アルス・エクリチュール 非中動態への志向、アイダの否定からカタヨリへ、の称揚
■非中動態への志向、アイダからカタヨリの称揚
・中動態、アイダ、中道がよく称揚されるのが現代である
・だが、そこに、弁証法と同じ過ちを見出す
・弁証法においては、結局のところ、その止揚の答え(現実的行為形態)が、実は、国家的な規範や現状に再帰的に帰着するだけ、であることが批判されている
・弁証法に対する否定弁証法というあの批判について、である
・つまり中動態や中道、アイダ、に該当する答えもまた、実は、機械的に、現状に帰着し、依拠をより強めるようにしか稼働しないのではないか
・全体主義者だけの世界では、中動態、中道、アイダ、とは、全体主義をより強固にするだけである
・イブツ、カタヨリ、イヨウ、こそ、それらをはじめて突破する
・つまり、「常識的」や「事なかれ」な解答をしか、中動態、中道、アイダ、は弾き出せないのではないか。より言ってしまえば、再帰的に「常識的」や「事なかれ」を選ぶように無意識に選択させられるだけなのではないか。さらに言えば、「常識的」や「事なかれ」の代名詞としてしか、アイダ、は、機能していないのではないか
・結局は、ソウゾウリョク(想像―創造)、や、カタヨリ(型―片―方 撚り)がなければ、中動態、中道、アイダ、は、単に「常識的」に回収される
・よって、アイダではなく、カタヨリ(非中動態)をこそ称揚したい