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理想が先か、実践が先か

地域に根差したみんなの居場所、ハイパー児童館ぷれいすを作りたい。

以前、単発のイベントを立ち上げて頓挫した話を書きました。

障害の有無に関わらない居場所を作るには、双方の理解や受容を深めておくといいのではと考えていました。

その理解と受容の上にインクルーシブ&ダイバーシティがあるのだ、と。

しかし、あの時の頓挫が、その考えを覆しました。

障害のない(とされている)子とその親御さんと、障害のある子とその親御さんとの交流を阻んでいるのは、前者の無理解だけでなく、後者の認識もあるんだという事実。

障害種(視覚、聴覚、身体、知的)の間にも、理解のカベやミゾがあるという現実。

どちらもこの頓挫で初めて知ったことではないけれど、ここまで強く目の当たりにすることもなかった。

説明や説得といった手法ではとても越えられないカベ、ミゾ。

理想が先なら、なんとか越えないといけないカベ、ミゾ。

であれば、実践の力でカベを削り、ミゾを埋める方がいいのでは。

しかも、少しずつ、密やかに。

その想いが確信に近づいたのは、辻堂のリノアを訪問して得た感触でした。

卵が先かニワトリが先かで言えば。

インクルーシブ&ダイバーシティという理想(卵)を温めて温めて、誰にとっても「あるがままで、ありのままに」過ごせるみんなの居場所(ニワトリ)を生み出す

よりも

作り上げた場所(ニワトリ)をじっくりじっくり育てて、インクルーシブ&ダイバーシティという結果(卵)を生ませ、「あるがままで、ありのままに」過ごせるみんなの居場所(進化したニワトリ)に育て上げる

方が、ハイパー児童館ぷれいすにおいては有効なのではないかと考えるに、現時点では至っています。

だからこそ、今は構想を温めて発信しています。

…ということにさせてください。

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