ふくわらい

簡潔に言うとめちゃくちゃ面白い。
西加奈子さんの作品は初めて読んだけど、久しぶりに小説で笑ったかもしれない。

会話のテンポがいい。会話劇と思考ターンのバランスが自然で物語に違和感がない。下ネタなんだけど定のおかげか妙に噛み合ってなくて面白い。夜中の3時に声を出して笑った。

物語に循環というキーワードがある気がする。死んだ人の肉を取り込むことで生命が循環するだったり、どこかでみたような会話がまた繰り広げられたり、ぐるぐると当たり前に、自然に、巡っている。不思議で心地いい。

自然、といえば食肉から嘔吐への流れは自然でかなり好き。食肉への嫌悪から嘔吐するのは当然、という意味の自然ではなくって、他人の生命を取り込んで、自分の身体をしって吐く、っていうのが納得のいく流れで自然ということだ。定が頭で認識するより早く、身体が先に察知して唾液を出すっていうのもバイソンさんの言葉とリンクする。身体と言葉。面白い。

ただ読解がまだ浅く、わからない部分もある。
たとえばラストのシーン、私には少し意外だった。じゃあ何で終わればよかったのかというとまっったく思い浮かばないけど。

あと、目。定は顔とか文章とか意味のあるまとまりをバラバラにして、その前から始めるっていうことにこだわってたけど、特に私は目にこだわっているように見えた。
テーの目。バイソンの目。ジローの目。しずくの目。定はよく目を見ている。
なんで目なのか。日本人は目で表情を表すっていうツイートをどっかで見たけど、私自身は体感として目から表情を読み取れたことがない。コロナでマスクをするようになってから、目だけで笑えるようになった私からすると、目の情報は疑わしい。まあそんなこと言ったら顔の情報も怪しいけど。
定の場合、目に込められた感情というより目の造形や瞳の色彩にこだわっているのか。
もう少し時間をかけて考えてみたいと思った。

あとがきを読んで気づいたけど、最初登場した定との距離と読み終わったあとの距離はずいぶん違う。物語の作用についてきちんと考えたことはなかったけど、ともだちとの初対面のときのぎこちなさをいつの間にか忘れてしまうみたいな、良い距離の詰めかたをしてくれるっていうのはひとつ、あるかもしれない。

良い本に会えた。それがただ嬉しい。
次はサラバ!かな。

#ふくわらい
#西加奈子
#読書日記


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