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序盤の鬼の役割【鬼滅の刃】

空前の大ヒットの範疇を越え、社会現象を巻き起こしている「鬼滅の刃」。

今回は序盤の鬼の役割と効果について考察してみる。

ネタバレあり。要注意。

鬼との遭遇

炭治郎が出会う鬼の中で、初めて名が明かされるのは、鼓の屋敷の主・響凱だが、その前に名が明かされないままでありながら大きな役割を果たす鬼が3体いる。

鱗瀧左近次を訪ねる道中で出会う、お堂を餌場とする鬼(お堂の鬼)

最終選別の地・藤襲山に棲息する、肥大化した異形の鬼(手鬼)

初めての任務で戦う、街中で地中に潜みながら16歳の女性ばかりを狙う異能の鬼(沼の鬼)

これらの鬼がもつ役割とは?
一つずつ挙げていこう。

鱗瀧左近次を訪ねる道中で出会う、お堂を餌場とする鬼(お堂の鬼)

禰󠄀豆子を鬼にされて以降、炭治郎が初めて出会う鬼であり、鬼殺の修行をする前に出会う唯一の鬼である。

後に出てくる鬼からすればかなり下等の鬼だが、物語の序盤において重要な役割をもっている。

そもそも、炭治郎はこの鬼に出会うまで、人喰い鬼の存在に対して半信半疑の感がある。

それはむしろ自然なことだ。
人喰い鬼の存在を認めることは、禰󠄀豆子が人喰い鬼になってしまったことを認めることにも繋がるからだ。

炭治郎はこの鬼と鉢合わせしたのではない。
血の匂いを嗅ぎつけ、何か事件があり、被害を受けた人がいると思ってわざわざお堂に出向いた結果、出会う。
おそらく、自らの家族に起きた悲劇も念頭にあっただろう。

しかし、炭治郎は人喰い鬼と出会ってしまう。
人喰い鬼がいるという事実を受け入れざるを得なくなる。

そして、その鬼と対峙する禰󠄀豆子の様子とそれに対する鬼の反応から、禰󠄀豆子もまた鬼であることをまざまざと思い知ることになる。

そして、この鬼は、炭治郎に、そして同時に読者に鬼の基本的な特徴を伝える。

怪力、再生能力、陽光という弱点…

そして、そこに鱗瀧が現れる。

鱗瀧が鬼の特徴を語るのだが、その時には炭治郎も読者も目で見てわかっているためすんなりと得心する。

つまり、いわゆるお堂の鬼は、鬼滅の刃を読み進めるために知っておくべき鬼の基礎知識であり、炭治郎が進む道のりの第一歩となっているのだ。

最終選別の地・藤襲山に棲息する、肥大化した異形の鬼(手鬼)

炭治郎が次に出会うのは、最終選別の地・藤襲山に棲息する異形の鬼である。
作中にこの鬼の名は出ないが、全身に無数の手(というか腕)が生えていることから、読者には通称・手鬼と呼ばれる。

藤襲山の鬼は鬼殺隊最終選別のために山中に閉じ込められた鬼で、元は鬼殺隊が生捕りにした下等の鬼である。
事前の説明では、藤襲山の鬼は選別で討たれるか共喰いするかで肥大化などしないはずだった。
つまり、いるはずのない巨大にして強力な異形の鬼。当然、炭治郎が出会う初めての異形の鬼である。

この異形の鬼は、鱗瀧に捕らえられたことから、鱗瀧を怨み、その弟子を喰うことに執着している。
つまり、鱗瀧は育手になる前は鬼殺隊士だった(どころか最終的には水柱だったが、この場面でそこまではわからない)ことがわかる。
鬼殺の系譜が脈々と続くことの証左である。

そして、炭治郎に首を刎ねられた死の間際に、鬼になったばかりの記憶が蘇る。

その記憶から漂う悲しい匂いを嗅ぎつけた炭治郎は、鬼に対してさえ憐れみと弔いの眼差しを向ける。

手鬼は、異形の鬼とは何なのかを伝え、鱗瀧の実力を示し、炭治郎の心の芯に宿る優しさを炙り出す。
そして、鬼にも悲しい過去があることを示唆しているのである。

初めての任務で戦う、街中で地中に潜みながら16歳の女性ばかりを狙う異能の鬼(沼の鬼)

最終選別を潜り抜け、日輪刀を手にして初めて向かった任務で出会うのが、炭治郎にとって初めて出会う異能の鬼である。

地中に潜みながら、16歳の女性を限定的に狙って喰う鬼。
沼のような空間に潜むため、通称・沼の鬼と呼ばれる。

お堂の鬼=下等の鬼、手鬼=異形の鬼、沼の鬼=異能の鬼と、出会う鬼がランクアップしているような印象もある。

沼の鬼が扱う異能=鬼血術は地中を沼化することだけでない。
自分の存在を三分割に分身することでさらに力を増すこともできる。

異能の鬼とはなんぞやがわかる。そのサンプルと言ってもいいだろう。

それでも、これより後に出てくる強敵の鬼と比べれば、初中級レベルだ。
では、沼の鬼が果たす役割とは何か。

それは、鬼舞辻無惨の強さ、恐ろしさ、鬼たちにとってどういう存在なのかが垣間見えるということだ。

その上で、後日炭治郎は鬼舞辻無惨と遭遇する。
そのイントロダクションでもあるだろう。

そして、禰󠄀豆子が鬼として存在しながらも、鱗瀧の暗示に従って人を守る行動ができる存在であることが戦いを通して、にもかかわらず鬼舞辻無惨の血を少なからず分け与えられていることが沼の鬼の心の声を通してそれぞれ示されるのも意義深い。

まとめ

わざわざこんなふうに(無駄に?)長文にしなくても、登場するキャラクターに意味があるのは当然だ。

でも、一度読破してから改めて見直すと、序盤の鬼やその戦いに意味や伏線があったことに改めて気付くこともできる。

物語で語られることに余分なものなどないと改めて思った。

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