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堕ちた憧れ1

「監督の愛人」続編。
1年生部員、林野カナ視点になります。

尊敬する選手は后野《きみの》アリサ先輩です。

入部後の初顔合わせ、そう挨拶した時の想いは今も変わっていない。
私が中2の時、テレビの向こうで活躍する姿に一発で心を奪われ、この学校まで追いかけてきた。

「あ、あん、はっ、いい! すごいのぉ! この体位しゅきぃ!」

スマホ画面の中、あられもない格好で奇声を連発する姿。
胸も腿も、全身すっかりだぶついている。
まだアスリートのイメージはかろうじて保っているけれど、私が憧れた姿とは比べようもない。

目を背けたくなる。
そうでなくても涙で何度も視界が歪む。
それでも、全てをしっかり目にやきつけておきたい。
あの監督の命令だからではない、后野先輩が私たちを身を張って守ってくれていることを忘れないためにだ。

私たちが入ってきた時には、后野先輩は監督の奴隷にされていた。
昨年の顛末は2年生の先輩がこっそり教えてくれた。
この名門チームのおぞましい実態も。

「どうして、后野先輩が! どうして一緒に戦い抜いてあげられなかったんですか!」
感情に任せて先輩たちにまで食ってかかった。
私がその時いたなら。
何ができたとも思えないけれど、少なくとも最後まで先輩を見捨てはしなかったのに。

「そうは言ってもさぁ、カナ、あれはもうダメだよ」
ベッドで丸まりながら、自分のスマホで同じ配信を視聴していた心咲《みさ》が言う。
「見なよ、このアへ顔。最初はどうだったか知らないけどさ、もう完全に」
「うるさい!」
画面から顔はそらさず怒鳴るのとほぼ一緒に后野先輩は絶頂に達した。

「はぁぁー、今日5回目のフィニッシュでしたぁ、自己記録更新、こーしーん! わーわー、拍手はくしゅー、ばんざーい、ばんざーい!」
ゆるみきった顔で馬鹿みたいに両手を振り回す先輩。
男の人のあの液体で汚れきった全身。
羞恥心などかなぐり捨てたように、カメラの前でおどけ続ける。

「あんたも正直どうなの? こんなところまで見せられて、まだあの先輩のこと尊敬してるっての?」
「してるよ!」
どんなに無様でもみっともなくても。
それは私たちを守って戦ってくれている姿じゃないか。

悔しいのは私は一緒に戦えないことだ。
もう一度、あの監督に歯向かうつもりになってくれさえしたら。
私に戦ってくれと言ってくれさえしたら。

「でもほら、今日だってあったじゃない」
「あ、あれは……」

后野先輩は最近ではほとんど練習に参加しない。
形だけ顔を見せるばかりだ。
パンツ一枚の上にジャージを羽織っただけ、という格好でうろちょろしている。
あのクズ監督が姿を見せればすかさず寄っていって露骨にべたべたする。
自分から監督に身体のあちこちをさわらせては頓狂な声をあげる。

他の先輩たちもそんな后野先輩を見ないふりをするか、露骨に迷惑そうな顔をするかだ。
好きこのんでそんな格好をしている訳でも、そんな風にふるまっているのでもないと、分かっているはずなのに。

「もー、やですよぉ、監督ぅ、他の娘に目移りしちゃあ。監督の愛人は私なんですからね。あ、そういえば今夜はまた生配信の日ですよ。あっちの方の体力しっかりとっておいてくれなかったら、アリサ寂しくって死んじゃいますからね」

「ちょっと、アリサ!」
とうとう見かねたのか、3年生の先輩が声をあらげた。
誰もが息を飲み、場が一斉に凍りついた。
ただひとり、一番の根源であるはずの男がひとりだけ平然としてなりゆきを見守っていた。

「さすがにいい加減にしてよ、こんな明るいうちから。みんなが集中できないのが分からないの!」
「そ、それはあの」
后野先輩も、最初は申し訳なさそうに小さくなったと思う。
しかし、かたわらの監督の顔色をうかがい、何かを耳打ちされると一変した。
「ぶーぶー、差別だー、ビッチ差別、変態差別ー」
「アリサ」
「でも、うん、ごめんねー、純情うぶなバージンの誰かさんには刺激が強すぎたかー、本当ごめんねー、私ばっかり先に気持ちいいこといっぱい経験しちゃって」

「アリサ!」
割って入ったのは、后野先輩の後を受けてキャプテンになっている、羽柴瑞穂先輩だ。
1年生の頃から后野先輩と名コンビと呼ばれた人で、一番の親友のはずだった。
その瑞穂先輩が、けれど今ははっきりアリサ先輩に嫌悪の表情を見せていた。

どうして。
親友なんでしょう。
部屋で大泣きしていた時のこと教えてくれたのは、羽柴先輩なのに。

「練習の邪魔は許せないわ。出ていって。キャプテン命令よ。いいですね、監督」
一息に並べ立てた羽柴先輩の態度に、后野先輩はむしろほっとした様子だった。
それで、私も羽柴先輩の思惑が分かった気がした。
ともかくもこれ以上后野先輩ひとりが悪役にされることから救ったのだ。

「はいはいはいはい、もー、瑞穂もかたいなぁ。ビッチはそこらでこっそりオナってきまーす」
后野先輩にしたら、自分のあとのキャプテンである羽柴先輩を立てるために、あっさり引き下がってみせたということかもしれない。
それでも、ひとり去っていく先輩の姿は、やはり寂しそうだった。

「あ、あの……」
いてもたってもいられず、先輩を追いかけようとした私を、きつい声で羽柴先輩が呼び止めた。
「放っておきなさい、林野さん」
「で、でも……」
「いいから。あの娘なら大丈夫」
後半は自分にも言い聞かせているみたいだと思った。

「あれは、何よ?」
心咲が聞いた。
どうやら、そんなふたりの意思を察したのは、1年生では私ひとりだったようだ。
それを私から話してしまって良いものか分からなくて、私は口ごもった。

とにかく私は絶対に后野先輩を見捨てない。
羽柴先輩のようには彼女をかばってあげられなくても。
絶対にだ。

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