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依存の世界をどう抜け出すのか

こんにちは、スナオイロのナオコです。

わたしは元夫がギャンブル依存症だったことをきっかけに、自分の共依存症に気づき、自分自身と深く向き合うようになりました。
その自分自身の体験から得た気づきや学びを、元セラピストの経験なども織り交ぜながら わかち合いをしています。

👆【ギャンブル依存症を語ってみる 前編】でも書いたように、わたしはこの世の中が依存の仕組みで成り立っていると思っています。
それは、精神的自立がしにくい世の中だということでもあります。

依存症から回復していくにはどのようなことが必要なのか、そのあたりのことをわかち合っていきたいと思います☺



「ふつう」という囚われの世界

依存症の方、精神的な病を患っている方、なんかわからないけど心が苦しい、虚しいという方、イライラすることが多い方…
わたしたちは幸せを願っているのにどうして幸せを感じられない人が多いのでしょうか。

その理由の1つに、わたしたちは「依存の仕組みの中で囚われて生きている」ことに気がついていないということがあると思っています。

わたしたちは、いわゆる『ふつう』という枠組みの中に押し込められているという見方ができます。
権威をもつ人たちが都合よく生きられるような『ふつう』という世界。
それがわたしたちの当たり前の世界だから、疑うことなく生きている。

そして、人間の善悪の判断によって、ばっさりと切り捨てられたり、反対に、過剰な称賛で神のような存在にされたりもする世の中です。

人と違うようなことをする人には「ふつうの人はそんなことしないよね」などと言ってその枠組みから出ている人を『ふつう』の中に戻そうとする。
枠から出てみたいなと思っても周囲の人に嫌われてしまうのがこわくて留まる。
まさに「囚われ」の世界。


依存は自己無価感から

そんな世界の仕組みの中で生きていると、周りに合わせたりして自分らしく生きることができないから、どうしても苦しくなっていきます。

でも自分の親も、友達も、テレビの中の人も、街の中の人も、みんなそんな感じで「ふつうさぁ…」と言いながら生きているから、「自分がおかしい、自分が悪いんだ…」と自己否定をしやすくなります。
(おかしくていいんだけどね☺)

その現実世界(と思っている恐れや抑圧された怒りからくる思考)、自己価値を感じにくい支配された世界の苦しさ、虚しさから逃れるために依存をしやすくなっていきます。


依存症のループ

「依存症になった自分を否定」
👉苦しい。でも、「ちゃんとしないと。ふつうにならないと!」とまた自己否定
👉苦しい。依存に向かってしまう。
👉「またやってしまった…。今度こそふつうにならないと!みんなに迷惑かけてるし…」とさらに自己否定。罪悪感。恐れ増幅。

こんな感じのループでどんどん自分への信頼はなくなり、罪悪感で自分を否定して傷つけ、ますます不安や恐れに囚われていく流れができていってしまいます。

この流れはどんどん周りを巻き込んで大きな渦になって、いろんなものを飲み込んでいきます。


 違和感に気づいていく

わたしも自分で自分のことを共依存症だと認めるまでは、今書いてきたようなことに ほとんど気づいていませんでした。

そして わたし自身も、多くの人や事象について「あいつはダメだ」「ふつうはこうするでしょ、おかしくない?」などと、『ふつう』の枠に押し込め、正義や常識とされるものを振りかざした毒舌や押し付けをしていましたし、
押し込められる側も経験してきました。

そんな風に 押し込められようとしているとき、押し込められたとき、自分の心やみぞおち辺りがクッっと締め付けられるような、えぐられるかのような感覚になったことはありませんか?!
このようなことが違和感ですね。

人によって感覚はさまざまだと思いますが、思考ではなく、身体が反応して教えてくれたときは信頼できる反応です。

この感覚を流さずに、ちゃんと気づいていくことが大切です。
「気づくこと、知ること」から癒しははじまります☺


『今ここ』を生きる

気づくことが大切と書きましたが、自分にやってくる身体の感覚は、『今ここ』に自分がちゃんと生きていると認識しやすくなります。

過去の怒りに執着していたり、未来への恐れなどに囚われずに、『今』に存在することです。
依存症も『今ここ』にいることができないから起こっています。


『今ここ』に意識を向ける方法

『今ここ』に意識を向ける方法としては、『瞑想・マインドフルネス』がよく あげられます。
ここ数年でやる人も増えたと思いますが、継続してやっている人は少ないかもしれませんね。

かくいう わたしも、やったあとには「やっぱり瞑想は毎日やりたいな♪」と思うんだけど、後回しにしてしまうことも多いです…。

でも『今ここ』に意識を向けるのは、実はいつでもどこでも簡単にできます。

呼吸や、歩いているときの足裏の感覚、風が肌にあたる感覚、鳥の鳴き声、香り、味などなど…。
その瞬間の『感覚に浸る、味わう』ということに意識を向ければOKなのです。

感覚に意識が集中していれば、その間、思考に囚われることはなくなります☺


前提が『起こる事象は必然』なら、チャンスでもある!

『起こる事象はすべて必然』という前提のもとに生きていると、苦しくて不幸のどん底だと 誰もが思ってしまうような状況でも『チャンス』に変わってしまいます。

「ピンチはチャンス」ともよく言いますよね。
自分が起こる事象をどう捉えるか、どういう選択をするかだけで、自分のその後は大きく変わっていきます。

善悪の判断をする必要もなくなり、軽やかな世界に生きられるようになっていきます☺

だから、今話題になっている通訳さんの件は、彼と彼の周囲の人にとって大きな人生のギフトを手に入れられるチャンスだということでもあります。
そのチャンスをものにできるかは、当然 本人次第ですけどね。


依存症は完治しない

依存症は完治しない病ですが、でも、悪化を止めて共存することはできます。
そして、完治することがないというのは、悲しいことではありません。

依存症に抗うことなく、自分の中にこのような狂気的な性質があることを認め、あきらめるのです。
そんな自分自身をまるまる受け入れ、統合していきます。

そうすると、今まで不安や恐れ、他者に使われていた自分のエネルギーを自分自身を生きるために使えるようになり、ポッカリ感や無気力感も少なくなっていきます。


わたしたちもこの件から学び成長できる

このニュースを知ってワーワー騒いでるわたしたちも、この事象をなぜ見ることになったんだろうか…?
自分にも見つめ直す部分があるんじゃないか…?
という学びの視点から見ていくことが大事だと思います。

すべては表裏一体です。
外側で起きたことを、自分の内側の鏡として見ていく。
そうすると、彼に対する不快な気持ちなども感じにくくなっていくと思います。
わたしたちも、気づきと成長のチャンスを与えられていると思います。

彼らを含めた わたしたちが、美しく愛と豊かさに満ちあふれた世界を選んで生きられますように☺✨

ありがとうございます! このnoteを良いな♪と思っていただけましたら、サポートをよろしくお願いいたします☺