし、ただの空間、みたいなもので、故郷とは異なるのかもしれない

  小指の爪は、たまに割れたりした

故郷は辿り着かなければ、故郷だとはわかり得ないのかもしれない

そして、なおさらに、小さな花は大きくなっていくのです

■25―1 序 オーダーシート、根こぎ、システム

・店で、オーダーシートに、「目玉焼きは、カタヤキで」と書いた。(固焼き)

・オーダーシートを見た女性店員は「リョウメンヤキですか」、と、問うた

・このときに、カタヤキの意味が、固焼きから、片焼き、の意味にひっくり返り、形式と内実が、逆転しながら、内実を求める、というように

・「はい。リョウメンヤキで」とこたえた

・因みに、実話であることは言うまでもない(ゆえに言うのだが、このように)

・たとえば、根こぎ。シモーヌ・ヴェイユのいう

・根こぎをしない人に、あらゆる人は根こぎしようとしてくる

・相対運動の最中にあるとき、相対的浮上を果たそうとする以外に、なにもない、と思い込んだ人々は、根こぎに躍起になる

・根こぎや呪い、とは、因果関係の、因、逆説的に作ろうとする工作である

・たとえば、肺がんになる、ことは、わからない

・だが、たとえば、煙草をやめられるわけもない人に、「そんなに煙草吸ってるとよくない」と告げる

・すると、その人は、肺がんにならない可能性もあるが、偶然的に肺がんになったときに、「ああ、あのとき、あの人の言うことをきいていれば」と、余計な罪悪感や、余計な因果関係に悩まされ、打ちのめされることになる(そのことを告げた人は、その人のなかで、その人を超える権威を獲得してしまうのである。けだし、正しさ、というように)

・これが、言語や人の根こぎによる、余計な言語、や軽率な啓発による、呪い、や、要らぬ因果の工作なのである

■25―2

・ある人間の死は贈与である。あらゆるものを生者に与える

・だが、それは交換などではない、ということ。死やあらゆる営みは、贈与になっていて、交換ではない(交換と錯誤すると、欲望による争い事に陥る。そういったことこそ最大の錯覚なのである)

■26 オルターモダンとして、還元、回収

・他方、何にも、還元も回収もできないものを創り続けていなければならない

・つまり、ポストポストモダンではなく、オルターモダン(別様の近現代)を探る営みから、アートを、行うということ

・端的に、道具と画材、である

・色鉛筆、ボールペン、マジックマーカー、コピックマーカー、ポスター型の紙、という、たかだか前世紀に市民権を得たばかりの画材に着目して、それらを使う、ということをしている(ハードパステルやコンテは、それより一世紀前だが、十分にオルターモダンである)

・色鉛筆作家、ということではない。アート、として、それらの道具を駆使したときに、どのような表現が現れるのか、ということ

・iPadやデジタル、AIは、ポストポストモダン的である。ボールペンや色鉛筆はオルターモダンである

・わたしは、やはり、近現代の先、というより、別様の近現代を見てみたい(ゆえに、オルターモダン)

■27 世界を描いているのではなく、世界を描いているのではないか

・絵画、アート作品は、なんらかの世界の模倣ではなく、また世界観の提示でもなく、世界自体、なのではないか(世界を描いているのではなく、世界を描いているのではないか、ということ。この同語別意を理解できるだろうか)

・そうなると、絵画、アート作品は、たとえば、この宇宙から、石ころひとつさえ、消しされない(おそらく、石ころひとつが、真に消える、ということがあれば、その瞬時に、宇宙自体の均衡が、崩れ……ということ)

・絵画、アート作品は、それ自体が、宇宙であり、世界なのである

・と、なんて、当たり前というよりも、メタ的な一周回った言説をするのか、ということを思うだろうが、〈たしかに、わたしは、そう、自ら発見し、このことを、見出したのである〉

・天と地ほどの差があるだろう。「世界を描いているのではなく、世界を描いているのではないか」、ということには

・これは、全くレトリックではない。おそるべく発見であり、事実である(真)

・その境界にまで到達した後に、世界観を提示するに至る。いずれにせよ、哲学が、それ自体対象を対象化する、言語や言説を用いなければ、世界自体を書けないというように、芸術、こと、絵画、となると、色や線を使わなければ、世界自体を描けない

・アートが、これほど、絵画を解体したことには、おそらく、ではあるが、世界自体を描いていることと、対象的世界を描いていることの二重性によって、見えなくなる前者への探求によったのではないか、と思う(基本的にこの手のことは、たしかに宗教的領域に属する営みではあるが)

■ グリッドのエロティシズム

・エロティシズムは、美に対する汚しであり、境界性の越境に該当する(禁止と侵犯)

・グリッドは、宗教的かつ労働的であり、規範や境界性自体を表す(グリッドこそ、優れて、美的なのである)

・グリッドのエロティシズムとは、唯物主義的禁欲なのである

・但し、造形や美や質料にこれら、唯物主義的禁欲が、表現されるのである

・この世のあらゆる人間の愛は、どのようにしても、エロースなのである。カリタスやアガペーは、人間の此方においては、人間自体から発走することはない

・このエロースは、子、の誕生と、直接的には結びついてはいない。にも関わらず、あらゆるものを対象化し、それ自体が、所有の行為であることを、継続するものなのである

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