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男が涙を流す時
物語の中の人物に自分をどれだけ重ねられるかで、その物語への思い入れも変わるのかもしれない。
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エッセイを読む時には、著者の目線に自分の目線を重ねて読むのがよくある形なのかもしれないけど、「スローシャッター」では田所さんの前にいる登場人物に心を重ねることもあった。
私がスローシャッターの登場人物で一番心を寄せたのは、「メコンデルタの花嫁」のトゥイだ。
以下、ネタバレを含むのでご容赦を。
本当かどうかはわからないけど、ベトナムの男は痛がらないという。
痛さを見せない屈強で寡黙な男。
私とは似ても似つかない男である。
そんなトゥイに心を寄せてしまうのは、やはり娘を持つ父親だからだろう。
父にとっての娘であり、実業家にとっての有能な秘書であるリエンの結婚。
親子の縁が切れないのはもちろん、秘書としても仕事を続けるとのことで、離別ではないのだが、やはり父親として娘を嫁に出すというのは特別な感情であるのに違いない。
しかしトゥイはベトナムの男。
娘が嫁ぐくらいで泣いたりしない。
はずだった。
トゥイはしかし、娘の結婚式を終えて田所さんと街に繰り出し、ホテルのバーでしこたま飲んだはずのビールをまたあおる。
そして…
黙ったままの彼の肩が静かに揺れた。
娘の前でも親族の前でもなく、日本から来たビジネスパートナーである田所さんの前で、トゥイは肩を揺らすのだ。
「ベトナムの男は、人前で泣いたりしないんじゃなかったっけ?」
そう言うと、彼は笑いながら僕の背中を軽く叩いて、静かに下を向いた。
田所さんが悩んだ末にかけた言葉は正解かはわからないけど、悪くなかったのではないか。
この全ての情景が、娘を持つ父親としてはジンとくるのである。
トゥイはベトナムの男だから、人前では泣きたくない。
でも込み上げる感情を堪えきれない。
その込み上げる感情を吐き出す時に、側にいてほしい人として田所さんを指名したのは、泣かない文化を持たない日本人だからだけではないだろう。
トゥイが田所さんに抱く、単なるビジネスパートナーの関係を超えた親密な関係がそこに色濃くある。
もしかしたら、泣く時に側にいてほしくて田所さんを式に招いたのかもしれない…という見立ては勝手すぎるだろうか。
私が異国の人とここまで深く清い関係を築けるか、ちょっと自信がもてない。
しかし、娘が嫁ぐ日が来たら、きっと誰かの前で涙を流すだろうことは間違いないと、自信をもって言える。
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