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ある受刑囚の手記2・再掲

公式の手記の方では、共著者のK氏がごく上品にほのめかしていただけだったと思うが、ケダモノとなる前の私は男を知らなかった。
処女だったということだ。

こう言い換えてもいい。
私は人間の男性と愛し合う前に、受刑者のオスとまぐわったのだ。

はじめての相手は、通りでたまたま出会ったオスだったと思う。
空腹を覚えていた私は、彼が大事そうにくわえていた腐りかけの生肉の方に目がいったのだが、彼の方では性欲の方がまさったらしい。

ごく単純ないくつかの「しきたり」はあったものの、受刑者同士意思の疎通などないに等しい。
前置きも交渉も同意もあったものではなく、したければすぐ始まるのが普通だった。

生肉を放り出すとぱっと私の背後にまわって股間に顔を突っ込んできた。
私はといえば打ち捨てられた肉の方で頭がいっぱいで、抵抗も何も思い付きもしなかったと思う。

やはり記憶がぼんやりしてしまうのだが、ガンガンと腰を打ち付けられながら一心に食餌に食らいついていた気もするし、彼を悦ばせればあの肉をもらえると考えて懸命に腰を振り返した気もする。

後者だったら私もたいしたものだった訳だ。
荒々しい、とか、本能のまま、とかいう言葉でもまだ足りない結合、むさぼりあい、ぶつかりあい。
そんな受刑者同士の交尾に早くも順応していたということだ。

わりと人通りも多かった。
あの国の人々にとって、道端でまぐわう受刑者など見慣れた光景のはずだ。
それでも、まだ若い外国人、受刑者になりたてでまだ身体もそれほど薄汚れてはおらず、人間の少女のように見えなくもなかったろう私が犯されるところは、多少目を引くものではあったらしい。
ぎょっとした顔をしたり、足を止めて見入ってしまう者も何人かいた。

衆人環視の中で精液と小便をぶっかけられた。
ははは。
「ロマンチック」な処女喪失もあったものだ。

人間同士のような関係性などない受刑者間でも、力による上下、ゆるやかな友好、性欲によるつながりなどは確かにあった。
私はかなり多くのオスにとってお気に入りだったようだ。
人間として未開発だった私の身体は、受刑者たちの凶暴なイチモツにとってかなり具合のよい締まりだったのだろう。
そのメリットを理解するのに時間は必要なかった。
ケダモノらしい生存本能で体得したのだ。
いつしかそんな損得勘定もどうでも良かった気もするが。

帰国してからの私は男性と性的関係を結んでいない。
入院治療ばかりでそんな時間はなかったということもあるし、私はもう人間相手には発情できないのだと思う。

その意味でも私は今も受刑囚、ケダモノのままなのだ。

事実上共著者K氏の「作品」といっていい公式手記や、支援団体や大手メディアがつくりあげようとしている私のイメージしか知らない人には、想像できないことだろう。
夜毎、私がうずく身体をどれだけもてあましているか。

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