文に心をしたためる
「ペンパル募集!」
なぜペンパルを求めたのか、あの頃の自分は。
あの頃とは中学1年生。
恋はすれども実らないあの頃。
定期購読していた月刊誌、「中1時代」(旺文社)のペンパル募集コーナーに、いったい何を求めていたのか。
B5サイズの見開き2ページにズラっと並ぶ自己紹介文と住所。今では考えられないシステムのペンパル募集コーナーの中に、奈良県のKさんはいた。
決して手当たり次第ではなく、ボクはKさんを含む何名かに手紙を出した。
お相手は女子ばかり。
何を書いたかなんて、もちろん覚えていない。
返事が来たのはKさんだけだった。
ものすごく嬉しかったし、ものすごくドキドキした。
クラスの女の子にラブレターを書き(撃沈する)のとは違うドキドキ。
そこから、Kさんとの文通が始まった。
お互いに(だと思う)返事を急ぐことはなく、自分のペースでもらった手紙に答えながら近況や思いの丈をしたためる。その繰り返し。
中1から始まって、20歳を過ぎるまで続いた。
終盤はお互いに長い間が空くようになってしまい、なんやかややりとりがなくなってしまった。
今ではそれをすごく後悔しているし、申し訳なく思っている。
時折、ふとKさんとの文通を思い出す。
手紙は全部取ってある。読み返してはいないけど、それは大切な宝物。
じゃあ、あの文通はなんだったのか。
それは、「王様の耳はロバの耳」で理髪師が叫ぶ井戸(木のうろ、葦など様々あり)のような、あるいは教会の懺悔室のような、そんな役割だったように思う。
兄弟もおらず(一人っ子なので)、親とフランクに話す関係でもなく、学校に腹を割って話ができる友人ができるまでには時間がかかった(高校の後半くらい)ボクにとって、Kさんは数少ない“心の友”だった。
他で吐き出せない色々なことを、手紙を通じてKさんに吐き出していたんだ。
そう考えたら重かったんじゃないかな?でも長く続いたんだから大丈夫だったのかな?
Kさんとは、実際に会ったことは結局なかったけど、あの頃のボクの心の支えだったし、大切な友人だった。
終わるならきちんと感謝を伝えるべきだった。
どこかでこれを読んだKさんと、何かで繋がることはできないかな?
またお手紙書きたいです。
メールやSNSで手軽にコミュニケーションが取れることで敬遠されがちな手紙のやりとり。
確かに書くのに手間も時間もかかるし、返事が来るにも時間がかかる。
でも、それしかない頃を過ごした世代としては、あのアナログなやりとりじゃないと味わえない何かがあるような気がする。
急いでないけど伝えたい思いがあるなら、やっぱりお手紙がいいんじゃないかな。
大切なあなたへ、ボクはまた手紙を書きます。
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